二
二
私は紺屋坂を下った。そこには地方裁判所や金沢刑務所など、二、三の巨きな建物が建っている。民家から離れた板塀や土塀が際限なく連なって、ことに今の刑務所は封建時代の公事場の跡地であって、当時は手酷い拷問が行われ、すさまじい悲鳴がいつも道路に漏れていた。人々はそれを怖れて、この界隈を往来しなかったのである。その習いが今も残って、深夜ともなると、生きた人が暮らす世界とは思えぬほどの凄まじさを感じさせる光景に、ただ月だけが冴えわたっている。
先刻から私は、あの女のことにばかり気を取られて、時を告げる鐘の音を聞き漏らしていたが、もう深夜の一時になろうか。刑務所の前を過ぎて、はるか先にある町外れのほうに目を向けると、そこに二人の人影がしきりにからみあっているのが見えた。周囲が静かなために、二人の会話も聞き取れる。
「とりあえず、お待ちなさいってば」
力を込めた口調で言っている。もう一人は苛立った声で、
「いいえ、お放しになって、いいえ」
振り切って去ろうとするのを引き留めて、行かせない、行くと争っているようだ。
足を速めた私の足音に驚いたのか、二人の影が離れて左右に分かれたそのとき、私は彼女らの顔を見た。一人は走り出し、一人は追いかけた。
先刻の公園で私が跡をつけていた間は、ずっとその後ろ姿を見ていただけだったから、ことさら気づくこともなかったのだが、このときちらりと垣間見た真っ白な顔、赤い唇、清んだ眼は、私が以前から知っている顔であった。さらには彼女と言い争っていたもう一人の女とも、面識がないわけではなかった。
私が初めて彼女たちを見たのは、このあいだの日曜日だった。その日は花曇りの空模様を気がかりに思いながらも、構うことなく公園で桜を見ていたのだが、帰り道で雨に降られ、他人の家の軒先で雨飛沫を避けていた。すると後から同じ場所に駆けこんで、雨宿りをする女がいた。私が面識があると言ったもう一人の女とは、彼女のことである。
長らく晴れ間を待っていたが、雨はますます激しくなり、すぐには止みそうもなかったから、どうしようかなどと言葉を交わしていたが、格子戸のなかから優しい声がして、
「さぞお困りなことでしょう。まだしばらくは止みそうにもありませんから、一本しかありませんし番傘ですが、よろしければお持ちくださいませ」
と言って傘を貸してくれた美人こそ、今夜入水自殺をするのではないかと疑っている女なのだった。
そのとき私は表札を見て、吉倉という姓を知った。
その家には父と娘だけが暮らしている。女は名を幸といって、十九歳だった。
押し絵や刺繍などの手芸が得意で、金沢にある高等女子福祉事業所の職工の筆頭を勤め、いくばくかの月収を得て父を養うという、まことに親思いで、身持ちの正しい娘であることを、後日人づてに聞いたのである。
その日はもう黄昏どきになっていたので、一本の傘に男女二人が入って歩いても、人目を気にすることはなかった。私は例の雨宿りをしていた女といっしょに帰路についた。途中で別れるにあたって、女は一枚の名刺を差し出した。近藤定子と書いてある。
「安息日にはちょっといらっしゃってみませんか、これをご縁に」
と挨拶して、彼女はとある西洋館のなかに入っていった。定子はキリスト教の宣教師である外国人ハレスの家に住み込んでいる市立北陸女子英学院の教師であると、一緒に歩いている間に彼女自身が語った。私は疑うまでもないと思ってそれを聞いていた。なぜなら彼女の物言い、雰囲気はまったく女教師そのものであったから。
その翌日、傘を返そうと出向いたところ、女教師もまた吉倉の親切への礼を言うための訪問中で、女同士でもあり早くも打ち解けて、親しい友のように語りあっていた。幸が休んでいくように勧めても、また定子がいっしょに帰ろうと迫っても、私はひたすら辞退してその日は帰宅した。その日以来、幸は私の思い人となった。私はかたときも彼女のことが忘れられなくなった。
ある日私は、郷里から送られてきたいくばくかの為替金を郵便局で受け取って、友人の家で半日を潰し、夜になって下宿に帰る途上で、意図せず吉倉家の裏を通り過ぎた。ちょっとした柴垣を隔てた、ごく狭い庭の向こうでは、燈火の光が障子に差している。家の奥と思える場所から、しわがれた声と艶っぽい声が語りあっているのが聞こえた。私は聞くともなくそれを耳にして、足を止めた。
そのとき、うつむいていた女の影法師が身を起こした。
「どうしましょうね、お父さん」
相手は力なくため息をついて、
「そうさなあ、家を抵当に入れるというわけにもいかず、めぼしいものは、もうとっくに全部なくしてしまったし、ほんにどうにもしようがない。わずか五円かそこらの金でこんなことになるとは、窮すればこうも窮するというものか。わしも足腰は立つ身でいながら、お前に養われっぱなしで苦労をかけてばかりで、ああ申し訳ない。親として恥ずかしい」
禿げ頭の影がしょんぼりとうなだれた。銀杏返に結った影が動いて、
「とんでもないことをおっしゃいます。私に甲斐性がありませんから、いつもご心配をかけてばかり。今度のことも折り合いが悪くて、なんとなくの体調不良で半月ほど仕事を休んでいたせいで、ここまで家計が追い詰められてしまいました。お年寄りにとんだご苦労をさせてしまいまして……」
思わず私は、同情を禁じえなくなって、懐を探ったところ、この父娘の窮状を解決できるほどの金額がそこにあった。進んでこれを差し出そうと家の表に回って彼女を呼び出そうとしたのだが、自分の心を顧みて、すんでのところで思いとどまった。これからやろうとしているのは、金を出して女の愛を買うのと同じことではないか。なんと卑劣な行為であることか。とはいえ私は思いきれず、少しの間、心を千々に乱していたのだが、しまいにはその五円紙幣をびりびりに破って道路に棄てた。他人に貸し与えることを惜しんで貸さなかったわけではないと思い切ることで、少しばかり気持ちを落ちつかせたのである。これがどれほどの狂気であったか、愚行であったか、自分では理解できなかった。
そうやって心を冷ました私がその場を去ろうとしたとき、行く手からやって来た一人の女と、思いがけず顔を合わせた。
「おや、豊島さん……じゃありませんか」
私も同時に声をあげて、
「ええっ、近藤さん」
女教師の近藤定子が、今夜も幸を訪ねようとしているところに行き逢ったのだった。
私はそれから起こった出来事を、今夜に至るまで知らなかった。幾日かの間を置いて、いま彼女らに再会したのだったが、とっさに声をかける隙もなかった。走り去る美女は幸であり、それを追う女は定子なのだった。