第5話 旦那様と元恋人との邂逅です
セドリック様と結婚して約一か月が経ちましたが、いまだ私たちは清い仲を保っています。この調子でいけば、きっと白い結婚まっしぐらですね。
あの晩セドリック様がおっしゃった通り、セドリック様が私に無理強いをしたことはこの一か月一度もありません。何となくそういう雰囲気になっても、私が小さく抵抗すれば、すぐに手を引いてくださいます。
いっそ強引にことを薦めて下されば私も色々諦めが付くのでしょうが、まあセドリック様相手では、無理やりなどあるはずもありません。本当に、お優しい方なのです。
けれどそんなセドリック様の優しさは時に残酷です。もしかしたら、このまま時が経てば普通の愛し合う夫婦になれるのではいかと、一瞬、そんな夢を見てしまうのです。
馬鹿ですね、私も。
そもそも愛し合う夫婦の定義とは何なのでしょうか。恋の情熱がなくとも、家族の愛で結ばれた仲の良い夫婦などそこら中にいます。何せ貴族間の結婚は、政略結婚が基本ですから。
たとえ互いに愛人がいようと、人前以外では口すら利かなくとも、上手くやっている夫婦は山ほどいるのです。
その点、客観的に見ても私たちの仲は悪くありません。結婚して知ったセドリック様の人柄は噂通りの好ましいものですし、二人とも夫と妻という役割を上手く演じられていると思っています。
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私たちは夜会や舞踏会に行く際には、必ず二人で出席します。
今夜も普段から交流のあるファーナビー公爵家で開かれている舞踏会に、二人揃って出席中です。
最初に私と踊ったセドリック様は、今は別の女性の手を取り踊っています。ホールの中心で華麗にステップを踏んでいるセドリック様に目をやれば、お相手の女性がうっとりとセドリック様を見上げている姿が目に入りました。
気持ちはものすごくわかります。私もいつもセドリック様と踊る時には、セドリック様に見蕩れてしまい、ステップがおろそかになりがちなのです。それでもセドリック様の脚を踏んだことは一度もありませんけどね。
ちなみに私は少々踊り疲れたので、現在は壁の花となっております。
私は引き続き踊るセドリック様を見つめながら、思考を巡らせました。
セドリック様はいつも最初に私と踊り、その後お誘いのあった方と踊ります。誘われれば誰の手でも取り踊ります。ですが、アマンダ様とは以前ほど踊らなくなりました。
いえ、以前ほどというよりは、ほとんどといったほうがよいでしょう。
もちろん、次期公爵と王太子妃であるアマンダ様です。社交の一環として踊ることはあります。けれど以前のようにお二人が同時に参加している会で、毎回踊るようなことはなくなりました。セドリック様自ら、アマンダ様の手を取ることもありません。
今夜の舞踏会にはアマンダ様も出席していましたが、お二人はまだ踊っていません。それどころか、私の見ていた限り、お二人は会話さえしていませんでした。
セドリック様は私と結婚した今でも女性に大変人気のある方です。今夜もセドリック様はいつも通りたくさんの女性に囲まれていましたし、アマンダ様はアマンダ様で大勢の人との会話と踊りを楽しんでいました。そのことを考慮すれば、単に話す機会がなかったとも言えますね。
私はセドリック様から視線を外し、セドリック様からは離れた位置で立食と会話を楽しんでいるアマンダ様を見つけ、そのお姿をじっと見つめました。夫である王太子殿下のお姿は、今はありません。途中退席すると話していたのが聞こえたので、もう帰られたのでしょう。
今日のアマンダ様は紫に近い青色のドレスを着ています。その凛とした立ち姿は、まるで一輪の青い薔薇のようです。アマンダ様が微笑めば、アマンダ様を取り囲む方たちの顔にも、笑顔が浮かびます。
今をときめく美貌の王太子妃様は、大人気なのです。
一人と挨拶を交わし、終われば次の方と。そしてその方が終われば、今度は別の方からのダンスのお誘いです。その間アマンダ様はずっと笑顔を崩しませんでした。
一見すれば、アマンダ様はこの華やか世界を楽しまれているように見えます。けれど、アマンダ様が本当に楽しんでいるかはわかりません。私だったらあれほどの人に囲まれ対応しなければならない状態にでもなれば、きっと肉体的にも精神的にも参ってしまうでしょう。
「コーデリア。楽しんでいるかい?」
ダンスを終えたセドリック様が、微笑みながら私に近づいてきます。私に向けられるその親しみの籠った微笑みにも、この一か月で随分と慣れました。セドリック様と結婚する以前の私だったら、顔を真っ赤にして卒倒くらいしていたかもしれません。私も成長したものです。
「ええ、セドリック様」
「でも、疲れてるんじゃないかい?」
アマンダ様には到底及びませんが、次期公爵夫人となった私は、踊りの誘いが以前の十倍ほどになりました。以前はどれほど誘われなかったのかと我ながら悲しくなってしまいます。慣れていないので大変ですが、次期公爵夫人としてこういった社交の場での交流は必要不可欠なのです。ダンスへのお誘いも然り。頑張らなければいけません。
ですが、無理は禁物です。
「……少しだけ」
私の答えを聞いたセドリック様は、私の腰に手を回し「では休憩室に」と囁き、私をホールから休憩室へと誘導しました。
セドリック様の行為に、私の心がほのかに温かくなりました。
セドリック様は私をとても大切にしてくださいます。私が少しでも体調が悪そうにしているとすぐに気付き、心配そうにあれやこれやと世話を焼いてくれるのです。
「コーデリア。休憩したあと……悪いけど、もう少しだけ頑張ってくれないか?」
セドリック様がわずかに眉を顰めて、私を見つめてきます。この一か月で気付きましたが、セドリック様は人と話をするとき、じっと人を観察するように見つめるのが癖のようです。随分と誤解を生みそうな癖ではありますね。それにセドリック様の美しい翡翠の瞳で見つめられるのは、少々どころかものすごく心臓に悪いのです。
「ええ。もちろん」
セドリック様は次期公爵です。他家との繋がりを良好に保つことも、大切なお仕事なのです。
私たちは互いに微笑みながら休憩室へ向かって廊下を歩いていました。けれど途中、なんと前方からやってくるアマンダ様に出会ってしまったのです。
夫と、元恋人との邂逅です。
同じ会場にはいましたが、ここは廊下です。真正面からの対面です。逃げ場はありません。
まあ普通に挨拶すればいいだけなのですが、なんだかアマンダ様の様子がおかしいです。
アマンダ様の顔色はとても悪く、お付きの侍女や護衛の方たちも心配そうです。やはりあれだけの人数に対応していたので、疲れてしまわれたのでしょう。
私たちに気付いたアマンダ様が今にも消え入りそうなほどの声で「セドリック……」と呟きました。
その瞬間、私の腰に回ったセドリック様の腕が震えたのがわかりました。セドリック様のその反応に、私の心は急速に冷えていきます。
アマンダ様はいまだセドリック様の名を呼ぶだけで、セドリック様の心を乱すことができるのです。
いつもいつも、穏やかで冷静なセドリック様を。
私は隣に立つセドリック様を見上げました。セドリック様はじっとアマンダ様を見つめています。その普段穏やかな瞳の翡翠色は、今は緑の炎のように燃えています。私への視線とは正反対。セドリック様が私を見つめるその瞳には、些かの熱量もありません。
その時の私たちはただすれ違っただけでしたが、その夜、私は私をじっと見つめて来るセドリック様の瞳を、まともに見ることが出来ませんでした。




