第6話 貫禄も迫力も人妻の色気も私にはありません
セドリック様と結婚してから、約三か月が経ちました。
もちろん、私たちはまだ清い仲です。
新婚三か月目ともなれば、甘い雰囲気の中にもこなれた感じが現れる頃なのでしょうが、私たちにはそもそも甘い雰囲気が皆無です。
やはりそういうものは傍から見ててわかるのでしょうか? 私はこの頃からよく女性に絡まれるようになりました。
今も艶のある黒髪のとんでもなく色気のある美女が、その美しい紫色の瞳でひたと私を見据えています。
「アマンダ様の代わりが、こんな地味な女なんて……。ああ、お可哀想なセドリック様」
その意見には概ね同意ですが、それを私に言われるのも理不尽です。文句は陛下に言ってください。なのでこういう時は私はこう言うことにしています。
「王命ですので……」
ちょっと悲し気に顔を俯けながら言えば、大体の方は引きさがってくれます。けれど今日の美女はなかなかに根性がありました。
「まあ、そんなしらじらしいことを言って……良い言い訳があって良かったですわね。ですが、三年子が出来なければたとえ王命といえども離縁出来ることはご存じ?」
「ええ、存じております」
通称「白い結婚」ですね。
知ってます。それを思いついた時にあとで調べましたので。
私が知らなかっただけで、ちゃんと法律で決まっていました。結婚後三年経っても子が出来ない場合、それは十分離縁の理由となりえるのだと。もちろん、どちらかから申し出があった場合に限りですが。
とはいえ、恋愛小説の中の「白い結婚」とは少々意味合いが異なります。小説の中の「白い結婚」は偽装結婚を含め肉体関係を持たないことが前提ですが、この女性の言っている通称「白い結婚」の方は肉体関係ありでなければ成立しません。成立しませんが、肉体関係がないことを証明するのも難しく、結局は離縁したい男女の間ではこの小説の中の「白い結婚」を取り行う者が多いのです。
肉体関係がなければ子は出来ませんからね。あったふりをしていればいいのです。
「ならばあなたのやるべきことはおわかりね?」
そんなに色っぽく流し目を寄こされても困ってしまいます。すでにその案は却下されているのです。それにこの方の身分は知りませんが、今の私は次期公爵夫人です。怖いもの知らずと言うかなんというか、よく堂々とそのようなことが本人に言えたものです。のちのちのことなどまったく考えていませんね。それとも私がセドリック様と白い結婚ののち離縁したら、ご自分がその後釜に座ろうという魂胆でしょうか。すごい自信です。
確かにこの女性は美しいです。ですがアマンダ様に比べたら私とそう大差ないように思えてしまうのですから、すわ恐ろしいのはアマンダ様の美貌といったところでしょうか。
私は別にセドリック様に告げ口をするつもりはありませんが、私に付いている侍女の目が据わっていますので、恐らく今夜にはこの美女の言動はセドリック様のお耳に入ることでしょう。これまでにもこういったことは度々あったのですが、そのすべてはすぐにセドリック様に報告されています。
女性は口元に厭らしい笑みを浮かべながら、小馬鹿にしたように私にむかってふんッと鼻を鳴らしました。美女が台無しです。万が一にもこの方がセドリック様の隣に立っている姿を想像するのは、とても腹立たしいですね。
それから勝ち誇った笑みを浮かべながら、女性は去って行きました。
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「コーデリア。今日のことを聞いたよ」
セドリック様が心配そうに私の瞳を覗き込んできます。やっぱり侍女から報告が上がっていましたね。優秀な侍女で助かります。
「大したことではありません。セドリック様」
私たちは夜、必ず夫婦の寝室を使います。ソファに、時にはベッドに腰を降ろし、お互いの一日を報告し合うのです。ちなみにベッドに腰を降ろす時は大抵、セドリック様が先に来ている時ですね。
テーブルにはセドリック様用にお酒。私用に眠りの妨げにならないお茶が用意されています。
「……今月で何人目だ」
セドリック様が深い溜息を吐きました。
主に被害は私に来ているのですが、侍女からの報告を受けたセドリック様もその報告の真偽を確かめ、私に嫌味を言って来た者たちの素性を確かめなければなければならないため、時間も労力もかかります。
実際に調べるのは使用人たちとはいえ、そのいちいちに判断を下すのはセドリック様です。そういったことは次期公爵としての業務やお仕事の合間に行っているので、こうも頻繁に来られるとやはりお疲れになるのでしょう。
「八人目ですかね」
今月に入ってからまだ半分も経っていないので、結構な頻度です。
ですが今日の方が一番美人でした。私がそう言えば、セドリック様が心配するように、呆れたように眉を顰めます。少々危機感が足りなかったでしょうか。
「これまでは何事もなかったというのに、何故今月になってここまで……」
セドリック様が憂えるのもわかります。結婚当初は何事もなかったのに、三か月経った今、何故か私は色んな女性から牽制を受けていますからね。まあ、私としてはその理由にある程度の見当は付いているのですが――。
「……わかりません」
そう言うしかないのです。
やはり私には人妻としての色気が足りないのだと思います。ですがまさかそれをセドリック様に言うわけにはいきません。きっと催促しているように取られてしまいます。自分から断っておきながら催促するなど、何様かという話ですよ。
「あの……でも、お気になさらないでください。この結婚は王命です。そう言えば大抵の方は引き下がってくれますので」
心の中はどうあれ、そう言えばそれ以上口に出すことを控えてくださる、良識のある方がほとんどなのですから。
「だが……」
「本当に大丈夫です。こうやってセドリック様とも情報共有ができていますし、特に問題はありません」
いえ、本当は問題はあるのです。そういったことを周囲に言わせてしまうようでは、私も次期公爵夫人としてまだまだということなのですから。
若干自信を喪失気味だった私は、つい、零してしまいました。
「……私にもっと貫禄があれば、こんなことは起きないのでしょうけれど」
「コーデリアに貫禄?」
そう言ったセドリック様は、口元を拳で隠してしまわれました。柔らかくなった瞳と、ふるふると小刻みに震えている身体から、笑いをこらえているのだとわかります。
ええ、そうですね。私のようなぼんやりとした見た目は、貫禄や威厳とはとんと縁がないのです。貫禄とは今日の美女のような方に相応しい言葉です。
「……セドリック様? 笑ってもいいのですよ?」
「いや、ごめん……。ちょっとおばあ様のことを思い出してしまってね」
「セドリック様のおばあ様……ですか?」
セドリック様のおばあ様はすでにお亡くなりになっています。肖像画を見たことがありますが、とても綺麗なお方です。
残されたおじい様は今は少しだけ体調を崩しており、おばあ様との思い出の残る領地で療養中です。
「おばあ様は普段とても穏やかな人で、そうだな、少しだけコーデリアに似ているかもしれない。でも、怒るととても怖いんだ。おばあ様が唇を引き結んで一言も喋らないでいると、すぐにおじい様がおろおろとし始めてしまってね。そういう時のおばあ様は、貫禄はないけれど妙な迫力はあったね」
おばあ様のことを話しているセドリック様は、とても穏やかな表情でした。
セドリック様のおばあ様のお話を聞けたことは嬉しいですが、参考にはおそらくなりませんね。私には迫力もないのです。
「コーデリア。君に貫禄はいらないよ。君のことは私が護るから」
真顔でそんなことを言うセドリック様に、私の頬が勝手に熱くなりました。なんとなく気恥しかったのでセドリック様から視線を外しつつ、「ありがとうございます」と私は小さくお礼を言いました。
後日別の夜会でその時の美女と再会したのですが、私を見るとギリギリと悔しそうにハンカチを噛みしめ(初めて見ました)ギッと私を一睨みしてから悔しそうに去って行ってしまいました。
私は呆気にとられましたが一緒にいた侍女がさもありなんと言った感じで満足気な顔をしていたので、きっとセドリック様が何か手を打って下さったのでしょう。
私の旦那様はとてもお優しいうえに有能なのです。