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(あとがきにかえて)

鐘声夜半録(しょうせいやはんろく)』が書かれたのは、尾崎紅葉に弟子入りをして、紅葉宅に書生として寄宿していた鏡花が、父の危篤を聞いて金沢に帰省した時期(明治二十七年一月から九月まで)にあたる。

 この間に鏡花は、十五、六本もの短編と一本の長編(『義血侠血』)を書き上げている。持病の脚気(かっけ)や戦争不安、精神衰弱に悩まされながら、父なきあとの戸主不在の家計を支えなければならない重圧のなかで、売れるかどうかもわからない小説をひたすら書いていたのである。書いた作品は東京に送って紅葉の添削を受けていた。送られてきた『夜明まで』という作品(題名までも『鐘声夜半録』と添削された)を読んだ紅葉は鏡花宛の手紙のなかで、


 ▶巻中「豊嶋」の感情を看るに常人の心にあらず

 一種死を喜ぶ精神病者の如し

 かゝる人物を點出するは畢竟作者の感情の然らしむる所ならむ◀


 と、弟子の精神状態を案じて、激励の言葉をかけるとともに、別途金三圓の為替を送っている。

 じっさい『鐘声夜半録』は、語り手でもある主人公から道ばたですれ違う端役に至るまで、だれ一人まともな人間が登場しない小説だ。語りの視点からして狂っていて、まず書き手の正気を疑ってしまうところなどは、シュルレアリスムの予兆となった時代のエキセントリックな作家たちに似てはいないか。ことに『狼狂(リカントロープ)シャンパヴェール』を書いたペトリュス・ボレル (1809-1859)のような狂人作家のことを思い出してしまう。……同時代の日本文学の一大潮流(自然主義)に逆らった作家の個人的な作品史のなかに、古代から近世までの日本文学のエッセンスが含まれている、というのが鏡花に対する一般的な評価なのだが、それと同時に同時代(大雑把にホフマンやメリメからプルースト、シュルレアリスムあたりまで)の海外文学との共鳴が、こんなときに、ふと感じられたりもする。


 ……いや、話を元に戻すと、『鐘声夜半録』執筆当時の鏡花の窮状は、作家伝的な書籍、あるいは自筆年譜や談話『おばけずきのいわれ少々と処女作』(明治四十(1907)年)

 https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/48329_33335.html

などからもうかがい知れる。百間堀に身を投げようとしたのも鏡花自身の実際の経験で、本作にはそんな私小説的な側面もあるのだけれど、書籍化されたのは出世作『夜行巡査』(明治二十八年四月)のあと(同年七月)だったようで、多くの読者にとっては話題の観念小説、悲惨小説作家の最新作として目にふれた作品だった。


 不自然で極端で唐突なストーリーが、中途半端に翻訳調のぎこちない文章で語られるのが、観念小説と呼ばれていた頃の鏡花作品の特徴なのだが、とりわけ本作はすべてにおいて違和感だらけの印象で、翻訳調のハードボイルドタッチで描かれる人情話のなかに、勧善懲悪ものっぽい悪役や戯作調の熱血漢が乱入するのに呆れているうちに、登場人物がバタバタと死を選んでいく。ことに主人公が近藤定子の自殺を当然のこととして見逃す場面の叙述は異常でしかないと、この小説に触れた誰もが指摘している。

 いくつかの評論を読んだうちで、なぜだか見逃されているのが三章の終わり近くにある、


 ▶予は思はず憐愍(あわれ)を催して、懐中(ふところ)を探れば、間に合ふ程の金員あり。……(中略)……さりながら心は少時(しばし)麻の如く亂れしが、(つい)に一葉の五圓紙幣を寸斷し去りて、道路に棄て、敢て、人に貸すに(やぶさか)ならざるを誓ひて、少しく心を安んじけり。◀


 と、吉倉父娘に渡そうとした五円の為替を主人公が破り捨てた箇所である。しかもその理由が、自分の心を落ちつかせるためだというのがとんでもない。もしも豊島が自己愛めいた考えを棄てて素直に父娘に五円を提供していれば、おそらく幸は刺繍の仕事を断ったのだろうから、すべての悲劇は回避できたわけで、主人公に対しては、お前がすべての不幸の根源だと突っこみたくもなる。

 こうした、相手の立場をおもんばかるよりも、自分のなかに存在する相手のイメージと自分との関係を美しく保つことを優先する、現実的にみれば理不尽きわまりない選択は、のちの『照葉狂言』(明治二十九(1896)年)のラストで二人の女性との関係を断つ主人公や、『日本橋』(大正三(1914)年)でお孝を置いて姿を消す葛木晋三などでも繰り返されることになる。


 じつは、五円(こちらは換金前の小為替証書だったが)を破り捨てるというのは、実際に鏡花自身がやらかした不可思議な行為でもあった。

「新編 泉鏡花集 別巻二 年譜」には、


 ▶明治二十四年七月 鏡太郎満十七才

夏以来の困窮に堪えかね、伯母・従姉の住む辰口の家に頼み、五円を借用したが、借財が余りにも多く、窮まって五円の為替券を裂いた。◀


 とある。故郷金沢を出て単身上京した鏡花が、尾崎紅葉の門を叩く勇気を出せずに放浪生活をしていたころのことで、このとき鏡花を心配した従姉(母(すず)の兄である中田孫惣の娘)は、秘蔵の珊瑚の(かんざし)を売ってまでして五円の小為替を送ってきたのだが、それを破り捨てたというから、鏡花の行動は自分のことしか見えていない奇行、あるいは心の病気だとしかいいようがない。

『鐘声夜半録』の奇妙さには、そういった自身に潜む不可解な衝動を、寄せ集めて凝縮した観がある。


 そんな可怪(おか)しな作品をここで取りあげたのは、ただ面白がって、というわけではなくて、『鐘声夜半録』に凝縮された奇矯なるものが、鏡花の生涯を通じたモティーフの源泉になっていると思うからなのだった。

 上に挙げた『照葉狂言』や『日本橋』以外では、遺作である『縷紅新草』が、本作とほぼ同じ物語を内包することが筆頭に挙げられるとして、別に現代語訳をアップした『桜心中』や『伯爵の釵』は、本作と同じく兼六園周辺を不可欠の舞台にした作品であるし、入水する美女のイメージは『葛飾砂子』や『春昼』などで活用される。細部でいえば、郵便局で為替を受け取るシークエンスは『国貞ゑがく』を思わせるし、吉倉家の障子に映る父娘の影法師は『歌行燈』の印象的な場面に重なる。自殺(心中)の連鎖という奇妙なシチュエーションは、『(うたの)立山(たてやま)心中(しんじゅう)一曲(いっきょく)』でふたたび取りあげられるのだが、『鐘声夜半録』のほぼ四半世紀後に書かれたこの作品では、世にも奇妙な心中博覧会とでもいいたくなるような悪趣味すれすれの趣向が際だって、本作に横溢した過剰に深刻な死のイメージはすっかり相対化されたかのようだ


 どう読んでも不自然きわまりない、としかいえないのが『鐘声夜半録』という作品なのだけれど、鏡花の生涯を通じて創作のモティーフを提供し続けたという意味では、小説としての出来はどうあれ、いったんは書かれなければならなかった作品であり、と同時に複数の鏡花作品を読もうとする読者にとっては、読まれなければならない作品でもあるはずだ。

(了)


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