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5. 北山 奏斗 過去編

高校の軽音部での出会いは、俺にとって予想外の瞬間だった。あの日、部室に入ると新しいメンバーが紹介された。有元 美緒だ。彼女はその日、まだどこか緊張した面持ちで、黙ってギターを抱えていた。自己紹介が終わったあと、顧問が

「美緒、お前も何か一曲やってみろよ」

と言ったとき、彼女は少し戸惑いながらもステージに立った。そのとき、俺は特に期待もしていなかった。正直、俺自身も最近は軽音部の活動に対してやや冷めた気持ちを抱えていた。自分の演奏に自信が持てず、仲間との溝を感じていたからだ。そんなモヤモヤした気分で、何気なくギターをいじりながら、彼女の演奏が始まるのを待っていた。しかし、美緒が歌い始めた瞬間、空気が変わった。静かだった部室が彼女の歌声で満たされ、その透明で力強い声が俺の心に響いた。まるで心の壁を一瞬で打ち破られるような感覚だった。演奏が終わると、部室中が静まり返った。誰も言葉を失っていたようで、俺はただ呆然と彼女を見つめていた。そんな俺の視線に気づいた美緒が、少し照れくさそうに微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、俺の胸に何かが込み上げてきた。

「すごいな、お前」

気がつくと、自然に言葉が口をついて出ていた。自分の驚きと感動を隠せずに。

「ありがとう。でも、まだまだだよ」

美緒はそう言って、少し遠慮がちに笑った。俺は彼女の謙虚な態度に、さらに心を動かされた。これだけの才能がありながら、自信満々ではなく、まだ努力を続けようとしている。その姿勢が、俺にはまぶしく映った。その日の練習が終わったあと、俺に美緒のほうから話しかけてきた。

「奏斗くんって、すごく真剣に音楽やってるよね?」彼女の言葉に、俺は少し驚いた。まさか自分がそんなふうに見られているとは思わなかったからだ。

「いや、そんなことないよ」

俺はすぐに否定したけれど、美緒は首を振って微笑んだ。

「いや、わかるよ。私も同じだもん。音楽に対して、真摯に取り組んでるもん」

その一言が、俺の心の奥に刺さった。最近感じていた焦りや不安、そして自分が何か大事なものを見失いかけているという感覚。美緒は、それを見抜いているかのようだった。

「実はさ、最近、自分の演奏に自信がなくてさ……」

俺は、自然と口を開いていた。美緒の優しい眼差しに、何故か心が軽くなり、自分の悩みを話すことができた。

「うん、そんなときってあるよね。私もそうだよ。自分の歌が本当にみんなに響いているのか、時々わからなくなることがある」

美緒は静かにそう言った。彼女も同じような悩みを抱えているんだと知り、俺は少し驚いた。彼女の歌声はあんなにも力強いのに、彼女自身も不安を感じているとは思わなかった。

「でもね、だからこそ、頑張らなきゃって思うの。一緒に少しずつでもいいから前に進もうよ」

美緒の言葉は、俺の心に深く響いた。彼女の率直さと優しさが、俺の中の閉じこもっていた感情を解きほぐしていくのを感じた。


その日から、美緒との会話が増えていった。放課後の練習の合間に、音楽の話だけでなく、お互いの悩みや夢についても語り合うようになった。美緒はいつも、俺の話に耳を傾け、時にはアドバイスをくれ、時にはただそばにいてくれた。そんな彼女の存在が、俺にとってどれほど大きな支えになっていたか、今思い返すと本当に不思議だ。

「奏斗、今日の演奏、すごくよかったよ」

ある日の練習後、美緒がそう言ってくれた。その言葉に、俺は救われるような気持ちだった。


それからしばらくの間、美緒との日々は順調だった。軽音部の活動も、彼女と一緒だと自然と楽しくなり、俺自身も少しずつ自信を取り戻していった。美緒の励ましがあったからこそ、音楽に向き合う気持ちが強くなり、仲間との距離も少しずつ縮まっていったように感じた。しかし、そんなある日、俺の世界が一瞬にして崩れ落ちるような出来事が起こった。家に帰る途中、俺は交通事故に巻き込まれた。全く予想もしなかったことだった。事故の衝撃で、俺は意識を失い、気がつくと病院のベッドに横たわっていた。体中が痛み、思うように動かすことができない。

「奏斗、無理しないで。今は休んで」

病室に駆けつけた美緒が、涙目で俺を見つめていた。彼女の表情は、俺を心配しているのが痛いほど伝わってきたが、俺はその言葉を素直に受け入れることができなかった。

「こんな状態じゃ、もうギターも弾けない……」

事故の影響で、俺の左腕は深刻な怪我を負っていた。医者からは、完全に回復する保証はないと言われた。音楽を続けることができないかもしれない、そんな不安が俺を支配していた。

「そんなことないよ、絶対にまた弾けるよ!」

美緒は強く言い切ったが、俺の心はすでに折れかけていた。夢中で追いかけてきた音楽が、突然遠くに感じられた。俺はもう、ステージに立てないのかもしれない。

「もういいんだ、美緒。俺なんか、もう……」

自分でも信じられないくらい、弱音が次々と出てきた。今まで感じたことのない絶望感が胸に広がっていく。美緒がどれだけ励ましてくれても、その言葉を受け入れることができなかった。そんな俺の様子を見て、美緒は一瞬黙り込んだ。そして、深く息を吸ってから、ゆっくりと話し始めた。

「奏斗、私もね、いつも不安だったんだ。自分が本当にこのまま歌い続けていいのか、誰かの心に届いているのか、わからなくなるときがたくさんあった。でもね、そんなときあなたがいてくれたから、私は歌い続けることができたの。奏斗いたから、どんな不安も乗り越えられたんだよ」

彼女の言葉は、思いもよらないほど力強かった。俺を慰めるためのものではなく、心の奥底からの本音だと感じた。

「だから、今度は私があなたを支える番。奏斗が諦めようとしても、私は絶対に諦めないから。奏斗が戻ってくるまで、私はずっと待ってるし、支えるよ。私たち、仲間でしょ?」

美緒は、そう言って俺の手を優しく握った。その瞬間、俺は何かが崩れる音を感じた。自分の弱さを隠すために作り上げていた壁が、美緒の言葉で壊れた。彼女は俺の痛みや恐れを理解してくれていた。そして、彼女自身もまた、弱さを抱えながら前に進んでいる。それを知ったとき、俺は一筋の希望を感じた。

「美緒……ありがとう」

それしか言えなかったが、彼女の存在がどれほど大きな救いになっているか、心から実感した。俺はもう一度、音楽に向き合おうと決心した。美緒が信じてくれる限り、俺は自分を諦めない。


その日から、俺はリハビリに専念し始めた。最初は思うように動かせなかった指も、少しずつだが動きを取り戻し始めた。焦りや不安は完全には消えなかったが、美緒が毎日のように見舞いに来てくれて、俺の進歩を喜んでくれることで、俺の心は少しずつ前向きになっていった。そして、数ヶ月後、ようやく退院する日が来た。その日、病院の出口で待っていた美緒は満面の笑みを浮かべていた。

「おかえり、奏斗!こっからがが本番だよ」

彼女の明るい声に、俺は心からの笑みを返した。まだ完全には治っていないが、これからまた一緒に音楽を作っていける。そのことが、俺にとって何よりの希望だった。


美緒は、俺を救ってくれた。彼女がいたからこそ、俺は音楽を諦めずにいられたんだ。これからもずっと、彼女と一緒に前を向いて進んでいく。それが、俺の未来への約束だった。


退院してからの日々は、リハビリと音楽への復帰を目指す日常が続いた。最初は思うように弦を押さえることさえ難しかったが、美緒がそばにいてくれるおかげで、俺は挫けることなく少しずつ前進していた。彼女の笑顔と、何度も繰り返された「大丈夫、絶対にできる」という言葉が、俺の心を支えてくれた。


ある日、美緒がふと提案してきた。

「ねえ、奏斗。この前、軽音部のみんなと話してて、来月ライブに出ようって決めたんだ。もちろん、無理しなくていいけど、もし少しでも出たいって思ってくれたら……一緒にやりたいな」

俺はその言葉を聞いて、しばらく黙り込んだ。腕の調子は少しずつ良くなっていたが、まだ以前のようには弾けない。そんな中でステージに立つのは、正直怖かった。失敗したらどうしようという不安が頭をよぎる。しかし、期待と信頼が込められた瞳を見ていると、その不安を言い訳にすることはできなかった。

「俺、やるよ。ステージに立ちたい」

その言葉を口にした瞬間、心の中に新たな決意が生まれた。俺はもう一度、音楽に向き合い、美緒と一緒に夢を追いかけるために前に進むと決めた。


ライブの準備が始まると、軽音部のメンバー全員が本気で取り組み始めた。みんながステージで最高のパフォーマンスをするために、時間が許す限り練習を重ねた。美緒は、その中心でいつも輝いていた。彼女の歌声は以前にも増して力強く、そして心に響くものだった。練習の合間、俺たちはよく2人で話をするようになった。美緒はいつも俺の回復を気遣いながらも、夢について語り続けた。

「いつか、もっと大きなステージで演奏したいんだ、武道館とか」

彼女の夢は大きく、そして確固たるものだった。その夢を語るときの彼女の目は、本当に輝いていた。

「それ、絶対実現させような。俺もついてくよ」

俺は彼女の夢に共感し、その大きな目標に向かって一緒に進むことを心に誓った。


そして、ライブの日がやってきた。俺はステージ裏でギターを抱え、緊張で胸がいっぱいだった。手汗がにじみ、弦を押さえる指先が少し震えているのがわかった。だけど、ここまで来た以上逃げるわけにはいかない。

「大丈夫だよ。私がついてるから」

美緒がそっと俺の背中に手を置き、笑顔でそう言ってくれた。その言葉に救われ、俺は深呼吸をして心を落ち着かせた。美緒が隣にいてくれる限り、きっと大丈夫だ。いよいよステージに立つ瞬間が来た。照明が俺たちを照らし、観客の歓声が耳に入る。美緒がマイクを握りしめ、俺に向かって軽くうなずく。その姿を見て、俺も覚悟を決めた。ギターのコードを抑え、最初の音を鳴らすと、指が自然に動き出す感覚を取り戻していく。周囲の音が溶け合い、美緒の歌声が響き渡った。その瞬間、俺の中で何かが開かれたような気がした。ずっと抱えていた不安や恐れが消え、音楽に没頭することができた。美緒の歌と俺のギターが一つになり、ステージ全体が熱気に包まれていく。観客もそのエネルギーを感じているのがわかった。音楽がすべてをつなぎ、俺たちの思いを形にしてくれる。まるで、これまでのすべてがこの瞬間のためにあったような気がした。曲が終わり、歓声が響き渡る中、美緒は俺に向かって笑顔を浮かべた。俺はその笑顔を見て、改めて彼女に救われたことを実感した。舞台袖に戻ると、美緒が俺の肩に手を置いて言った。

「奏斗、すごかったよ。もう完全に戻ってきたね」

「ありがとう、お前のおかげだよ」

俺は心からそう言った。もし美緒がいなければ、俺は音楽を諦めていたかもしれない。彼女の支えがあったからこそ、俺は再びギターを弾くことができた。


その日、俺たちは改めて約束した。いつかもっと大きなステージで、また一緒に演奏することを。そして、その夢に向かって、これからも一歩ずつ進んでいくことを。美緒がいる限り、俺はもう何も怖くない。どんな困難があっても、彼女となら乗り越えられると信じている。ライブが終わり、俺たちは達成感とともに次の目標に向かって進んでいた。美緒との絆はますます深まり、彼女と共に歩む音楽の道が、俺の人生そのものになっていた。しかし、次のステージを目指すためには、さらに強い仲間が必要だということも、俺たちは理解していた。そうして新たなメンバーを探し始めることにした。


美緒と話し合いながら、軽音部の後輩や地元の音楽仲間に声をかけたが、なかなかピンとくる人物はいなかった。そんな中、美緒がふと思い出したかのように言った。

「奏斗、私の友達で、颯楽っていうすごくいいドラマーがいるの。実力は本物だし、紹介してみてもいい?」

俺はすぐに頷いた。美緒が信頼している人なら、きっと俺たちに合うに違いない。


数日後、美緒に紹介された颯楽と会うことになった。俺たちがスタジオに入ると、颯楽は端の方で控えめに立っていて、なんとなく周りを伺っている様子だった。美緒が俺を紹介すると、颯楽はおどおどしながら、緊張した笑顔を見せてきた。

「ど、どうも……颯楽です。あ、あんまり人前で話すの得意じゃないんだけど、よろしく……」

颯楽は目を伏せてスティックを握りながら、どこか不安げな表情をしていた。

「よろしくな、颯楽。美緒からお前のドラム、すごいって聞いてるよ」

俺はなるべくフレンドリーに話しかけた。彼をリラックスさせたかったが、颯楽はまだ少し戸惑っている様子で、手元のスティックを握り締めていた。

「う、うん、まぁ……その、すごいかどうかは……」

颯楽は声を小さくし、何か言いたそうにしながらも、すぐに口をつぐんだ。美緒が笑いながら、

「颯楽、全然心配しなくて大丈夫だから。いつもの調子で叩いてみてよ」

と軽く促すと、颯楽は少し安心したようで、スタジオのドラムセットに近づいていった。颯楽がスティックを手にしてドラムセットに座ると、さっきまでの不安な雰囲気が変わった。彼は少しだけ息を整えてから、スティックを握り直し、ゆっくりとドラムを叩き始めた。最初は控えめだったが、リズムに乗るにつれて、彼の演奏は徐々に力強くなり、独特のグルーヴを生み出していった。颯楽ドラムは驚くほど安定していて、どこか柔らかさと温かさを感じさせるものだった。


演奏が終わると、颯楽は一瞬だけ俺たちの方を見て、それからまた目を伏せてモジモジしながら、

「ど、どうだった……?その……変じゃなかったかな……?」

と小さな声で尋ねた。俺はすぐに答えた。

「いや、全然変じゃない。むしろすごくいい感じだったよ。颯楽、お前、リズム感がすごく自然で、すごく心地よかった」

美緒も頷きながら、

「うん、やっぱり颯楽のドラム最高だよ!これなら、きっとバンドもうまくいくね」

と笑顔で言った。颯楽は少しだけ照れくさそうに肩をすくめながら、

「そ、そう?よかった……なんか緊張しちゃって……でも、うまくできたなら……よかった……」

とオドオドしながらも安心した表情を浮かべた。


それからしばらく颯楽と話をしてみると、彼は確かに内向的でおどおどしたところがあるが、それでも温厚な優しい一面を持っていることがわかった。時折、ふっと変わった言い回しをすることがあり、それが不思議と面白く感じる。

「音楽って……なんか、宇宙みたいだよね……?音が繋がって広がって、まるで星みたいに輝くんだ……」

颯楽はそう言って、どこか遠くを見るような目をしていた。その独特な感覚に、俺も美緒もつい笑ってしまった。

「颯楽、お前、ほんと不思議な奴だな。でも、それ俺たちにぴったりかもしれないな」

俺はそう言って、彼の肩を軽く叩いた。颯楽は少し照れくさそうにしながらも、

「うん……俺、みんなと一緒にやるの、楽しみにしてる……。でも、ちょっと緊張しちゃうかも……だから、その……よろしくね……」

とまたおどおどしながら言った。


こうして颯楽が俺たちのバンドに正式に加わり、メンバーは一気に賑やかになった。彼の控えめで温かい性格は、バンドの中で不思議と心地よい存在感を放ち、俺たちの音楽に新たな深みを加えてくれた。

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