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Episode 35

 それからの二週間は、とにかく慌ただしかった。

 学園に行って授業を受け、放課後は毎日登城して婚約披露パーティーの準備と王妃教育。帰ってから学園の課題をこなし、終わったらアンドレと一緒にお父様に師事して黒魔法の鍛錬。

 まるで社畜時代に戻ったかのようなめまぐるしさで、疲れ果ててやっとベッドに入っても、毎晩のように残業している夢をみてうなされる羽目になった。

 朝起きて、ベッドの天蓋を見ては、えっとここは…そうだ、今の私はイライザだった、と自覚し直すまでがここ最近のルーティンと化していた。どうやら今世でも、ゆったりのんびりな人生とは無縁のようだ。


「おはよう、イライザ。さあ、サマーフェスティバルへ行こう」

 サマーフェスティバル前日の朝。海辺の街ナウパカに向かうため、パトリックが公爵邸まで迎えに来てくれた。

 差し伸べられた手を取り、馬車に乗り込む。こういう動作にはだいぶ慣れて、自然と手を取れるようになった。環境への適応力の高さは、私の強みだな。

「疲れた顔してるけど、大丈夫か?」

 馬車で二人きりになるなり、パトリックが心配そうに顔を覗き込んでくる。パトリックが隣に座るのはもう通常運転だ。

「なかなかハードな二週間だったもので…」

 私は苦笑いしながらちょっと身体を引いた。メイドさんたちがお手入れ頑張ってくれたけど、さすがに隈とかできてるかもだし、あまり近くでは見られたくないのが乙女心というものだ。しかし、パトリックなんて私以上にハードだったはずなのに、相変わらず毛穴ひとつ見えないツルツルの美肌。さすがすぎる。

 身体を引きつつもその顔を凝視していた私に、パトリックがぷっと吹き出した。

「大丈夫だよ。イライザも肌めっちゃ綺麗だから。なんてったって、俺たち今10代だぞ。それに、ゲームのキャラだけあって、ポテンシャルの高さが半端ないんだと思う。何もしてなくてこれだから」

 だからどうしていつも私の心が読めるのよ。頬を膨らませた私に、パトリックが目を細める。

「そんなわけで、今日も綺麗だ。だからそんなに離れるな」

 ぐいっと腰に腕を回され、パトリックにぴったり寄り添わされてしまった。

「それは…どうも。で、ナウパカまで、馬車で半日くらいかかるんでしたっけ?」

 なんか照れくさくて、目線を窓の外に逃がしながら、はぐらかすように話題を変える。

「そう。半日ちょっとってとこかな。到着予定は昼過ぎだ」

 腰に回した手はそのままなのね。恥ずかしいけど、これは諦めるしかないらしい。

「半日以上かぁ…」

 うーん、馬車で半日なら、この世界にしてはマシな方だと思うけど、それでも長いな…。

「この、馬車移動っていうのも、どうにかならないものでしょうか」

 思わず溜息が漏れる。前世の暮らしを知っていると、どうしても比較して暗澹たる気持ちになっちゃうんだよね。

「ああ。早く走らせると揺れも酷いしな」

 それはパトリックも同じみたいで、私同様溜息をついた。

「でも今、魔法石を動力に組み込んだ車を作らせてるから、もう少しの辛抱だ。今回は間に合わなくて申し訳ない」

「わ、すでに作らせてるんですね。車」

 さすが沢渡部長。抜かりない。

「そりゃ作らせるだろ。移動手段が馬車ってのは、俺にとってこの世界の不便の筆頭だからな」

「ラブソニの世界観崩れますけど、その辺りは正直発展してくれないと困りますよね。馬車酔いもお尻が痛くなるのも辛いですし、何より時間に追われまくっていた前世を思うと、移動時間がもったいなく感じちゃって」


 以前アランに攫われて馬車で国境付近まで連れて行かれた時は、行きはほとんど眠らされていたし、帰りはずっとパトリックと寄り添っていて、いろいろな動揺でいっぱいいっぱいだったからあまり気にならなかったんだけど、帰ってきてからお尻や腰が痛くて辛かったんだよね。

「まぁ、この世界には魔法っていう便利なものがあるから、いろんなものが魔法を使った代替品で何とかなりそうだ。世界観もあまり壊さないようなデザインで考えてるよ。とりあえず今日のところは、馬車に魔法をかけて揺れを軽減してるから」

「あ、どうりで。しかも座席もクッション性すごいですよね」

「長時間の乗車に備えてるからな。まあ、今回はゆっくり馬車の旅を楽しもう」

「はい!」


 途中休憩や昼食を挟みつつ馬車は進み、無事にナウパカに到着した。

 宿泊予定のホテルの前で馬車を降りると、さぁっと潮の香りに包まれる。

「わぁ、海辺の街に来たって感じがしますね」

 思わずはしゃいだ声を出してしまって、私は小さく咳払いをした。ホテル前には従業員たちや、支配人らしき人がずらりと並び、私たちを出迎えてくれている。もう他の人の目があるんだから、ちゃんと公爵令嬢しなくては。

「煉瓦の街並みが美しいですね。海を見るのも楽しみです」

 落ち着いた態度で言い直した私に、パトリックが優美な王子スマイルで頷く。

「そうだね。このホテルの客室は全室オーシャンビューらしいから、まずは部屋から海を眺めてみようか」

 さすが、パトリックはいつでも完璧だ。慣れてきたはずなのに、何度目にしても最推しの笑顔は心臓に悪い。私はその眩しい笑顔に撃ち抜かれている様子を気取られないように、なんとか平静を装った。

 

「第一王子殿下、イライザ様、ようこそお越しくださいました。私は当ホテルの支配人を務めております、ローラン・クレイと申します。ご滞在中は何でもお申し付けくださいませ。それでは、お部屋にご案内させていただきますので、どうぞこちらへ」

 ホテルの支配人、ローランさんが一歩前に出て挨拶してくれた。さすが王族も泊まる高級ホテルの支配人。品のいい老紳士、といった風貌で、仕立ての良さそうなスーツをぴしっと着こなし、所作もとても洗練されている。

「よろしく頼む。ローラン」

 私たちはローランさんの案内で、ホテルの客室に向かった。

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