第9話 旦那様は堅物ですので不貞は致しません(けれど心は別物)
「王太子殿下のお心は私にはない、からだったか?」
王太子殿下は目を細め、肩を竦めています。
王太子殿下の言葉を聞いたアマンダ様が、白い顔をみるみる真っ赤になさいました。己の言ったことを恥じておられるのでしょうか。
「王城で堂々と昔の恋人と逢瀬とは、さすがに王太子妃としての自覚が足りないぞ。子が出来てからなら許してやったものを」
「アルフレッド殿下……!」
セドリック様が思わずといった感じで、王太子殿下の名を呼びました。
「なんだ、セドリック。まったく、堪え性のない。お前にも世継ぎが出来てからならばアマンダの愛人にしてやると言っただろうに」
王太子殿下の言葉に、私は驚きました。
その条件があったから、セドリック様は私と白い結婚をするつもりはないとおっしゃったのでしょうか。離縁できなくとも、少しだけ辛抱すれば、王太子殿下の許しを得てアマンダ様の愛人になることが出来るから。
「殿下! その話はお断りしたはずです! それに私は何も……」
セドリック様は愛人の話を断ったのですね。
けれど、セドリック様の顔は真っ青です。それが、ご自身が犯してしまった罪への恐れから来るものではないことを祈ります。
「それが通用するとでも思っているのか? お前たちの迂闊な行動のせいで、もし今アマンダが子を孕んだとしても、それを俺の子と認めるわけにはいかなくなった」
殿下の言葉に、今度はアマンダ様が真っ青になりました。さすがに私もその言葉には引きましたが、ですがそれは仕方のないことでもあるのでしょう。
アマンダ様は次期王となられる方の妃です。万が一にもそのお腹の子が王太子殿下以外の方の胤であってはならないのです。
「それほどまでに互いが愛しいのなら、俺から陛下へと頼んでみよう」
殿下の平坦な、それでいて冷たい声がその場に落ちました。
「な、何をおっしゃっているのですか、殿下……」
王太子殿下の意味深な言葉に、アマンダ様が眉を顰めました。
「離縁してやる。そしたらセドリックと再婚でもすればいい」
アマンダ様は今やカタカタと震えています。
私は無意識に唾を飲み込みました。王太子殿下との離縁など、王命での結婚の離縁と同じくらい、いえそれよりもあり得ません。瑕疵などという言葉では、到底済ませられるものではありません。
「私はすでに結婚しています!」
ああ、セドリック様が怒っています。
アマンダ様の立場を護ろうとしたのでしょうか。あるいは、何を今更と思っているのかもしれません。そんな簡単に離縁できるのならば、なぜ婚姻を回避してくれなかったのかと。
私と結婚する前ならば、セドリック様はきっと喜んで殿下の提案を受け入れたでしょうに。今のセドリック様には、私という妻がいます。私の存在が二人の邪魔をしているのです。
王家以外の貴族にも、側室を持つことは禁止されていません。側室は正式な手続きを踏めば第二夫人としての立場を得ることもできます。ですが、セドリック様の性格では、アマンダ様に対してその処置をとることは、おそらくないと言えるでしょう。きっとそれをしては、あまりにも私に対して不誠実だという理由で。
「ふん。アマンダを側室にするつもりはないか。ならばそちらの離縁も頼んでみよう。幸いお前たちにもまだ子は出来ていないのだろう?」
王太子殿下の言葉を聞いたセドリック様が殿下を見て、そして次に私を見ました。そのお顔が苦しそうに歪んでいます。
「コーデリア……」
セドリック様が私の名を呼んでいます。けれど、その声にどういった想いが籠っているのかが、私にはわかりません。
申し訳ないと思っているのか、あるいは私に縋っているのか。ですが、縋っているに関しては、それは多分に私の願望でしょう。
きっとセドリック様は私に申し訳ないと思っているのでしょう。離縁を望んでしまうご自分のお気持ちが、許せなかったのでしょう。なにしろセドリック様はとても真面目で、お優しい方ですから。
「もし今アマンダが子を孕んでいたとしても、それをお前の子として受け入れろ。ダルトン公爵家の嫡子としてな」
「殿下! 私と妃殿下の間には何もありません!」
セドリック様の悲痛な叫びが、部屋中に響きました。私との離縁とアマンダ様との再婚、それと自分たちの無実が疑われることは別の問題ですからね。
「それを信じられないと言っているのだろうが。なあ、お前は信じられるのか、自分の夫を」
急に殿下に話を振られた私は、内心とても慌てました。
セドリック様のお心がいまだアマンダ様にあることを、私は疑ってはいません。お二人が人目を忍んで会っていたことも、抱き合っていたことも事実です。ですがセドリック様の身の潔白も、私は疑ってはいないのです。
セドリック様は、本当に真面目な方です。堅物なのです。たとえまだお二人が愛しあっていたとしても、セドリック様の性格からして、すでに結婚したアマンダ様に手を出すことはないと思われます。それはそのお相手がたとえ王太子殿下ではなくともです。
私も驚きのあまり一瞬あらぬ疑いを持ってはしまいましたが、セドリック様があれほど青くなっていたのは、アマンダ様と二人だけで会っていたこと、その事実に対してでしょう。
私は殿下に頭を下げました。
「恐れながら、殿下。私はセドリック様を信じています。セドリック様は殿下を裏切るような方ではございません」
私の答えを聞いた殿下は、「ほう」と感心したような言葉を落とされました。
「お前の夫はアマンダを愛していると言っていたぞ?」
王太子殿下の声に、意地の悪い響きが滲んでいます。
「愛はあったとしても、裏切るかどうかはまた別の問題でございます。殿下のご心配もごもっともではありますが、ここはどうか……」
私がそう言った途端、音のない部屋の中に、唐突に殿下の笑い声が響きました。大爆笑です。私も驚き、思わず顔を上げました。
見れば殿下のお付きの方々や、セドリック様、アマンダ様まで目を丸くしておられます。
「――ははは。まったく人が良い……。仕方ない、セドリック。お前の妻に免じて今回のことは許してやろう。だがアマンダ。今からお前は次の月の障りが来るまで、自室から出ることを禁じる。さっさと部屋へ戻れ」
「……承知いたしました」
次の月の障りが来るまでということは、現在アマンダ様に妊娠の兆候は見られないのでしょう。けれどもし、その間に兆候が表れたとしたら、その時は――。
私は考えるのをやめ、ふるふると頭を振りました。これは私如きが考えることではありません。
殿下に付いていた衛兵に付き添われたアマンダ様が殿下の横を通り過ぎる時、冷たさを湛えた瞳で殿下がおっしゃいました。
「本当に……陛下は政略の相手を間違えたかもしれん」
殿下の呟きを聞いたアマンダ様の顔色が一層悪くなりました。
さすがにこれはひどい仕打ちのように思えます。アマンダ様とて好きで殿下と結婚したわけではないのでしょうから。
王太子殿下のお声は小さかったので、私と、アマンダ様にしか聞こえていないでしょう。セドリック様が聞いてなくて、良かったです。二人は王家の事情で引き裂かれたというのに、今になって相手を間違えたかもしれないなどと言われては、お二人にとって残酷すぎます。
殿下とセドリック様とを比べれば、たとえ元の恋人に想いを残しているとしても、私の相手がセドリック様で良かったと、この時ばかりは心から思いました。