Episode 13
学園に登校するため邸の玄関を出ると、王家の紋章を掲げた馬車が待機していた。
「イライザ嬢、おはよう」
馬車の前には、麗しい笑みを浮かべたパトリック第一王子。ああ、背景に薔薇が見える気がする…。
私は、朝からがっくりと肩を落とした。
「第一王子って、そんなに暇なんですか?」
ここは、乙女ゲーム『ラブソニック~愛は魔法とともに~』通称ラブソニの世界。
私イライザ・リー・ウォーノックは、つい最近このラブソニの世界に異世界転生ってやつを果たした、元社畜OL大城菜々香だ。
そして何を隠そう、目の前で微笑むカンパニュラ王国第一王子パトリックも、その中の人は私と一緒に転生してきた元鬼上司、沢渡部長。私たちが乗ったエレベーターの転落事故が原因で、その時私がアプリを開いていたラブソニに、同時に転生してきた。
なんと、私たちは現在、婚約者というやつになっている。というか、昨日なったばかりだ。
「イライザ嬢を迎えに来るために、早起きしてちゃんと仕事を片付けてきたんだよ」
朝からこの上なく顔面が強い。これは確信犯だ。このきらっきらした笑顔を向けられたら、私が強く出られないことをわかっていてやってる。
なぜなら、パトリックは前世の私が課金しまくっていた最推しキャラだったからだ。そして、沢渡部長はそれを知る唯一の人物。
「それはどうも。お迎えを頼んだ覚えはございませんが」
「朝からちゃんと一緒に登校して、君が僕の婚約者ってこと、皆にアピールしとかないとね?」
「アンジーじゃないんだから、そんな心配はいりませんよ…」
アンジーというのは、ラブソニのヒロインのことだ。彼女はすでに、私の元婚約者であるリアムのルートに入っている。転生初日にそれを知った私は、その日のうちにリアムからの婚約破棄の申し出を受け入れ、サクッと断罪ルートを回避した。
「君のこと、まだアランも狙ってるし、他にもちらほらそんな生徒がいることが耳に入ってるからね。ちゃんと牽制しとかないと」
パトリックはにっこりと笑って、馬車へと私をエスコートする。
なんでこの人も私と同じように数日前に転生してきたばかりなのに、こんな流れるようなエスコートができるんだろ…。王子擬態も完璧だな…。ハイスぺ怖い。
「…ありがとうございます」
私は不本意ながらもお礼を言って馬車に乗り込んだ。するり、と当然のようにパトリックが私の隣に座ってドアを閉める。御者さんが仕事をとられて、慌てている顔がドアの隙間からちらっと見えた。お気の毒に…。
「ちょっと!そっちに座ったらいいじゃないですか!王家の馬車広いのに!」
私は向かい側の席を指さすが、パトリックはしれっと言い放つ。
「広いから、近づけるように隣に座るんだろ」
二人になった途端、沢渡部長の口調になった。
さすが、オンオフの切り替えも完璧。ダメだ。かなう気がしない。私はむすっとした顔でため息をついた。
昨日の朝、王城からの書状でパトリックに求婚されたと思ったら、なんとその日のうちにパトリックは私の邸を訪れ、お父様からも許しを得た。もちろんそれはすぐに国王に報告され、私たちは正式に婚約者となったのだった。
私は、その前日にリアムと婚約破棄になったばかりだったというのに、だ。
いや、どんだけ仕事が早いんだ!って話よ。元エリートビジネスマンの沢渡部長の手腕を、目の前でまざまざと見せつけられてますよ。
――まあ、それだけ私を真剣に思ってくれてるってこと?なのかな?そうなの?
「そうだよ。お前逃がさないために必死なの、俺。アンジーがリアムルートに入ったからだか知らないけど、いろんな奴湧いてくるし」
ぐるぐる考えを巡らせていた私の胸中をすべて察しているかのように、不敵な笑みを浮かべてパトリックが言った。怖っ!そんなに私、考えてること顔に出てる!?
てゆーか、こういう時は、パトリックの顔してるのに本当に沢渡部長にしか見えないんだよな…。
思わずその顔をじっと見つめていると、
「俺も余裕ないんだよ。可愛いもんだろ?」
いきなりちゅっとキスされた。ゆ、油断も隙もない!全然可愛くないよ!このために隣に座ったな、この人。
真っ赤になって睨みつけたものの、もはやそれも逆効果のようだ。
「そういう顔も可愛い」
もっと濃厚なキスをお見舞いされる。ち、ちょっと、もう、朝からやめてー!
「わ…かりましたから!もう!私はこういうの免疫ないんですから、やめてください!」
「免疫ないから、今こうやって免疫つけてんだろ」
「いらないから!そんな免疫!」
大胆になっていくにもほどがある。耳まで真っ赤になっている私を、パトリックは満足気な笑顔で見つめた。それからふっと目を細めて私の頭を優しく撫でながら、瞳を覗き込む。
「大城だった頃からずっとこうしたかったのを我慢してたんだから、このくらいいいだろ」
だからそういうとこだよ!フリーズドライかってくらいにカッサカサだった元社畜OLに、緩急つけたえげつない技使うのやめていただきたい。心臓がもたないから!
「よくありません!私たち、まだ付き合って数日ですよ?それに、ここでは18歳なんです!アラサーの色気垂れ流すのやめてください」
またすぐキスされそうな位置にある顔を、ぐぐっと押し返す。この距離はダメだ。顔が熱くて爆発しそう。
「お前だって中身は20代OLのくせに」
顔を押し返され、不満気な表情をする沢渡部長。
「百戦錬磨の沢渡部長と一緒にしないでくださいよ。私は仕事ばっかで、恋愛からは何年も遠ざかってたって、知ってますよね?」
「俺だって百戦錬磨なんかじゃないっつーの!そんなだったら、お前の恋愛嗜好探ろうとして乙女ゲーなんてプレイしたりしねーよ」
拗ねたように私の頭をわしゃわしゃする。せっかくメイドさんが綺麗にセットしてくれたのに!
「ちょっと!イライザはいつも隙なく綺麗にしてる公爵令嬢なんだから!やめてくださいよ!」
ぷんすかしながら手櫛で髪を整えていると、ちょっとだけしゅんとした顔をして沢渡部長も髪を一緒に直してくれた。
「だってさ、俺だけ浮かれてんの、悔しいだろ?やっと大城が俺のものになったんだぞ。そりゃ、はしゃぎたくもなるだろ」
しゅんとするな!可愛いかよ!どこまでキャラ崩壊するの沢渡部長!なんか、私が悪いみたいじゃん…。なんだかちょっと後ろめたい気持ちにさせられる。
「私も、付き合うとか学生の時以来で…。だから、ええと…。もうちょっと手加減していただけると…。できるだけ善処しますから…」
「善処するんだな?よし」
するっと私の指に自分の指を絡めると、沢渡部長がパトリックの顔でにやっと笑う。ちょっと冷たくし過ぎたかと反省しちゃったのに、嵌められた!?
「これから、登下校は毎日一緒な。学園でも、できる限り一緒にいること。一人になるなよ?」
「えぇ!?無理でしょそんなの!それに、もう婚約者になったんだから、そんな心配いらないと思いますよ」
沢渡部長が、絡めた指にぎゅっと力を籠める。少しだけ真剣な表情になった。どんだけ心配性なのよ!と言ってやりたかったけど、その表情を見て私は言葉を引っ込める。
「いや、マジで一人になるのはやめてくれ。俺が一緒じゃない時は、せめてメリッサといろよ。――特に、アランには油断すんな」
――沢渡部長?
「わかりました。ちゃんと気をつけますから」
少しだけ以前の沢渡部長に戻ったような真剣な声色とその様子に、私はなんだかただならぬ気配を感じて、素直に頷いた。
「うん。よろしくな」
沢渡部長は、そう言ってパトリックの美麗な顔に優しい笑みを浮かべ、私の頭をポンポンと撫でた。
だから、これずるいやつだって…。
その手の感覚が心地良くて、ちょっと悔しいけれど、私はしばらくされるがままになっていた。