Episode 2
「イライザ様!そろそろお昼休みが終わりますわよ」
モヤモヤと考え込んでいた私を、誰かが呼んだ。はっとして顔を上げると、悪役令嬢の一人、メリッサ・オラ・ハリソンが、隣の席から心配顔でこちらを見ている。
「あ!メリッサ!」
「ええ、そうですけど…。――イライザ様、どうかされました?具合でも悪いのですか?」
いつものイライザと明らかに様子が違ったのだろう、メリッサが訝しげな顔で私を見た。いけない、イライザらしく振る舞わないと。こんな時イライザなら――。
「いいえ、大丈夫です。ちょっと考え事をしていたもので、失礼いたしました。さあ、メリッサ様、次の授業の準備をいたしましょう」
私はゲームの中のイライザを思い出しながら、しゃんと背筋を伸ばして優美な笑顔を浮かべてみせた。
「ええ、そうですわね」
メリッサはいつも通りに戻った(?)イライザの様子を見て安心したのか、自分も次の授業の準備を始めた。よかった、イライザらしくできてたみたい。伊達に何年も社畜OLとして空気を読み続けてきたわけじゃない。培ってきた上司や取引先が求める姿を読み取って擬態するスキルは、ここでもかなり役に立ちそうだ。
さてと、この隙に状況を整理しなければ。
私イライザの婚約者は、侯爵位を持つ騎士団長の息子、リアム・アーサー・クロフトン。
クロフトン侯爵家はイライザの公爵家より格下ではあるものの、騎士団との繋がりを強固にしたかったウォーノック公爵家と、公爵家との繋がりがほしいクロフトン侯爵家との間で利害が一致して決められた縁談だった、という設定のはず。そして、あの庭園のスチルがあったということは、アンジーはリアムルートに入ったということになる。
うん、リアムもいいよね。黒髪の寡黙なイケメン、好きよ。言葉が少ないながら情熱的で、落ち着いた硬派な感じでしゃべってるのに、そこはかとなくセクシーさが滲む声優さんの低い声で真っ直ぐな愛を囁かれるのは、たまらなかったなー、じゃなくて!リアムとアンジーがうまくいけば、私は婚約破棄されて、ええと、どうなるんだったか…。
記憶の糸を手繰り寄せながら、さりげなく教室の様子を見回す。ゲームで見たことのある数人の生徒以外は、見覚えがない。あとの生徒はモブというやつだろうか。
メリッサといい、校内のことといい、やはりゲームで見たことしかわからない。ということは、転生してきたのは、さっきスチルになっていたシーンを見た直前、もしくはその瞬間ということなのだろうか?突然18歳のイライザに転生?どうしてそんなことになっているんだろう?そもそも私、本当に現実世界で死んだの?
わからないことが多すぎて混乱する。でも、まずはこの後イライザがどうなるのかを思い出さなくては。
確かリアムルートでは、アンジーに思いを寄せたリアムは、イライザに婚約破棄を申し込む。もちろん、イライザがそんな申し出を素直に受け入れるはずもなく、婚約破棄を拒んでアンジーに山ほど嫌がらせをする。
そうだ、嫌がらせの度が過ぎて、アンジーを塔から突き落とそうとして…それがバレて、断罪されたんだ!そして婚約破棄からの修道院送りというお決まりコース…。
──とりあえず、処刑とかじゃなくて良かった!
でも、普通に考えて、婚約者がいる身の上で他の人と仲良くなって、好きになっちゃったから婚約破棄してって、酷い話だよね。ゲームではウキウキ攻略させていただいちゃってたけど、婚約者がいる男の人に言い寄るヒロインも、現実世界だったら絶対なしだな。
まぁ、もともとリアムとイライザの婚約は家同士が決めた政略的なものなわけだし、アンジーに惹かれた時点で誠実に対応してるだけリアムはマシか?よくある衆人環視のもとで盛大に婚約破棄してざまぁ、とかじゃないし、ゲームの割には、このシナリオはかなり常識的な方だといえる?
ぐるぐると考えを巡らせながら、横にいるメリッサを密かに習い授業の準備を進めていると、目の前の席にきらきらしたオーラを纏った人物が座った。落ち着いたダークブロンドの髪と、グリーンがかったアッシュの瞳。少し垂れ気味の目尻は、優しそうで艶っぽくもある。すっと伸びた背筋に品格が漂っていた。
わ!これ、第一王子パトリックだ!
大城菜々香だった頃の私の一番の推し。好きすぎてものすごく課金したよー!?パトリックが目の前にいるなんて嘘みたい。しかも、なんかすごい良い匂いする…。ゲームでは味わえない推しの香りまで堪能できるとは、転生万歳!
パトリックの後ろ姿に釘付けになっていると、熱すぎる視線を感じたのか、不意にパトリックが振り向いた。背後に花を目一杯散らしたくなる、なんとも麗しい笑顔。ああ…眼福…。
「イライザ嬢、今日の放課後にある生徒会の運営会議、議題をいくつか追加したいんだけど、いいかな?」
そうだ、イライザもパトリックも、そしてアンジーとリアムも、みんな生徒会メンバーだった。しかしパトリック、やっぱ声もいい!優しくて甘くて、本当推せる!一生推します!
「ええ、もちろんですわ。パトリック様」
心の声はおくびにも出さず、私はにっこりと微笑んだ。公爵令嬢らしく品のある笑みを心掛けて。違和感なくできていたようで、パトリックも優美な笑みを返してくれた。
「ありがとう。それじゃあ、また放課後に」
教室に教師が入ってきたのに気づき、パトリックは手短に告げると、また前を向いて教科書を広げた。
最後の麗しい流し目、最高だった…。
私は感無量で天を仰ぎ、推しの尊さを噛みしめた。