Episode 8
朝の澄んだ空気は、私の魔力と相性がいいのかもしれない。これまでになく上手に魔法が扱える。
水と風、土の魔法なら、教科書にある技は一通り使えるようになった。だけど、まだ火がある。ええい、努力と根性は元社畜OLの代名詞みたいなもの。この時間で絶対にある程度形にしてみせる!
額に汗して特訓していると、邸を取り囲む塀の外に馬の蹄の音が近づいてくるのが聞こえた。蹄の音は、どうやら塀を隔てた向こう側で止まったようだ。
「大城…じゃなくてイライザ嬢、そこにいるか?」
塀の外から聞こえてきた声に驚く。こんな朝早くに、なんで第一王子が王城を抜け出してんの!?蹄の音は一頭のものだけだったし、一人で馬に乗って来たってこと?っていうか、乗馬もマスターしてるって、絶対転生前には乗馬なんてしてなかったよね…?
「さわ…パトリック様?どうしてここに?」
あまりのスペックの渋滞に躊躇いながらも返事をすると、目の前の塀が奇妙に歪むような感覚とともに、パトリックが姿を現した。
「なっ!えっ!?壁抜け?」
「おはよう。イライザ嬢」
驚く私を尻目に、しれっと挨拶をする。おはようじゃないよ!壁抜けしたでしょ、今!それ、高等魔法だよね!?
「今の…沢渡部長がやったんですか?」
「うん。パトリックが使ってたやつは、一通りマスターした。たぶん、大城も今頃魔法の練習してんじゃないかと思って、来てみた」
元々のパトリックも、アンジーに負けず劣らずの魔法の実力者だったのに?それを、もうマスターしたの!?ああもう、どこまでもハイスぺな訳ね。そのうえ、私の行動までお見通しですか…。
「わー、もう一通りマスターしたなんて、さすがですねー」
嫌味の籠もった棒読みの言葉しか出てこない、可愛げのない私。
「大城も、もう少しなんだろ?大城なら絶対ちゃんとマスターしようとすると思ったんだよ。転生前も、どんなに時間なくても絶対に仕事投げ出したりせず、ギリギリまで努力してたし。ちょっとやってみろ。見ててやるから」
ああ、前世でもそうだった。私が頑張っていると、いつも様子を見に来て、無表情なままちょっとしたアドバイスをして去っていく。でも、そのちょっとしたアドバイスが目から鱗みたいなのばっかりで、悔しいけどすごいなって尊敬してたんだよな。
「――はい。ありがとうございます」
ぶすっとした表情はそのままに、素直に返事をして、会得した魔法と、あと少しで何か掴めそうな魔法を披露していく。
「うん、やっぱかなりいいとこまできてる。火は、手のひらに熱を集めるイメージで、こう…」
わかりやすく伝えようと真剣な眼差しでアドバイスをくれるパトリックを通して、沢渡部長が見える気がした。ダークブロンドにグリーンがかったアッシュの瞳のパトリックと、黒髪に涼やかな目元が印象的だった沢渡部長。顔は全然違うのに、重なって見えるなんて変なの。でも、どっちも真剣な表情がいいな。すごいツボかも…。
なんとなくぼーっと顔を見つめていると、不意にパトリックの顔が近づいた。
「わ!ちょっと、何ですか!?」
「いや、すごい見てくんな、って思って。この顔、本当に好きなんだな」
うう、絶対に沢渡部長に見えてたなんて、言ってやるもんか。
「好きですよ!パトリック最推しって言ったじゃないですか」
つん、と横を向いて目を逸らす。すると、パトリックがすいっと再び視界に入ってきたと思うや否や、くいっと顎を持ち上げてキスをした。顎クイが許されてしまう、その顔面が憎い。
「――ちょっ…!もう!だからいつも、唐突すぎるんです!」
「だって、イライザが大城に見えて、可愛すぎるんだもん」
だもん、じゃないわ!しかも、私と同じこと考えんな!
真っ赤になってどん!と胸を押し返すが、相変わらずびくともしない。くそう、本当可愛くない。くるりと背を向け、身体の熱さをぶつけるように火の魔法を放つ。あ、できた。
「お、できたじゃん。俺のキスのおかげじゃない?」
パトリックの端正な顔をにやにやさせながら覗き込んでくる沢渡部長を睨み返す。
「違いますー!実力ですー!パトリックの顔でいやらしい表情するのやめてもらえます?」
前世ではあんなに無表情だったくせに!私が落ちたとみるや、この変わりよう。何かムカつくわー!
沢渡部長は今度はふっと柔らかく笑うと、私の頭をポンポン、と撫でた。
「だな。大城…イライザ嬢の実力だな。やっぱり君は、できる人だ」
だから、頭ポンポンはずるいって…。しかも追い打ちにパトリックの紳士らしさまで醸してくるなんて。
恥ずかしくて俯いたまま、私は言った。
「ところでパトリック様?そろそろ王城に戻らないと、第一王子がいないことに気づいた臣下の方々が大変なことになっているのでは?」
「おっと、そうだな。じゃあ、後で学園でな」
慌てて塀を抜けていこうとする後ろ姿に、そっと呟く。
「…ありがとう、ございました」
聞こえないならそれでもいいや、と思って言ったのに、しっかりと聞こえてしまったようで、沢渡部長がパトリックのキラースマイルで振り返る。
「愛してるよ、イライザ嬢」
「早く帰れ!」
きらきらの笑顔の余韻を残しながらひらひらっと手を振って、パトリックの姿が塀の中に消えた。