Episode 5
馬車が止まり、扉が開いた。目の前には、ものすごく立派な豪邸。あ、イライザの住んでる邸宅だな、ここ。ゲームでちらっと見たことがある。さすが公爵家、まるでお城みたい。
リアムが先に馬車を降りて、私に手を伸ばす。私もリアムの手を取り、馬車を降りた。
「イライザ、こんなこと、俺が言えた義理じゃないが…。君の幸せを心から願っている」
騎士らしい、真っ直ぐな視線。悪役令嬢にも最後までちゃんと接してくれるなんて、さすが攻略対象だ。
「ありがとうございます。リアム様も、アンジーさんとお二人で障害を乗り越えてください。お二人の幸せをお祈りしております」
「ああ、ありがとう」
リアムが再び馬車に乗り込む。私はお辞儀をして、馬車を見送った。
よし、これで修道院は回避したはずだし、これからのことを考えなくっちゃ。
少しだけ軽くなった心でくるりと踵を返し、邸に入ろうとすると、リアムとは別の馬車がやってくるのが見えた。
あれは…王家の紋章じゃん!ってことは、パトリック!?それとも他に、公爵家を訪ねてくるような王族いたかな?
王家の紋章を掲げた馬車が、私の目の前で止まる。降りてきたのは、予想違わずパトリックだ。思わずその神々しさにうっとりと見とれてしまったけど、はっとして慌ててお辞儀をした。
「パトリック様、いかがなさいましたか?」
「突然の訪問、失礼する。イライザ嬢、少し話したいことがあるんだが、時間をもらえないかな?」
「え、ええ。もちろんでございます」
話?何の?戸惑いながらも屋敷の中へ案内しようとすると、パトリックが引き留めた。
「できれば、他の者には話が聞こえない方がいい。あちらの庭園でもいいかい?」
パトリックは、美しく整えられた庭園の奥に見えるガゼボを指さした。
えぇ?これ、どんな展開?パトリックのルートでイライザとの接点なんて、生徒会以外では覚えがない。パトリックルートなら別の障害があったから、イライザはほとんど登場しなかったはず。
それなのに、パトリックからイライザに人に聞かれたくない話が?シナリオとはまったく違う展開だ。何が起こるのかわからなくて、すごく怖い。でも、王子の誘いなんて、断れるはずないよね…?
「承知いたしました。それでは、あちらにお茶を用意させますわ」
なんとか動揺を抑え込みながら、私は微笑んだ。
二人してガゼボに設えられた籐の椅子に座る。お茶を用意してくれたメイドさんたちが下がるなり、パトリックが口を開いた。
「急に訪問して、驚かせてしまい申し訳ない。──単刀直入に聞くが……君は大城だよな?」
「はい。──えっ!?」
「大城菜々香だよな?」
「え?パトリック様が、なぜその名前を…?」
「俺、沢渡凌汰」
「さわたりりょうた?…沢渡…沢渡部長!?」
そうだ、沢渡部長!あのプレゼン力は、沢渡部長だ!
さっき生徒会室で感じたモヤモヤが、一瞬にして晴れる。
沢渡部長は、転生前、私の上司だった人だ。うちの会社史上、最年少で部長に昇進した、誰もが認めるエリート。徹底して妥協を許さない姿勢には苦しめられもしたけど、尊敬もしていた。仕事がめちゃくちゃできるうえにかなりのイケメンなんだけど、厳しすぎて女子社員たちからはあくまで鑑賞対象って感じだったな。あ、それでもやっぱり、どこかの部署の子が果敢に挑んでは玉砕したって噂はちょくちょく聞いてたけど。
「まさか、パトリックが沢渡部長だったなんて…。でも、どうして沢渡部長までがこの世界に?」
転生してきたのは、私だけじゃなかったんだ。だけど、どうして私と沢渡部長なのかがわからない。何かつながりになるようなこと、あったっけ?
「大城は、覚えていないのか?ここに来る前のこと」
「はい…。私、転生前に何があったのか、どうしても思い出せなくて…。私たち、死んじゃったんでしょうか?」
沢渡部長、いや、今はパトリックか。パトリックが重苦しい表情で溜息をつく。うーん、いちいち絵になるな。真面目な話をしているのに、どんな表情もあまりに麗しくて、気が逸れちゃうよ。
少し迷うような素振りを見せていたパトリックだったけど、意を決したようにこちらを見据え、言った。
「俺たちは一緒に事故に遭った。俺と大城が乗っていたエレベーターが、落ちたんだ」
──ぞくっと、背筋が凍った。
そうだ、エレベーター。
粉々だったパズルが一気に組みあがっていくように、すべての記憶が蘇っていく――。
いつものように残業をして、やっと仕事に区切りがついた私は、会社が入っていたビルの高層階からエレベーターに乗った。スマホを取り出し、ラブソニのアプリを開く。ひとつ下の階でエレベーターが止まって、沢渡部長が乗り込んできた。
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様」
私は挨拶をして、またすぐスマホに視線を戻そうとした。どうせいつも会話ないし。そしたら、珍しく沢渡部長が話しかけてきたんだ。
「いつも遅くまで残ってるな」
びくっとスマホから顔を上げた私は、驚いたのをそれ以上悟られないように、できるだけ表情を動かさないように意識しながら沢渡部長を見上げた。
「──残業が多くてすみません。要領が悪いのかもしれませんね、私」
業務量が多すぎることへの軽い嫌味を込めて、私はそう答えたと思う。思わず口をついて出ちゃった言葉だったけど、我ながら可愛くない物言いだ。失礼な部下でごめんなさい。
しまった、怒られるかな?とちらりと視線を送ると、沢渡部長は怒るどころか、申し訳なさそうに微笑んで言ったんだ。
「大城はできる奴だから、仕事が集中してしまうんだな。悪い。今度からもっとちゃんと調整する」
え?今、できる奴って言った?――そう、初めて沢渡部長に褒められて、そのうえ謝られて、すごく驚いた。だから思わずまじまじと部長の顔を見つめてしまって。そしたら、部長がもっと驚くことを言ったんだ。
「この後空いてるか?たまには一緒に、夕飯でもどうだ?」
私の瞳を覗き込みながら、沢渡部長が頭をポンポンと撫でた。そうだ、頭ポンポンも沢渡部長じゃん!
「は…え…?」
ぴっくりしすぎて、すぐに言葉が出なくて。唖然とした表情のまま部長を見上げていた。
そうしたら突然、ガタン!!って、エレベーターが大きく揺れて──。
すごい勢いで落ちていく箱の中の、あの恐怖。思い出したら恐ろしくて、身体が震え出した。そんな私を、パトリックの沢渡部長が慌てて立ち上がり、抱きしめる。
「大丈夫か?悪かった、思い出させてしまって」
そうだ、あの時も、浮かび上がる身体を沢渡部長が守るように抱きしめてくれて…。私のこと、庇ってくれてたんだな。でも、そうか、エレベーター事故だったんだ。
「一緒に落ちた、と思った瞬間、ラブソニの世界で俺はパトリックになってた」
私を抱きしめてくれたまま、沢渡部長があまりにも自然に言うから、そうだったんだ、と思わず流しそうになったけど、いや、ちょっと待って。新しい衝撃に、身体の震えも止まる。
「え?沢渡部長…ラブソニ、なんで知ってたんですか?乙女ゲーですよ、これ」
がばっと体を引き剥がしながら問い詰める。パトリックの顔が近い。くそ、こんな時でも見とれちゃうくらいイケメンだな!
「大城がやってたから、俺も始めた。ちなみに全ルートコンプリートしてる」
ん?なんて言った?全ルートコンプ済み?それも相当驚きだけど、それよりも。
「私がやってたのなんて、どうして知ってるんですか?それに、私がやってたからって、沢渡部長が始める意味がわからないです」
わからないことだらけで、ますます混乱してきた。
パトリックの沢渡部長…もう、紛らわしいな!ここは一旦、沢渡部長でいいか。その沢渡部長が、私から視線を逸らして言った。
「前に、大城がかなり遅くまで残業してた時、休憩室でラブソニ開いたまま寝落ちてたこと、あっただろ?」
――あったかな?あったかもしれない。残業多すぎて覚えてないけど。
「その時、画面が見えて。大城こんなんやってんだ、って思って、俺も始めた」
「だから何で、私がやってるからって沢渡部長が乙女ゲー始めるんですか?って話ですよ」
「大城の、恋愛に関する嗜好が知りたかったから」
予想の斜め上をいく答えが返ってきて、一瞬思考が停止する。私の恋愛嗜好?そんなものを沢渡部長が知ってどうするっていうの?なんのマーケティング?
私の表情には、明らかにクエスチョンマークが浮かびまくっていたんだろう。沢渡部長がちょっと怒ったような顔でじっと私の目を見て、言った。
「大城が好きだから、どんな風に迫ったら落とせるか、知りたかったんだよ!」