第2話 旦那様と元恋人の悲恋に巻き込まれた私です
王太子殿下とアマンダ様との婚約発表がなされた時は社交界に激震が走ったそうですが、その頃の私はまだお二人の事を知りませんでした。
今思えばなぜ知らずにいられたのか不思議でなりません。あんなに目立つお二人だというのに。
そんなセドリック様とアマンダ様は、誰もがいずれ婚約なさると思っていたようです。しかし結果はお二人の仲を引き裂くような形での、王太子殿下とアマンダ様との婚約です。
当時、二人の悲恋に涙した者たちは多かったと聞いています。私はそれを知ったとき涙こそ流しませんでしたが、あんなに高貴で美しい想い合う二人でさえも、運命に翻弄されるしかないのだと、なんとなく虚しくなった覚えがあります。
当時の私は、この騒動にまさか自分が巻き込まれることになるなど、針の先ほども考えてはいませんでした。
王太子殿下と婚約したアマンダ様でしたが、舞踏会では相変わらずセドリック様と踊っておりました。しかし、それとて別段おかしなことではありません。
王家とダルトン公爵家は親戚にあたります。アマンダ様が王家に入れば、セドリック様とも親戚になるのです。ダンスを踊るくらいは、社交の一環です。
ですが、そうとは見ないのが、噂好きの貴族というもの。
やれ、セドリック様のアマンダ様を見る目が切ないやら、やれ、アマンダ様のセドリック様を見つめる瞳に涙が浮かんでいるやら、噂はどんどんと広まっていきました。
そこで困り果てたのが王家でした。
アマンダ様が王太子妃となることは、すでに決まっています。あとはセドリック様がさっさと結婚してしまえば互いに諦めるだろうと、そんな思惑があったのでしょう。
王家と、アマンダ様とセドリック様。
その三者の生贄となったのがこの私、コーデリア・アドラムだったのです。
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王太子殿下とアマンダ様は、完全なる政略結婚です。
王家がなぜ、わざわざセドリック様と相思相愛のアマンダ様を王太子殿下の婚約者に選んだのかと言えば、当初王太子殿下と婚約するはずだった隣国の姫君が、儚くなられたことが理由でした。
王太子殿下と隣国の姫君との婚約は、幼少の頃よりのものでした。そのため、王太子殿下に年の近い国内の令嬢たちは皆、すでに婚約者がいたのです。いかに王家とて、さすがにすでに婚約者のいる者たちを引き裂くような形で奪うことは出来ません。それくらいの温情はあるのです。
まあ、いざとなればわかりませんが。
それはともかく、そこで疑問となるのが、ならばなぜ、このような事態になる前にアマンダ様とセドリック様は婚約しなかったのかということなのですが――。
実はアマンダ様はどうやら万が一の時の備え、ようするに、幼い頃より病弱だった隣国の姫君が万が一お亡くなりになった場合の、予備の婚約者だったらしいのです。
これは社交界でまことしやかに噂されていた話ではありますが、事実です。事実ですが――実際はもう少し複雑なのです。
王太子殿下が婚約なさっていた隣国の姫君の病弱さは生来のものです。いくら国同士の政略があったとしても、世継ぎを産めるかわからない姫君だけを殿下の妃にするには、少々問題があります。ですから、両国の間では殿下と姫君の成婚より一年後、殿下が側妃を娶ることを了承していたのだとか。
そうです。その側妃というのが、セドリック様の元恋人であった、アマンダ様です。
私はその事実を婚約の顔合わせの際、セドリック様の口から聞かされました。セドリック様はそれがわかっていてなお、一縷の望みをかけて婚約者を作らなかったのだとか。
その一縷の望みというのは、一年の間に隣国の姫君にお子が出来ることです。もしお子が出来れば、姫君の心情を慮り、側妃との婚姻は延期されるかもしれません。そしてお子が無事に生まれ、姫君の体調も優れていれば、第二子と言う可能性も出てきます。アマンダ様が解放される可能性が出てくるのです。
ただ病弱な姫君に正妃としての業務がこなせるのかという問題もあったそうなので、本当にそれは一縷の望みだったそうです。
まあ、その話を聞いた時点で、私はこの結婚の失敗をそこはかとなく予感していました。なんというか……戦う前から負けています、私。
けれど隣国の姫君がお亡くなりになってしまったのは覆されざる事実です。王太子殿下とアマンダ様とのご成婚には、すでに国の未来がかかっていたのです。
どれだけ悲恋を周囲の者が嘆こうと、当のお二人がそれを承諾しているのです。けれど皆この現実が覆らないとわかっていて、それでも美しいお二人の悲恋に、夢を見たかったのです。
だからと言って、王太子殿下の婚約者が別の男性と噂になっているなど、王家の沽券に係わります。放っておくことは出来なかったのでしょう。
セドリック様と私の婚約及び婚姻が王命で決められたのは、王太子殿下とアマンダ様がご成婚された、一週間後のことでした。
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運命のその日。
弟と午後のティータイムをしている時に突然父から呼び出され、お前の婚約が整ったと聞かされた時の私は、ちょっとだけ興奮していました。
ああ、私にもついに婚約者が。
誰だろう。そんなに格好良くなくてもいいから、優しい人だといいな。
旦那様の仕事が休みの日には、手を繋いで町を歩きたいな。なんて、その時の私はそんな小娘らしい能天気なことを考えていたのです。
胸を高鳴らせながら夫となる人の名が告げられるのを待っていた私でしたが、父の口からセドリック様の名が出た時には、さすがに卒倒するかと思いました。
よりにもよって、そこかと。
王太子殿下とアマンダ様が婚約なさったのは、当時からしてみればすでに二年以上前のことです。けれどその間、お二人がご成婚なさるまで、社交界ではずっと二人の悲恋がもてはやされていたのです。
引き裂かれた二人。いまだに婚約者をつくらずアマンダ様を想っているセドリック様。
ようするに、もしセドリック様と私が結婚などすれば、私は大変悪い意味で社交界中の注目を集めてしまうということです。
齢十六の、恋に焦がれている年頃の娘には、何とも酷な縁談ではありませんか。
私は思わず父に向かって叫びました。
「嫌です! ぜったい、嫌!」
そしたら父も叫びました。
「何故だ! お前、セドリック卿に憧れていると言っていたじゃないか!」
負けじと私も叫び返しました。
「それとこれとは話が別です! いいえ、むしろ憎からず想っているからこそです! お父様、私にアマンダ様の代わりが出来るとお思いですか⁉ 社交界の華と言われているアマンダ様ですよ? あのお二人の悲恋は、社交界中の者が知っていると言うのに! 他に愛する女性のいるお方に、喜んで娘が嫁ぐと本当に思っているのですか⁉ 結婚などしたら、私など良い笑いものです! いいえ、悪者です!」
私の勢いに驚いたのか、父はしばらくの間目を大きく開いたままでしたが、やがてきつく閉じ、目を瞑ったまま「王命だ。断れん」と、父にしては珍しく覇気のない声で呟きました。父は少々無神経なところがあるので、今更ながらそのことに思い当たったのでしょう。よく見ると太い眉は下がり、どうやら落ち込んでいるようです。
その父の様子を見た私は、これ見よがしに特大の溜息を吐きました。
甘いことを言っている自覚はあります。父に王命を断れないこともわかっています。
アドラム伯爵家は中立で、私の母は血筋を辿れば王家にも辿り着くという名門侯爵家の生まれです。そして私は不幸にも、王家にとっては幸いにも、成人してなお婚約者がいません。
そして御年二十一歳のセドリック様に対し私は十六歳で、五歳の歳の差です。それも都合が良かったのでしょう。だから私が選ばれたのだということも、簡単に想像がつきました。
これが家同士の間で決められたものなら、私にもまだ抵抗する術があったのでしょうが、ことは王命です。王自らが繋いだ縁を断るなど、出来るわけがありません。
ただ、素直に従ったと思われたくなかったのです。いくら憧れているとはいえ、喜んで嫁いでいくのだとは、思われたくありませんでした。父に、私の気持ちをわかって欲しいと。それくらいは許されるだろうと、私は半年後の結婚式当日まで、抵抗し続けました。
私が抵抗した事実など、世間には知らされないとしても、それでも。
とはいえ、どうあっても覆せないものだと私も理解していましたので、抵抗とは言ってもせいぜい父にきつく当たるくらいのものでした。どうせ能天気で大雑把な父のことですから、王命とはいえ深く考えず二つ返事で了承したに違いないのですから。これくらいの抵抗は甘んじて受けるべきなのです。
それでも、夢であって欲しいと何度も思ったものです。あるいは、王命が撤回されないかと。
ダルトン公爵家は国きっての名門です。そして次期公爵であるセドリック様は、優秀で美しいお方。
本来ならば手放しで羨ましがられるはずの私の立場も、セドリック様とアマンダ様、そして王太子殿下との複雑な関係を考えれば、同情と憐みの対象に早変わりです。
私自身、この結婚は碌な結婚にはならないだろうと半ば覚悟をしていました。
そして案の定、私の結婚は初夜からすでに失敗の落款を押されたようなものでした。
一日二話投稿を目指します。