Episode 64
――三…二…一…よし、三分達成!
私は大きく息を吐きながら、前にかざしていた手をぶらんと下ろした。と同時に、私を囲むようにできていた魔法の障壁がふっと消える。一気に疲労感が襲ってきて、私は近くのテーブルに用意していた薬湯をぐいっと飲み干した。ほどよく冷めていて飲みやすい。相変わらずめちゃくちゃ苦いけど。
お父様に教えてもらった防護結界は、強度を保って三分は展開できるようになった。私の周りにはお父様もアンドレも、パトリックがつけてくれた護衛の人たちもいる。もしも不測の事態が起こったとしても、三分あれば、十分に身を守れるだろう。第二王子派を警戒するようになってから、特に何も起きていないけれど、油断はできない。ある程度自分で自分を守れるようになってきたのは、だいぶ心強かった。
「それでも、この魔法を使わなきゃいけない事態にならないのが一番だけど…」
呟いて、ポットから注いだ薬湯をもう一度ぐいっと飲んだ。もう一度練習だ。
婚約披露パーティーは一週間後に迫っていた。いよいよ、といった感じで、本当に毎日目が回るほど忙しい。婚約披露パーティーが終われば、すぐに学園の新学期が始まるし、ゆっくりしている暇はまだまだ当分なさそうだ。
今日は妃教育の後、衣装の最終合わせがある。最初に採寸した時から体型は変わっていないと思うけど、もし直しが必要だったら恥ずかしいから、微妙に緊張してしまう。まあ、イライザはスタイルも抜群だから、おそらく問題ないけど、私が中の人になったことで、それが崩れてたりしたら…なんて思っちゃうんだよね。
いつも通り身支度を整え、ダイニングルームに降りると、お父様とアンドレがすでに朝食を終えてお茶を飲んでいた。
「おはようございます。お二人とも、今日はいつもよりお早いですね」
私が驚いた顔を見せると、お父様が申し訳なさそうな顔をして溜息をついた。
「それが、早朝に王城から連絡が入ってね。東の砦で不審な物が発見されたらしいんだ。どうも、魔法に関連があるもののようでね。王城の魔法学者から、協力を求められたんだ。アンドレと一緒に様子を見てくるよ」
「それは大変ですね」
お父様が黒魔法を使えることは公表されていないけど、魔法に造詣が深い公爵として広く知られているようだ。そのうえ、厄介ごとをいつもすんなり解決してくれる忠臣として、陛下からも信頼が厚い。
「東の砦となると…お帰りは何時頃になりますか?」
この王都は、街をぐるりと取り巻く防壁と、東西南北に築かれた砦で守られている。それぞれの砦には、王都の中心地にあるこの邸から、馬車でおよそ一~二時間といったところらしい。
「そうだな…。その不審物がどんなものかにもよるが、早くても帰りは昼過ぎになるだろうな。今日は王城に迎えに行けるかどうかわからないから、しっかり護衛についてもらいなさい」
多忙なお父様だけど、可能な限り私が登城する際に送迎をしてくれている。考えてみれば、行きも帰りもお父様がいないのは、第二王子の一件以来初めてかもしれない。
「はい。十分注意するようにしますね」
私は微笑みながら頷いた。
お父様とアンドレが慌ただしく出発した後、私も朝食を取り、登城の準備をした。パトリックがつけてくれたいつもの護衛の人たちが迎えに来てくれたので、馬車に乗り邸を後にする。
窓の外は見慣れた街並み。馬車は何事もなく王城の門に差し掛かろうとしていた。その時、外で「ああ!」という叫び声が聞こえた。男の人の声だ。警戒しながら少しだけ窓を開けると、すぐに護衛の人が気づいてくれた。
「イライザ様、申し訳ございませんが、このまま少しお待ちください。商人の荷車が荷崩れを起こしたようで、門への道が塞がっております」
確かに、りんごやらオレンジやらといった果物が散乱しているのが見える。青果店の荷車が荷崩れを起こしたようだった。
「わかりました」
私は頷いて、再び窓を閉めた。――と、その瞬間、ドン!と大きな衝撃とともに、馬車の屋根が大きくひしゃげた。何かが馬車の上に落ちてきたのだ。
「イライザ様!!」
外で護衛の人たちが慌てて馬車を取り囲んでいる。幸い、公爵家の馬車は天井が高い豪華な造りになっていたので、怪我はない。でも、同じことがまた起これば、今度は天井が破れてしまうかもしれない。私はぎゅっと身構えた。




