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第3話 何のわくわくもときめきもない新婚初日です



「コーデリア。行ってくるよ」


 今日も笑顔が素敵なセドリック様です。


 艶やかな黒髪は陽の光を受けてまるで黒檀のように輝き、煌めく翡翠色の瞳には、どんな宝玉も敵いません。濃紺を基調としたタキシードが憎らしいくらいにお似合いです。

 そのお隣に何の変哲もない薄い茶色の髪と、黄色に橙色を混ぜたような琥珀の瞳の私が並ぶと、宝石と石ころくらいの差があります。……ちょっと悲しくなってきました。


 この方が私の夫なんて、いまだに信じられません。


 まあ昨日初夜を拒否したので、まだ本当の夫婦ではないんですけどね。


 それでもさすがに新婚なのでセドリック様は仕事を休もうとしてくださったのですが(というより休みはすでに取っていたらしいのですが)、私がそれを止めました。私のことは気にせず、どうぞ仕事に行ってくださいと。

 

 最初はしぶっていたセドリック様でしたが、ちょうど期限が差し迫っている仕事があったらしく最終的には仕事に行くことと相成りました。


 正直助かります。セドリック様が仕事に行くことを了承してくださったときは、思わずほっとして頬を緩めてしまいました。


 そんな私を見たセドリック様が苦笑していたので、仕事に行くことを決めたのは、もしや私に気を遣ってくださってのことなのかもしれません。そうであればちょっと申し訳ないですね。


「行ってらっしゃいませ、セドリック様」


 昨晩のことなど綺麗さっぱり忘れたかのように、私もセドリック様も翌朝には普段の生活に戻っていました。


 とはいえ私は普段、セドリック様がどのように生活していたかを知りません。ですが今日からの生活は二人にとっては新生活であり、新婚生活でもあるというのに、とても新婚とは思えない距離と熱量であることだけは確かです。セドリック様にとっては妻と言う名の居候が増えただけなのかもしれません。


 私としては今日から他人の家で暮らすことになるのですから変化はあったと言えるのでしょうが、それでも、嫁いだことを考えれば大した変化ではないでしょう。今のところ私が感じている変化は、呼び名が「お嬢様」から「奥様」へと変わったことくらいでしょうか。


 自分が次期公爵夫人になったことも、いまだに信じられません。


 次期公爵夫人としてやるべきこと、やらねばならないことは多々あるのですが、私たちは昨日結婚したばかりなので、まだ私はそれらの仕事をすることはありません。次期公爵夫人としての本格的な仕事が始まるのは、一か月後くらいでしょうか。


 公爵夫人のお義母様が現役なので、私のするべきことはお義母様について学ぶことになります。そのお義母様も、お義父様とともに本邸で暮らしているため、別邸でセドリック様と二人だけの私には、嫁として行うべき気遣いすらないのが、現状です。


 新婚で、新生活だけれど特に何も変わっていない。それが私の正直な感想でしょうか。


 けれどこの邸の使用人にとってはそうではありません。


 皆先ほどの私とセドリック様のやりとりを固唾を呑んで見守っていました。


 それもそのはず、私たちは初夜を完遂していません。それぞれの部屋へと戻りましたので夫婦の寝室も使いませんでした。そしてそのことは屋敷の使用人には筒抜けなのです。


「あの……奥様」


 灰色の髪にちらほらと白いものが交じりはじめた壮年の家令が、おずおずと私に話しかけてきました。


「何でしょう?」


 私は何も聞いてくれるなと心の中で念じながら、家令ににっこりと微笑みます。


 証拠が皆無なので私たちが共寝をしなかったことは疑いようがありません。それでももし聞かれたら体調を崩したとでも言おうと思っていたのですが、幸いなことに家令は何かを察したのか、そのことについての追及はしてきませんでした。


「……今日はいかがお過ごしになりますか?」


 本来なら初夜をこなした影響で身体を休めることになったのかもしれませんが、私はすこぶる元気です。けれどわざわざそれを主張しなくとも良いでしょう。


「そうですね……。今日は一日部屋で過ごしたいです。少々疲れてしまって。食事はすべて部屋に運んでもらってもいいですか?」


 肉体的には疲れていませんが、精神的にどっと疲れましたしね。そして今後のことについても考えなくてはなりません。


「かしこまりました」


 あれこれ聞かれる前に、私はさっさと自室へ退散することにしました。


 務めも果たさぬ次期当主の奥方に対し、恭しく頭を下げる家令に少しだけ申し訳なく思いながら。




✢✢✢




「さて、どうしましょう」


 昨日はあまりにも驚き、そして腹が立ってしまったので初夜を断ってしまいましたが、セドリック様は夫としての務めはちゃんと果たすとおっしゃってくださいました。巷で流行っている恋愛小説のように、「白い結婚」にする気はなかったのです。私の心がもう少し広ければ、今頃私たちは名実共に夫婦となっていたはずです。


 考えてもみれば、私たちは王命という完全、完璧なる政略結婚で、しかもセドリック様はつい半年ほど前に愛する女性が別の男性と結婚するという事態に傷心している最中です。愛する女性を忘れるためにも、初夜を遂行するつもりだったのかもしれません。


 でしたら、夫婦の寝室から去っていく後ろ姿に哀愁が漂っていたのも頷けます。

 

 理性では、初夜を行うべきだとわかっていたというのに、それでも私が頑なになってしまった理由に、私はすでに見当がついていました。


 これまで常に社交界の女性の視線を釘付けにして来たセドリック様。


 美の化身かと思うようなお顔は、しかし凛々しく精悍で、か弱い印象はまったく見られません。細身ではありますがその体躯は均整がとれていて、男性らしい魅力にあふれています。


 目を、そして心を奪われた女性の中に、もれなく私も入っていたのです。けれど、だからこそ、愛されないとわかっている方に身を任せることに、抵抗がありました。


 私のセドリック様への想いは、決して手に入らない高価な宝石を遠くから眺めているような、夢見心地で全く現実的ではない偶像への憧れでしたが、それでもです。


 むしろなんとも想っていない相手だったならば、案外あっさりと割り切れたのかもしれません。


 こうしてただの人間として、男女としてセドリック様と向き合うことになるなど思ってもいなかった私には、覚悟が出来ていませんでした。半年の間に、その覚悟を養うことが出来ませんでした。


 出来ればずっと憧れのままでいたかったです。下手に近づいてしまったからこそ、こうも生々しく悩ましい事態に陥っているのですから。


 ああ、セドリック様の麗しい笑顔に熱い溜息を零し、友人と黄色い悲鳴を上げていた頃が懐かしい……。


 けれど現実は、私はすでにセドリック様の妻なのです。


 妻としての義務を果たさぬうちに、何の理由もなくまだ存在してもいない弟君の子を養子に迎える話など、話題に出来るわけもありません。

 それにやはり、出来ることならばセドリック様の言う通り、公爵家の嫡男であるセドリック様の血を繋ぐことが一番なのでしょうから。


 けれどもし、いつまでも私の身に子が宿らないともなれば、いくら王命といえども離縁の理由にはなるはずです。私が子を産めない身体となれば、円満に離縁することが出来るのではないでしょうか。


 それはとても良い考えに思えました。


 セドリック様は夫としての務めを果たそうとしてくださっていますが、愛してもいない女性を抱くことに本心では抵抗があるはずです。何しろセドリック様は、正直で、誠実で、真面目な堅物なのですから。


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