Episode 10
学園に着くと、いつも以上に周囲からの視線を感じた。
「イライザ様とリアム様、婚約破棄されたって…」
「その話本当なの?原因はやっぱり、あの子?」
ひそひそと話す声が、そこら中から聞こえてくる。まあ、イライザ有名人だし、婚約破棄なんてことになれば、注目されるのはしょうがないよね。
イライザらしく背筋を伸ばし、ひそひそ声に負けずに顔を上げて歩いていると、ゲームでは同じく悪役令嬢のポジションにいるメリッサが声を掛けてきた。
「イライザ様、おはようございます。あの、今朝から不穏な噂があちらこちらで聞こえてきましてよ」
「おはようございます、メリッサ様。婚約破棄のことでしたら、事実ですわよ」
あまり笑顔で言うような内容でもないから、少し陰のある表情を作る。
「本当…なんですの?どうして…」
メリッサはショックを隠しきれない様子で、息をのんだ。
「リアム様と話し合って決めたことですわ。お互い納得してのことですから、心配なさらないで」
「でも…」
そうは言っても、メリッサは心配そうにしている。悪役令嬢ポジとはいえ、メリッサ結構いい子なんだよね。
アンジーがメリッサの婚約者である宰相の息子、クリストファーのルートに入っても、メリッサ自身がアンジーに対して直接暴挙に及ぶことはない。もちろん、多少嫌味を言うとかはあったけど。クリストファールートでは、メリッサの兄がメリッサのためにアンジーを排除しようと、人を使ってアンジーを誘拐し、人身売買をしている闇の組織に売ろうとするのだ。それが露呈して、アンジー一家は全員処罰されてしまう。
でも、アンジーはクリストファーのルートに入らなかったから、メリッサは何事もなくクリストファーと一緒になれるはず。だからメリッサが悪役落ちすることもない。クリストファールートじゃなくて本当によかった。
心配げなメリッサとともに校舎に入ると、ゲームの攻略対象の一人である隣国ネメシア王国の王子、アランに出くわした。
「あ、イライザ、おはよう!」
うん、顔面が強い。笑顔が眩しいな。
アランは褐色の肌にプラチナブロンドという、エキゾチックな雰囲気のイケメンだ。野性味がありながら色気をたっぷり纏っている金色の瞳は、見つめられるとゾクッとする。
「おはようございます、アラン様」
「イライザは今日も隙がなく美しいな。婚約破棄したんだろ?俺のとこに嫁に来いよ」
「ご冗談を。一夫多妻制はご勘弁願いたいですわ」
アランの軽口を笑顔でかわす。誰彼構わず口説くのが、アランの通常運転だ。
アランの国ネメシアは一夫多妻制だけど、アンジーがアランルートに入って攻略すれば、「俺の嫁は生涯お前一人だけだ」が聞けるんだよね。あのスチルもよかったなぁ。
「でも、婚約破棄は事実なんだろ?大丈夫なのか?」
ここでもアランに案じられる。イライザ、結構友達いたんだな。まあ、アンジーへの嫌がらせが本格化するのはリアムから婚約破棄を申し出られた後だったし、今はまだ自分にも他人にも厳しい公爵令嬢ってだけだもんね。友達もいて当然だ。
「私は、リアム様の幸せをお祈りしておりますから」
ふっと微笑んで告げる。アランが一瞬、眩し気に目を細めた気がした。
「まあ、イライザが元気ならいいんだ。じゃあ、また後で、生徒会でなー」
王子らしからぬワイルドな足取りで去っていくアランの背中を見送り、メリッサとともに教室に向かう。
「アラン様って、イライザ様のことがお好きなんじゃありません?」
唐突にメリッサに問われ、驚く。え!そんなはずないと思うんだけどな。ゲームでもそんな話聞いたことないし。
「アラン様は、誰にでもあのようにおっしゃってるんだと思いますわよ」
「そうでしょうか…?確かにアラン様は派手に遊び歩いてらっしゃる印象ですが、嫁に来いなんて、他では聞いたことがありませんけど…」
アンジーとしてゲームで攻略した知識しかない私には、アランが他の子にどんな風に声を掛けているのかわからない。ゲームではしょっちゅう嫁に来いって言ってたけど、それはアンジー、つまり本命に対してだけだったのかな?
何にせよ、今はパトリックのことと魔法の実技のことで手一杯だ。アランのことはさすがにメリッサの思い過ごしだと思うし、授業に集中しなくては。
「気のせいですわよ。さあ、授業の準備をしましょう」
私は笑顔で告げると、教室に入り、教科書を机の上に出した。
復習のため教科書に目を落としていると、ふわり、といい香りが漂った。この香りは…。
顔を上げると、案の定パトリックが私の目の前の席に座ったところだった。イケメンはいい香りがする説、立証するかのような存在だな。
再び教科書に目を落とそうとすると、パトリックが振り返る。
「おはよう、イライザ嬢。書状は届いた?」
――教科書、落とすかと思った。
その話、今ここでしないでよ!メリッサ聞いてるじゃん!朝会った時にはそんなこと一言も言ってなかったくせに!私は一瞬だけパトリックを睨みつけ、すぐに笑顔を作る。
「おはようございます、パトリック様。書状の件は、学園が終わった後にお話うかがいますわ」
「そう?残念だな。僕としては、早く皆にも知らせたい気持ちでいっぱいなんだけど。まあ、今日は実技の授業もあるし、君の邪魔はしたくないから、今はやめておくね」
艶麗な笑みを浮かべ、パトリックは教室の正面に向き直った。ゲームの時より笑顔に色気がある気がするのは、中身が沢渡部長だからなんだろうか。破壊力が増していて心臓に悪い。
「ねぇ、イライザ様、今のお話は?」
案の定、隣で聞いていたメリッサが、好奇心を抑えきれない様子で小声で問いかけてきた。
「さぁ?今朝王城から何かの書状が届いていたようですけれど…。何のお話でしょうね?」
公爵令嬢スマイルで誤魔化していると、パトリックの肩が小刻みに震えているのが目に入った。これ、沢渡部長、笑ってるでしょ…。
いいタイミングで教室に教師が入ってくる。よかった、メリッサの追及を受けずに済んだ。まったく…本当に油断ならない。
1コマ座学を終え、いよいよ実技の授業の時間を迎えた。緊張で少し手が震える。特訓したとはいえ、たった数日。今までのイライザと明らかに見劣りするような事態になってしまったら、どうしよう。
大きなプレゼン前のような、心臓が張り裂けそうな気分だ。
実技の授業のため校庭に移動する廊下で、私は深いため息をついた。その時、ポン、と優しく頭に触れる手。顔を上げなくても誰だかわかる。
「心配するな。お前ならちゃんとできる。自信を持て」
こそっと耳元で囁いて、パトリックが追い越していった。
本当に全部お見通しなんだよね。敵わないなぁ。
強気に見えて、意外と緊張しいな私を、沢渡部長はいつも不愛想に励ましてくれてた。ちょうど、今みたいな言葉で。
私はしゃんと胸を張って顔を上げる。大丈夫。沢渡部長の評価は絶対だ。だから私にはできるはず。
――結果、実技は成功した。一番の懸念だった火の魔法も無事クリアして、優良との評価をもらえた。
そしてもちろん、パトリックの魔法は素晴らしくて、担当教師に絶賛された。なんと、アンジーの成績を上回るほどの出来らしい。なんでも、以前よりさらに一皮向けて洗練されたそうで。悔しいが、ハイスぺはどこまでいってもハイスぺのようだ。