「“教える”という、人生でいちばん地味で尊い仕事」
第十一話
人間、何事にも“慣れ”が必要だ。
でも、慣れたころに限って、新しい波はやってくる。
「八木原くん、聞いた? 来週から管理課に1人、異動してくるって」
朝の給湯室で、紙コップにインスタントコーヒーを注ぎながら、大島さんが言った。
「……まじですか?」
「うん。若いらしいよ。あと、“ちょっと変わってる”って噂」
若くて変わってる――
その言葉だけで、脳内に100パターンのめんどくさい人間像が浮かんだ。
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◆ 翌週月曜日/支社・管理課
「今日からお世話になります、佐伯杏です!よろしくお願いします!」
やってきたのは、小柄で髪をひとつ結びにした、元気そうな女性社員だった。
社歴は2年目、前部署は資材課とのこと。
名札に貼られたうどんのマークシールが、彼女の丸亀初心者感をよく表していた。
「佐伯さん、ひとまず今日から八木原くんがOJT担当ね。なんでも聞いてくれていいから」
藤巻課長、さらっと爆弾を置いて去るな。
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◆ 午前中/いきなりの“教える側”
「じゃあ、このファイルの並び、まずはこのルールで整理してもらえますか?」
「了解です!あ、ちなみにこれって、棚卸しのときどう使いますか?」
(……え、棚卸しってそこから説明?)
説明するのって、思ったよりも難しい。
なにがわかってないのかを、まず自分がわかってないと、相手には絶対伝わらない。
自分が新人だったころ、こうやって誰かが教えてくれていたことを、
この瞬間にようやく実感した。
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◆ 昼休み/食堂のうどんと“初心者の顔”
「この食堂、うどんほんとに美味しいですね!」
佐伯さんが笑う。天ぷらを後乗せするか先乗せするか、楽しそうに悩んでいた。
「八木原さんは、いつもここで食べてるんですか?」
「まあ、はい。安くて落ち着くんで」
そう言いながら、自分が“ここに馴染んでいる”のをふと自覚する。
新しい誰かが来てくれると、自分の“今の場所”がちゃんと見えてくるんだな。
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◆ 午後/不器用な手つきに、かつての自分を思い出す
「すみません、エクセルの関数、いまいち理解できなくて……」
「ああ、じゃあ一緒にやってみましょうか」
あの頃、自分も「=SUM()」で頭がいっぱいだった。
カーソルの動かし方ひとつで、30分悩んだこともあった。
“手間をかけてあげること”は、“相手を責めないこと”でもある。
それが、教えるという行為の本質なのかもしれない。
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◆ 夕方/静かな達成感
「今日はありがとうございました! 明日もよろしくお願いします!」
佐伯さんが笑って頭を下げる。
その姿を見ながら、ふと思う。
(ああ、俺、少しは“支えられる側”じゃなくて、“支える側”になったんだな)
教えることは、相手のためのようで、自分自身へのフィードバックでもある。
“できること”が、誰かの役に立つ。
それが、少しだけ自信になる。
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◆ 夜/寮の部屋で、ぼんやりと思う
・「わかってるつもり」は、誰かに教えるときに試される
・“教えること”は、“自分を確かめること”
・後輩は、未来の自分かもしれない
管理課で働くことにも慣れてきたと思っていたけど、
まだまだ知らないことも、忘れていたこともあった。
でも今日、誰かのために手を動かして、言葉を選んで、説明した時間は、
たしかに自分の“成長”だった。
明日も、明後日も――
この町で、この職場で、「ちゃんと誰かの役に立てる人間」でありたい。