第4話 白い結婚を提案しましたが――即却下です
私は仕事から帰って来たセドリック様を早速掴まえ、夜に話があると伝えました。「白い結婚」のことを伝えるには早いほうが良いでしょうから。
「わかった。では夜、夫婦の寝室で」
セドリック様が何かが滴ってきそうに蕩けた笑顔を私に向けてきます。この笑顔が標準装備だとしたら、何とも恐ろしい方です。一体この笑顔でどれほどの淑女の心を奪って来たのでしょうか。まあ、私も奪われた一人ではありますが。
夫婦の寝室でと言われた私は、一瞬だけ動揺してしまいました。昨夜のことが思い出されたからです。ですが、離縁するには夫婦の営みがあるのに子が出来ないと思われなければ、陛下にも周囲にも納得してもらえません。そのことも今後考えていかなければと思いながら、私はセドリック様に「はい」と小さな声で返事をしました。
夜になって、先に夫婦の寝室で待っていた私の元へ、入浴を済ませたばかりのセドリック様がやってきました。私もすでに入浴を済ませているのでお互い様なのですが、湿った髪の色気駄々洩れのセドリック様を見れば、やはり落ち着かない気分になります。
「コーデリア。待たせたね」
「いいえ。セドリック様」
話と言うのは、と言いながら、私の隣に腰かけたセドリック様が私に優しく微笑みました。セドリック様を受け止めたソファが軽く沈み込む感触が伝わり、さらに私の心臓が早鐘を打ちます。それでも平静を装い、私はセドリック様に告げました。
「セドリック様。私考えたのですが、私たちの結婚は「白い結婚」にしませんか?」
私がそう言えば、セドリック様はどうやら驚いたようで目を見開きました。そしてわずかに目を伏せ、「申し訳ない」と私に言ったのです。
「コーデリア。昨日私があんなことを言ってしまったせいだね。私は本当に何て馬鹿なことを言ったのだろう。妻となる君に誠実でありたいと思ってのことだったが、あれは単なる私の自己満足だった」
本当にそうですね。さすがはセドリック様。すぐにそのことに気付かれたのですね。あれは本当に余分な言葉でした。社交界にデビューした令嬢で、セドリック様とアマンダ様との悲恋を知らない者などほぼいないのですから。
わかったうえで、結婚したのです。王命だったので。
私はセドリック様の次の言葉を待ちました。するとセドリック様は驚くことを言ってきたのです。
「コーデリア。初夜のやり直しをさせてくれないか?」
「え、……ええ?」
セドリック様の表情は真剣そのものです。翡翠色の強い吸引力のある瞳が、じっと私を見つめています。
「昨日の私の言葉は忘れて欲しい」
「いえ、無理です」
私の言葉にセドリック様はハッと目をみひらき、頭を垂れました。どうやら落ち込んでいるようです。ですが昨日の今日で気持ちを切り替えられる程、私は器用でも、器が大きくもないのです。
「そうか……そうだな」
やっぱりセドリック様は落ち込んでいます。綺麗に整った眉が、悲しそうに下がっています。ご自分の失敗を取り戻したかったのでしょうが、一度口にしてしまった言葉の撤回は難しいですからね。
「あの……セドリック様。私たちの結婚は王命です。政略結婚の中でもかなり特殊な部類です。ですが、もし私が子どもの産めない身体だとなれば、いくら王命といえども離縁は可能になると思うのです」
だから白い結婚を――。そう続けようと思っていたのですが、私の言葉をセドリック様に遮られました。
「駄目だ、コーデリア。それでは君に瑕疵が付く」
「でも……」
なおも言い募ろうとする私に、セドリック様は切なげな表情で私を見つめてきました。
「それとも私は……それほどまでに君に嫌われてしまったのだろうか?」
「え、いえ。嫌いというわけでは……」
むしろ以前は憧れていました。こうなったのが残念でなりません。
やっぱり偶像に近づいてはいけないのですね。思い知りました。美形は遠くから見ているのが一番です。
「なら、少しずつでも良い。私を知ってくれないか。君に認められるよう、努力するから」
セドリック様が横に座る私の両手を取り、軽く握ってきます。大きな手です。そして温かい。セドリック様の翡翠色の瞳が、じっと私を見つめています。
なんだかおかしなことになってきました。これでは私がセドリック様を拒否しているみたいではないですか。いえ、拒否は確かにしていますが。
もしかして……私がすべて呑み込めばこの結婚は案外上手くいくのでしょうか?
まだアマンダ様を愛していると言うセドリック様を、名実共に夫に?
……ぞわりと寒気がしました。
私の震えに気付いたセドリック様が、風邪をひいてしまうねと言い、私にご自分の羽織っていた上着を着せてくれました。これも暖かいです。セドリック様の体温が移っています。そしてとてもいい匂い。
柑橘と、萌ゆる緑と、ほんのかすかな麝香。セドリック様の香りです。
「今日はもう休もう。……コーデリア。君が許してくれるまで、無理強いはしないよ。けれど、白い結婚にするつもりはない。それだけは覚えていてくれ」
そう言ってセドリック様はご自分の部屋へと戻って行かれました。
残された私も自室へ戻らなければなりません。けれどその前に――。
私は昨日考えたことを実行に移すべく、ベッドに近寄ります。
私はベッドのシーツを両手でわし掴み、ごそごそと大振りに動かしました。これで誤魔化せるとも思えませんが、まったく使われていないよりは使用人たちの心の負担は少ないはずです。こうやって用途はなんであれ夫婦の寝室を使用した痕跡さえ残せれば、少なくとも、私たち二人が寝室を使うことを拒否するほど冷え切った仲ではないことだけはわかるのですから。
針で指を刺しシーツに血を残そうかとも思いましたが、やり過ぎはむしろあとで自分で自分を追い詰めることになるかと思い、留まりました。使用人がセドリック様に聞けば一発でわかることですしね。
それにしても、まさか「白い結婚」を拒否されるとは思いませんでした。
もしや、セドリック様はアマンダ様でないならば結婚相手など誰でも良いと思っているのでしょうか。誰でも良いのなら、一度離縁してもう一度結婚するなどという面倒くさいことをしたくない気持ちもわかります。
けれど、それでは私が困ります。
いくら王命であり、政略でもある結婚とはいえ、他に愛する女性のいる方と今後も結婚生活を送るとなると、精神的にかなり負担です。
私、ちょっとこの結婚をなめていました。他に愛する女性のいる方に嫁ぐことが、こんなに虚しいこととは思ってもみなかったのです。
やはり私はまだまだ小娘です。昨夜セドリック様に「愛せるかはわからない」と言われてしまった時、やはり愛し愛される結婚がしたいなんて、そんなことを思ってしまったのです。
それには、「白い結婚」しかありません。
王命であるこの結婚から逃れるには、それしかありません。
セドリック様は憧れの方です。けれど私を愛してはくれません。セドリック様の心はアマンダ様のものです。その事実は、思っていたよりも私の心を打ちのめしました。
――選ばれないのは、つらいです。