Episode 15
気がつくと、私は後ろ手に縛られて、ビロードの張られた座席に転がされていた。
身体を揺らす振動と音。どうやら、馬車で移動させられているようだ。ご丁寧に足も縛られ、猿轡まで嚙まされている。
身を捩って顔を上げると、アランと目が合った。
「あ、イライザ、起きた?悪いな、途中で目を覚まされて大声出されると面倒だったからさー」
にこっと笑って、アランが私の身体を起こし猿轡を外す。いつものように軽いノリの笑顔だけど、目が笑ってない。なんだか背筋にうすら寒いものを感じた。
「ここは?これは一体どういうこと?」
ぎろっと睨みつけると、アランが苦笑する。
「まあ、そう怒るなよ。って、そりゃ怒るかぁ。もうすぐ俺の国ネメシアに入るから、そうしたら手足の拘束も解いてやるよ」
ちらりと窓に目をやると、カーテンの隙間から茜色の空が覗いた。どうやら、気を失ってからだいぶ時間が経っているようだ。国境が近いのも嘘ではなさそう。
「アラン様の国に?なぜ私を攫ったの?目的は?」
強い口調で問い詰めると、さっきまでヘラヘラしていたアランの顔から、急に表情が消えた。
「クーデター」
「クーデター?」
「俺の父上、つまりネメシア国王が、昨夜叔父に殺された。今、ネメシアは叔父に支配されてる」
「――!」
背中に冷たいものが流れる。これ、もしかして…。
アランルートのバッドエンド!
ラブソニのアランルート。
バッドエンドはアランの国ネメシア王国でアランの叔父によるクーデターが起きて、アランは白魔法が使えるアンジーを攫って母国に戻る。そこで魔法の力を使って叔父を倒そうとするけど、寝返った国王の臣下たちに囚われ、処刑されてしまう。
その後アンジーは人質として、カンパニュラ王国とネメシア王国との取引材料にされてしまうのだ。
だけど、それはアンジーが貴重な白魔法の使い手だったから起きたこと。私は白魔法なんて使えないのに、どうしてアランは私を連れてきたの?そもそも、アンジーはアランルートには入らなかったのに、何故このバッドエンドが?次々と疑問が頭を過る。
「私を連れて行ったところで、どうにもならないはずよ?白魔法も使えないし、何の役にも立ちはしないわ」
「そんなことないさ。イライザは公爵令嬢で、今や第一王子の婚約者だ。隣国カンパニュラの第一王子の婚約者を連れてきたとなれば、叔父たちも迂闊に手出しはできないはず。それに、カンパニュラの貴族の中でも最上位の公爵の令嬢を嫁にできれば、ネメシアでもハクがつく。今カンパニュラの王族には、残念ながら適齢期の女性がいないからな。――だけど、そんな御託より何より、俺がイライザを欲しいんだ」
アランが真剣な目で近づいてくる。頬に触れられ、びくっと身体が震えた。どうして?アランがそんなに悪役令嬢ポジだったイライザに執着する理由がわからない。ゲームの中ではもちろん、そんな描写はなかった。
「なぜ、私なの?」
聞かずにはいられない。こんなに訳がわからない状態じゃどうにもならない。
「アラン様は私のことなんて、何とも思っていなかったはずでしょう?」
「一夫多妻制のネメシアでは、弱い女はまず生き残れない。イライザみたいに、魔法も人並み以上に使えて、いつも胸を張って、まっすぐ自分の意見を言える女じゃなきゃ。そう思ってずっと見てた。アンジーの白魔法も魅力的だったけど、俺はイライザのような気が強い女が好みなんだ。前は、嫁にするならこんな女がいいなってくらいだったのに、ここ数日のお前は以前に増して格段に魅力的になった。気が強いだけじゃない、何か別の魅力が感じられるんだよ。まるで人が変わったみたいだ。パトリックがお前を変えたのか?とにかくよくわからないが、こんないい女、諦められるかよ。俺にはお前が必要だ。俺は必ず王座を奪還する。お前は俺の隣で王妃になるんだ」
実際に中身が変わっているんだから、アランが違和感を覚えてもおかしくはない。私の行動の何かが、アランの琴線に触れてしまったということなんだろうか。
だけど、何勝手なこと言ってんの!?いくら大変な状況だからって、こんな人攫いみたいなこと、許されるはずない。わけがわからなくて怯えていた気持ちが、だんだん怒りに変わってくる。
「クーデターでお父様を亡くされたことは、お悔やみ申し上げるわ。だけど、私はあなたとは行けない。私はパトリック様の婚約者よ。パトリック様だってきっと、あなたを許さない」
睨みつける私の視線をしれっと交わしながら、アランが不敵な笑みを浮かべた。
「だろうな。でも、もうすぐ国境を越える。ネメシアに入ってしまえば、パトリックだって簡単にはお前を取り戻しに来れないぜ」
「だけど!あなただってネメシアに帰ったら、叔父上様に命を狙われるのでしょう!?あなたのお父様の臣下の人たちだって、叔父上様に寝返っているかもしれないのよ!?」
そうだ、アランだって、バッドエンドなら囚われ処刑されてしまう。いくら追い詰められてこんなことしてしまったんだとしても、そんなのは嫌だ。絶対に回避したい。
とにかく今は、アランをネメシアに帰しちゃダメだ。
「確かに、父上の臣下たちはもうダメだろうな。だけど、まだ俺についてくる奴らはちゃんといる」
「本当にその人たちは信用できるの?勝算はあるの?私はあなたを死なせたくない」
「こんな状況なのに俺の心配?やっぱり、俺の嫁はイライザしかいないな」
そんなこと言ってる場合じゃないっつーの!キスされそうになって思い切り顔を背ける。手が自由ならぶん殴ってるとこだ!ゲームの中ではアランも楽しく攻略させてもらったけど、現実ではパトリック以外の人なんて考えられない。想像しただけでぞっとする。
「絶対に今帰るべきじゃないわ!もっとちゃんと策を練らないと!これじゃ、やられに行くみたいなものよ!」
私が叫んだ瞬間、馬車が急停車した。
手足を縛られたままの私の身体が、宙に投げ出される。アランが自身もバランスを崩しながらも、なんとか私を抱きとめた。抱えられたまま、ドカッと馬車の壁に叩きつけられる鈍い感覚。
「ってぇー!どうした!?何があった!?」
強かにぶつけた頭をさすりながら、アランが叫ぶ。と同時に、馬車のドアが勢いよく開け放たれた。
「イライザ!!」
夕闇に浮かぶ、最推しのシルエット。
「パトリック様!」
アランの腕から奪い返すように、パトリックが私を抱き寄せる。
「よかった!間に合った!」
いつものパトリックの香りに包まれて、緊張の糸が切れる。全身の力が抜けていく。
途端に、身体が震えてきた。私、やっぱりすごく、怖かったんだ。
「――っふっ」
安心したら涙が込み上げてきた。どうしよう、止まらないよ…。私はパトリックの胸に顔を埋め、声を殺して泣いた。
私が泣き止むまで、パトリックは黙ってぎゅっと強く抱きしめ、私の髪を撫でていてくれた。
「もう大丈夫だから」
何度も、そうやって優しく声を掛けながら。




