第21話 追い詰められていく旦那様
誤字報告ありがとうございますm(__)m
まったく気付きませんでした(^_^;)
「今度のことは義務ではありません。それに……コーデリアをあなたには渡さない。彼女は私の大切な妻です」
今度の言葉はちょっと嬉しいです。
ちゃんと私の名を出してくださったところが。けれどそんなささやかな私の喜びは、次の王太子殿下のお言葉で霧散してしまいました。
「ふん。その大切な妻をまたも裏切り、アマンダと会っていたのはどこのどいつだ」
王太子殿下のお言葉に、私は息が止まるかと思いました。
「……あれはっ!」
王太子殿下に何かを言いかけたセドリック様でしたが、そのまま悔しそうに下を向き、黙ってしまわれました。
ああ、何ということなのでしょう。セドリック様は否定なさいませんでした。もう絶対に二人きりでは会わないとおっしゃっていたというのに、その誓いを破ってしまわれたのですね。
私の脳裏に、あの晩蒼褪めて帰って来たセドリック様の姿が思い浮かびました。きっとその時にアマンダ様とお会いしていたのでしょう。
あの時はどうにも様子がおかしいと思っていたのですが、なるほど、そういう訳があったのですね。誓いを破ってしまったことを、後悔なさったから、あれほどまでに顔色を悪くなさっていたのかもしれません。そしてその後ろめたさがあったから、つい私から視線を外してしまわれたのでしょう。
「……セドリック様」
私は無意識にセドリック様の名を呼んでしまいました。私が落としたのは呟くように小さな声でしたが、セドリック様は私の呼びかけに気付き、俯けていた顔をお上げになりました。その白皙の美貌が、さらに色を失くしています。
「……コーデリア。違うんだ、私は……」
セドリック様の声はわずかに震えており、表情も虚ろです。
「何が違う。お前とアマンダが二人だけで会っていたことは事実だろう。あの時あれほど俺が諭したというのに、お前もアマンダもそれを教訓としなかった」
「あれは……偶然で! 具合の悪い女性がいると聞かされて行った場所が……宿屋で、まさかそこに、妃殿下がいるなど思わない!」
セドリック様が喘ぐ様に荒げた声でとぎれとぎれに言葉を紡いでいきます。
それにしても、王太子妃殿下が町の宿屋で逢瀬とは……。ちょっと色々衝撃です。
「言い訳など見苦しい。お前がそうやってアマンダと関わるたびにコーデリアが傷つくのだぞ。確かにお前たちを結婚させたのは王家だが、こうもあからさまに妻をないがしろにするとは思わなかった。コーデリアにはとんだ役目を押し付けてしまったな。愛する気もない、大切にする気もないのなら、もう解放してやれ」
王太子殿下の解放――というお言葉を聞いた私は、なんとほっとしてしまいました。
以前は答えを出すこともできずに迷っていましたが、今はもう離縁となったならばそれでいいとさえ、思っています。
離縁したら、元に戻るだけです。セドリック様は夫ではなく、元の憧れの方に戻るだけ。
三年の期限付きの結婚が、短くなるだけです。
それに、解放されるのは私だけではありません。セドリック様も苦しみから解放されます。
もういいのですよ、とセドリック様に言葉を掛けようとした時、セドリック様が叫びました。
「私はコーデリアを愛している!」
――衝撃です。
いえ、きっとセドリック様は王太子殿下の煽りに対抗しようとしてつい、心にもないことをおっしゃってしまったのでしょう。
「はっ! よく言うな」
王太子殿下がセドリック様をあざけるようにおっしゃいました。
「お前は何度コーデリアを裏切った」
「裏切ったことは一度もありません!」
確かに、セドリック様の中では裏切ったことにはなっていないのでしょう。夫婦間の裏切りの範疇がどこからどこまでかはわかりませんが、少なくとも他の女性を想いながら結婚することは、不誠実ではないかと私などは思ってしまいますが。
「もう二度も人目を忍んで人妻と会っている。しかも今回は宿屋だ。俺たちの知らない逢瀬もまだあるかもしれないな?」
俺たち、とは王太子殿下と私のことでしょう。私たちはそれぞれ、元恋人同士を、妻と夫に持っているのです。
セドリック様は王太子殿下に言い返すことが出来ないようです。その代わりに翡翠色の瞳を燃え上がらせながら、殿下を睨んでいます。こんなにも殿下に敵意を顕わにして、セドリック様は大丈夫なのでしょうか。
親戚だということなのでお咎めはないのかもしれませんが、私は気が気ではありません。普段のセドリック様らしくない態度です。
ああ、いえ。前回アマンダ様との逢瀬を殿下に疑われ無実を訴えていた時も必死でしたが、それでも今回ほどではありませんでした。
「これはお前とアマンダが引き起こしたことだ。覚悟しておけ」
王太子殿下はセドリック様にそれだけおっしゃるとソファから立ち上がり、正面に座っていた私に近寄り、かがむように身をお寄せになってきました。
「コーデリア。もう少し我慢しろ。すぐに解放してやる」
殿下のそのお言葉に、私は何を言うこともできませんでした。ただ唖然として殿下を見つめるばかりです。
「今日は急に呼び出して悪かったな。用は済んだ。もう帰っても良いぞ」
おっしゃいたいことだけおっしゃった殿下は、部屋の隅に控えていたお付きの人たちに囲まれて出て行ってしまわれました。
言い逃げです。
残された私たちとしてはとても気まずいのですが、仕方ありません。「では私もこれで」と言いたいところですが、私たちは帰る場所が一緒ですからね。
なんだかとても疲れてしまいました。今日はもう帰ったらすぐに、何も考えずに寝てしまいたいくらいです。
私はソファに腰を下ろしたまま項垂れているセドリック様に声を掛けました。
「セドリック様……帰りましょう」
私の言葉に反応して、セドリック様が顔をお上げになりました。そのお顔は憔悴しきっています。お可哀想とは思うのですが、どうしようもありません。せめてこれ以上責めるような言葉をかけるのは止めておきましょう。
私たちは無言で待たせていた馬車まで歩きました。以前ベアトリス様ともお互い無言で馬車を待っていた記憶が蘇ってきます。王宮へ来るといつも精神的に疲れてしまいますね。
馬車に乗り込もうとした時、セドリック様が御者に話しかけました。結構長く話しています。邸に戻るだけの時は何もおっしゃらないのにおかしいですね。
セドリック様に促され馬車に乗り込んだ私は、あとから乗って来たセドリック様が着席したのを見計らい、聞いてみました。
「セドリック様。今御者に何を話されていたのですか? もしやこのままどこかへお出かけを?」
私の問い掛けに、セドリック様が微笑まれました。
それは恐ろしさを感じさせるほどに、美しい微笑みです。その普段とは異なる妖しい笑みに、私の背中にぞくりとしたものが走りました。
「……コーデリア。邸には戻らない。一緒に来てくれ」
――セドリック様はお優しい方なのです。
だからきっと――。
セドリック様の声が、聞いたこともないくらいに平坦で冷たい響を含んでいるように聞こえることも、私をじっとお見つめになる視線が絶望の光を湛えた暗いものに見えることも――きっと私の思い違い、気のせいなのだと思います。




