Episode 37
パトリックが明日開会の挨拶をするステージの上で開会式の進行の説明を受けている間、私はステージ下で広場で出店の設営をする人たちの動きを何とはなしに見ていた。
アイスクリームのイラストが描かれたイーゼルを出している店や、クレープの食品サンプルみたいなものを並べている店、チョリソーやビールのイラストが描かれたパネルを掲げた店など、広場周辺の出店は飲食店が多そうだ。食品サンプルがあるあたり、いかにも日本で作られたのゲームの世界っぽくておもしろい。
ふと視界の隅に小さな人影が映り、私はそちらに目を向けた。四、五歳くらいの歳に見える男の子が、自分の身長ほどもある背の高い黄色い花を両手いっぱいに抱えて小走りに駆けていく。前が見えているのか心配で見守っていると、案の定人にぶつかって尻餅をついた。
「大丈夫?」
私は思わず駆けより、男の子を助け起こす。男の子は目に涙をいっぱいに浮かべながらも、泣き出すことなくこくりと頷いた。転んでも花を大切そうに抱えているところを見ると、この花は売り物なのかもしれない。
「この花、どこまで運ぶの?」
男の子のお尻についた砂を払ってあげながら尋ねると、男の子は広場の向こうに視線を向けた。
「あっち。パパのお店があっちにあるの。ママはお腹に赤ちゃんがいるから、僕がお花を運んでいるの」
「そう。お母さんの代わりにお手伝いしてるのね。偉いね」
「僕、もうすぐお兄ちゃんになるから、頑張るんだ」
「そうね。立派なお兄ちゃんになれるわね。でも、走ると危ないから、気をつけて行くのよ。私も明日、お店に寄らせてもらうわね」
「うん。綺麗なお姉ちゃん、ありがとう。明日待ってるからね」
男の子は微笑むと、今度はちゃんと歩いて父親が待つ店の方向に向かっていった。
あれ?そういえばあの黄色い花、サマーフェスティバルを宰相の息子クリストファールートでプレイした時、クリストファーがくれた花に似てるかも。
そういえば、メリッサもクリストファーと一緒にフェスティバルに来るって行ってたから、もう街のどこかにいるのかな。
といっても、メリッサたちもせっかく二人で来ているんだから、邪魔する気はないけど。
私はあらためて広場を見回す。もしかしたら知っている顔があるかもしれない。
リアムはパトリックに仕えているから護衛のお仕事で来ているはずだけど、まだ私は顔を合わせていない。護衛は交代制で、リアムがパトリックの護衛につくのは明日らしい。きっとアンジーも明日フェスティバルに来るだろうから、休憩時間にでも二人も楽しめるといいな。
攻略対象の中で唯一、アランだけは今回サマーフェスティバルには来ない。ゲームの流れと違い、アランの国では早々にクーデターが起きてしまったせいで、アランはクーデターを起こした叔父から玉座を奪還して間もないからだ。学園が夏期休暇に入るなりネメシア王国に帰ったから、今頃大忙しで政務をこなしていることだろう。
「そう考えると、本当にゲームとはまったく違った展開になってきてるよね。全部私たちのせいだろうけど」
「そうだな」
思わずぽつりと呟いた言葉に返事があり、私は慌てて振り返った。
「勝手に離れていくな。心配するだろ」
背後には眉を顰めて立つパトリック。ちょっと怒った顔もいいな。小声なのは、護衛の人たちに私たちの普段の会話が聞こえないようにしたんだろう。
「ごめんなさい」
素直に謝る。パトリックほど私のことを心配している人はいないし、私だってパトリックのことは心配だ。無用な心配をかけることは極力避けたい。
「あんな小さな男の子が転んだら、イライザが駆け寄るのもわかるよ。待たせてごめんね。打ち合わせは終わったから、少し街を歩こうか」
今度は普通の声の大きさだ。パトリックらしい口調と上品な笑顔に切り替わっている。いつもながら完璧な擬態。
「はい。是非」
私も公爵令嬢らしい口調と笑みを浮かべ、差し伸べられた手を取った。
「クリストファー様もフェスティバルにいらっしゃるとうかがいましたが、何かお仕事があるのでしょうか?」
歩きながらパトリックに聞くと、パトリックはふるふると首を振った。
「いや、今回彼には特に仕事をお願いしていないから、プライベートのはずだよ。メリッサ嬢とフェスティバルを楽しむために来るんだろう」
「そうなんですね!それは二人でいい思い出が作れそうですね」
確かに、クリストファールートでは、このサマーフェスティバルは完全に夏期休暇を楽しむためのイベントだった。その辺りはゲームの内容と同じなんだな。
メリッサは学園でも仲良くさせてもらってるし、友達が幸せなのは純粋に嬉しい。休み明けのガールズトークが盛り上がりそうだ。
「リアム様は明日到着されるんですよね?」
「そうだよ。アンジー嬢も明日来るみたいだから、護衛も半日交替にするように命じてある」
さすが沢渡部長のパトリック。私が聞きたいこともお願いしたいことも、ちゃんとわかっている。
「それなら、お二人もフェスティバルを楽しめそうですね」
私が微笑むと、パトリックも麗しい笑顔で私を見つめた。
「恋人たちがフェスティバルを楽しみたいと思う気持ちは、誰よりも理解しているつもりだからね」
転生前は仕事の鬼でプライベートなんて顧みない鉄面皮だったくせに、環境が変わると変わるものだ。それとも、前世でできなかったことをしようと努めているのかな?
「素敵な上司ですね。パトリック様にお仕えする方々はきっと幸せですわ」
私も目一杯上品に微笑み、視線に言外の感情を含ませながらパトリックを見つめ返した。




