「ボールを投げれば、なにかが返ってくる(たぶん)」
第二話
異動からちょうど一週間が経った。
草は刈った。虫とも戦った。味噌汁の出汁が美味しいことも知った。
だけど今日、僕の中でひとつの疑問が浮かんでいた。
「なぜ、会社にソフトボール部があるのか」
いや、部があるだけなら別にいい。どこの企業にもあるだろう。ゴルフ部とか、ランニングサークルとか、謎の将棋同好会とか。
問題は──
「全社員、強制参加」
って書いてあったことなんだよね。
会社の掲示板に、白黒コピーの手作りチラシで。しかも「初心者歓迎!」の横に「逃げるな若手!」って落書きが追加されてる。
いや怖い。地方って穏やかって聞いてたんだけど?
ソフトボールから始まる社会的圧力、ありました。
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「グローブって、右手でしたっけ?」
初参加の僕が放った第一声。
それに対し、キャプテンこと経理の大島沙織さんは笑顔で言った。
「その質問が出る時点で、初心者認定ね。安心して、うちには“ゼロから”が何人もいるから!」
この“ゼロから”という言葉が、あとで深い意味を持つとは、このときの僕はまだ知らなかった。
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◆ 放課後(※会社だけど)/支社裏グラウンド
支社の敷地内にある草っぽい空間。それが「グラウンド」と呼ばれていた。
フェンスの一部は傾いていて、向こうに見えるのは瀬戸内の海。たぶんロケ地としては最高。運動場としては最低。
「じゃあまずはキャッチボールからねー!」
大島さんの声で、ボールが飛んできた。
──ポフ。
……あ、捕れた。
でもグローブのど真ん中じゃなくて、指に直撃したから普通に痛い。野球って、スポーツだったんだな……(今さら)。
「次、投げてみて!」
言われた通りに振りかぶって、投げた。
──ボールは、右45度の方向へぶっ飛んでいった。
「あ、思ったより“ゼロ”だね」
あ、はい、ゼロでした。
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その後も、キャッチボールはフェンスに直撃。
バッティング練習では空振り3連発。
「いいフォームしてる!」って褒められたけど、それ“形だけ”って意味だよね?
「八木原くん、いい汗かいてるね!」
そう言ってくれる大島さんの声が、地味に刺さる。だって僕はただ、必死に生き延びてるだけなんだ。
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◆ 練習のあと/海辺の風とともに
練習が終わった頃には、日が傾いて、空がオレンジに染まり始めていた。
グラウンドの端っこに座って、泥のついたグローブを眺めながら思う。
(なにしてんだ、俺……)
草を刈って、ボールを追って、泥だらけ。
数字を追っていた東京時代とは、あまりにも景色が違う。
でも、なんだろう。
ここでは、うまくやれないことが、そんなに恥ずかしくない。
誰も僕を笑わない。
むしろ、できない姿を受け入れてくれる空気がある。
これが、地方ってやつなのか。
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その日の夜、寮の部屋で僕は、ノートを開いた。
草刈りの日から、ちょっとずつ続けてる「なんか気づいたことメモ」。
・キャッチボールは、思ってるより怖い
・グローブが泥だらけでも怒られない
・“ゼロから始める社会人”も、案外悪くないかもしれない
今日も、明日もうまくやれないかもしれない。
でも、“やり直せる場所”って、たしかにある。丸亀ってとこに。