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枯葉  作者: summer_afternoon
7/8

水曜日は被害者


パーティは、服装こそフランクだけれど、オレが経験したことのない様相だった。まず、バンドの生演奏。ライブ会場かって感じの熱いジャズ。髪が色とりどり。青ピンク白オレンジ黄緑など。年齢層はオレ達くらい。それでそんなってことは、かなり個性的。たぶん。性格だけじゃなく生き方も。

オレは、最初、尾美さんの通訳兼広報みたいな立ち位置でパーティに参加していた。気づくと、尾美さんは英語がほぼできないのに、1人で渦の中にいた。いろんな人と握手する姿を見ながら、巣立ちを見届けた母鳥の気持ちになった。


オレの滞在期間は5日間。尾美さんの滞在期間は14日間。

心配だった。

即、辞表を出して、一緒にいたいくらいだった。オレが味わった夜を誰かが味わうことが簡単に想像できた。それが起こったかどうかは、知らない。


帰国後は日々のルーティンを熟した。

尾美さんが帰国するとき、休暇を取り、レンタカーで成田まで迎えに行った。必死すぎるだろ、オレ。

長時間のフライトで疲れているだろうに、オレは尾美さんの脚にむしゃぶりついた。「捨てないで」と心が悲鳴を上げていた。相手の体を気遣うこともせず、最低。でも、どうしようもなかった。


自分はつまんない人間だ。『ドクターアンドー』と様々な声が頭の中で木霊する。求められる成果を出し、求められる人間像を演じる。家庭はない。そんな余裕がなかった。『ドクターアンドー』と呼びかける様々な面々が()ぎる。子供の話をしていた。パーティには夫婦で来る。息子とクリスマスツリーの木を切る話、孫のガールフレンドを招いた話、オレが趣味の分野にねじ込ませることができる唯一はジョギングで、街の風景を話題にするしかなかった。街路樹、屋台、ストリートの清掃車。


以前、上司に尋ねたことがある。上司といっても、すぐ上じゃなく、雲の上のようなトップクラスの人だった。


『今のポジションになったとき、どんな気持ちでしたか?』


その上司は答えた。


『そりゃ嬉しかったさ。水の中で足掻いていた魚だったのが、空を飛ぶ鳥になった気分だった。いろんなものが見えた。そこの空気は毒ガスだったがね』


2人で笑った。

あの時オレは、エスプリの効いた話をする上司に強烈に憧れた。次の栄転の話を受けると、そのポジションが見えてくる。

あの後、別荘でハンティングした話を聞いた。鹿の頭をリビングに飾りたいと言ったら、奥さんから猛反対されたと。少し離れた輪にいた奥さんは、美味しいスープを作りそうなぽっちゃり美人。中身はバリキャリの弁護士だったのだけれども。それもひっくるめ、輝いて見えた。

オレは毒ガスを知る前に水中で溺れる。


業務に疲れた。コミュニケーションに疲れた。つまんなくない自分を演じるのに疲れた。


尾美さんは黙って、オレを受け入れてくれた。抱きしめてくれた。


「仕事、辞める」


尾美さんの胸の中の香りが心地いい。


「そっか。おつかれさま」


オレを撫でる手、柔らかい肌。

尾美さんでよかった。「これからどうするの?」なんて言わない。



隣で眠る尾美さんの肩口にキスをして、そっとベッドを抜ける。エアコンをつけていない部屋はちょっと寒かった。日の出前。ブラインドの角度を変えると(あかり)の少ない静かな夜景。住所バレした尾美さんは、結局、引越しはどうするんだろ。ここで「一緒に暮らそう」って言えない無職になる自分が辛い。けれど、それよりも、辞職することとそれを尾美さんに話した身軽さが勝る。


買っておいたコンビニのパンを持って部屋を出た。

マンションの敷地から、LEDの街灯の公道へ足を踏み出す。がさっと枯葉を踏む音には猫以上の体重があった。振り向くと、何かが向かってくる。黒い塊。

次の瞬間、背中の下の方、右脇に衝撃的な痛み。

走った。靴がアスファルトに当たる音が響く。息が上がる。振り向いた。かなり離れた場所に肩で息をするシルエットが見えた。

もう追ってこない。そう思ったら体から力が抜けた。四つん這いになって痛みの場所に手を持って行こうとし、バランスを崩した。


意識が戻ったのは、病院のベッドの上だった。


「ドクターアンドー。刺されたんです。落ち着いたら警察の人が来るそうです」


やたら顔のいい秘書が言った。入社当時、顔採用と噂されたけれど有能な男。


「忙しいのに申し訳ない。今日の会議は?」

「全部キャンセルしました。2週間分」

「ありがとう」

「治療に専念してください。入院は個室にしましたけれど、いいですよね?」

「ああ」

「そうじゃないと、時差があるから」

「え、時差って、仕事すんの? オレ」

「じゃないと回りません。幸い近いので、僕が通います」

「あ、そう。どーも」

「なるべく連絡しないように善処します。こちらがスマホの充電コード。テレビのプリペイドカード。下着類は病院から支給されます。退院の時に精算してください。ご両親に連絡しようか迷いましたが、命に別状はないということだったので、僕からは連絡していません」

「OKOK。それでいい」

「では、失礼します」

「ありがとう。感謝するよ」


秘書が退室し、ぼーっとする。

痛い。何だったんだろ、あれ。

なんで刺されたんだろ。尾美さんの狂信的なファン? いやいや。尾美さんは顔出ししていない。それどころか「036」で「オサム」という男性だと思われている。ちょっと前に、同じマンションの住人が刺されたっけ。あっちと関連あるんだろうか。あの事件、犯人って捕まったのか? それすら知らない。


家には連絡しなかった。尾美さんには、警察に話を聞いてからにしようと思った。

友人Aにメッセージを送った。


「なんか、刺された」


こっちの説明不足が甚だしかったから「蜂? 蚊?」って。もう蚊の季節じゃないって。ニュースになってないんだな。


「人間」

「女?」

「分からん」

「w」

「2週間入院」

「え、大丈夫?」

「ひま」

「病院どこ」

「**」

「帰りに寄る」

「今って面会できるんだっけ?」

「調べて行く」


友人Aが来たとき、会社からも人が来ていた。飲食禁止なので、見舞いの品は花か本。秘書はパソコンのセキュリティ設定をしている。

会社から来た人間は、秘書以外、夕食ついでに顔を出しただけ。仕事に戻った。時刻は19時。友人Aは「これから仕事?」と引いていた。そして、サインが必要な書類をばさっと出した秘書に、もっとドン引きしていた。

秘書は、友人Aとオレを2人きりにするなどという気の利いたことをせず、面会時間終了まで、みっちりと業務を熟した。気を利かして帰ったのは友人Aだった。


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