「この仕事、向いてないかもしれません」
第十七話
ある秋の夕方。
定時を過ぎた管理課には、まだパソコンのキーボードを打つ音が静かに響いていた。
八木原が備品台帳のデータ整理をしていると、隣の佐伯さんの手がふと止まった。
ため息がひとつ。つぶやきがひとつ。
「……私、この仕事、向いてないかもしれません」
⸻
◆ 午後5:48/残業の帳のなかで
「備品の伝票、3回確認したのに間違えてて。
発注もミスってて、製造部に怒られちゃって。
なんかもう、“いる意味あるのかな”って思っちゃって……」
佐伯さんは、目を伏せたまま言葉を重ねた。
誰かを責めるでもなく、自分をただ静かに責めているような声音だった。
八木原は、そのとき“あの頃の自分”を思い出していた。
⸻
◆ 半年前/赴任初日を思い出す
移動先が香川県丸亀市と告げられた日、八木原も思っていた。
「なんで俺が?」「この仕事、やっていけるのか?」
慣れない書類、知らない人、距離のある空気。毎日が“向いてないかも”の連続だった。
でも――
気づけば少しずつ、机に馴染み、同僚と笑い、町のうどんに癒され、
“今日も悪くなかった”と思える日が増えていた。
⸻
◆ 午後6:10/言葉にできたことが、第一歩
「佐伯さん、前にも言いましたよね。
“失敗って、自分のポジションが見えてくるサイン”だって」
佐伯さんは、少し目を見開いて八木原を見た。
「自分が得意じゃないことがわかるって、強みですよ。
そのうち、頼り方も、頼られ方も、自然にわかるようになります」
「……それ、八木原さんもそうだったんですか?」
「ええ、俺なんか今でも“向いてないかも”って思うことありますし。
でも、気づけば、今日もこの机に座ってるんですよね」
それは、派手じゃないけど、大きなことだった。
⸻
◆ 午後6:35/一緒に片づける時間
2人で無言のまま書類をまとめ、電源を落とし、残った蛍光灯の下で笑い合う。
「私、明日もちょっと頑張ってみます」
「それで十分です。毎日“ちょっと”続けていれば、気づいたら変わってますよ」
⸻
◆ 夜/寮の窓、秋の夜風
・“向いてない”は、自分を知る入口
・“合ってるか”より、“続けたいか”のほうが大事
・向いてない日があっても、向き合った日はちゃんと積み重なる
この仕事が天職かどうかなんて、誰にもわからない。
でも、今日、悩んで、言葉にして、向き合った佐伯さんの姿は、
きっと“働くってなんだろう”という問いへの、大きな一歩だった。