第1話 旦那様。それ結婚初夜に言うことではないですよね?
皆さん。
もし、自分の夫に別の女性を愛していると言われたら、どうしますか?
しかもそれを言われたのが初夜の時だとしたら。
罵りますか? 罵ったあと話し合いますか? まあ、話し合ったあとには離縁になる可能性は大いにありますが、それでも選ぶことはできます。
その結婚を続けるか、それとも終わりにするか。
ですが、もしそれが絶対に離縁できない結婚だとしたら、どうしますか?
最近巷では結婚初夜に男性から、「君を愛することはない」などという残酷なことを言われてしまう恋愛小説が流行っていることは知っていましたが、それはあくまで小説の中だけのことだと、私は思っていました。
なのに。
私は言われてしまったのです。結婚初夜に夫となった方から、今後の結婚生活に容赦なくヒビを入れるような言葉を。
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結婚式当日のその夜。
ベッドの上で口から飛び出そうになる心臓を両手でそっと押さえ、私は夫の来訪を待っていました。
そのうちに扉の開く音が聞こえ――数時間前に私の夫となったばかりのセドリック様が神妙な顔つきで部屋に入って来て、ベッドにいる私に近づき、愁いを帯びた美しい翡翠色の瞳で私を見つめながらおっしゃいました。
「……申し訳ない、コーデリア。私は君を女性として愛せるかわからない。だが夫としての務めは果たそう。君のことは妻として大切にする。けれど心は……心はまだ別の相手にある私を許してくれ」
まあ小説よりかは若干濁していますけれど、おっしゃっている内容は概ねそんな感じです。
……いえ、実を言えば知ってはいたのです。夫となる方に他に想う相手がいるだろうことは。だって大層有名な話ですから。
ダルトン公爵家のセドリック様と、パーセル侯爵家のアマンダ様の華やかなる恋愛とそのお二人が別れざるを得なくなった悲劇は、社交界では誰もが知っている話なのです。
――そう。そしてお二人が互いに想いを残していることも。
だから知ってはいたのです。いたのですが……それでも本人の口からはっきりと、しかも初夜の前に聞かされることになるなんて、思わなかったんですよ。
ここで「はい。許します」と言えるほど私は人間が出来ているわけではありません。私にしては珍しくも少々下品な言葉で「ふざけんなよ。他に想う相手がいると言うのなら、その相手に操を立てるくらいしろ」と心の中でセドリック様を罵倒しました。
ええ、もちろん。心の中で。
そんな言葉をセドリック様に言う訳にはいきません。次期公爵たる麗しのセドリック・ダルトン様に。
だからそういった意味合いのことを言ったのです。そしたらセドリック様、なんておっしゃったと思います?
「だが、私には次期公爵としての責任がある。公爵家の血は繋がなくてはならない」
ですって。
ええ? と思いましたよね。
別に公爵家の血でいいのなら、貴方の弟君の子を養子にするのでもいいじゃないですかって。まあ、それも言葉にはしていません。弟君のお子さんなんてまだ影も形もありませんしね。結婚すらしていませんので。
確かに責任を全うしようとする心意気自体は素晴らしいと思います。ダルトン公爵家は名門であり、王家にも連なるお血筋。そこの嫡男であり、稀なる美貌を持つセドリック様のその尊い血を残すことには私も大賛成です。
でも、務めは果たされる気だったのなら、他に想う相手がいることなんて隠し通してくだされば良かったのにと思いません? わざわざ言う必要あります?
セドリック様がアマンダ様にお気持ちを残しているだろうということも、あくまで周囲の者たちの勝手な憶測であり、ご本人から聞いたわけではなかったのですから。
それとも己の心の内を包み隠さず告白したあの方のことを、私は誠実だと思えば良いのでしょうか? 正直者だと?
……そうなのかもしれません。
彼の人となりは、噂にしか過ぎませんが以前から知っていました。正直で、誠実で、真面目。いっそ堅物でさえあると。
でも、正直なら良いってものじゃないですよ。誠実さも時には残酷なんです。真面目は無神経の免罪符にはならないんですよ。本当に堅物です。
あの方は。セドリック様は。
結婚初夜に、他に愛する人がいるなんて聞かされた新妻の気持ちなんか、まるで理解なさっていないんですよ。
いくら優し気に、優しい言葉を選んだとしても、おっしゃっていることは「私はあなたを愛すことはない」と変わりませんよ。酷いですよね? しかもやることはやるつもりだとか訳がわかりません。
もちろん、初夜は断りました。急に具合が悪くなったと言って。
具合が悪くなった原因に心当たりがあり過ぎるあの方は、大人しく私の意見を受け入れてくださいました。
どこか悲し気に、夫婦の寝室と繋がっている扉を開けて自室へと帰っていくセドリック様の後ろ姿を見た私は、その姿が完全に扉の向こう側へと消えたのを見計らい、それは特大の溜息を吐きましたよ。この際セドリック様に聞こえていようが構わないと。
あ~あ。この結婚、完全に失敗でした。まあ、断れるものでもなかったんですけどね。
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当時、伯爵家の長女であった私コーデリア・アドラムが公爵家の嫡男であるセドリック・ダルトン様と出会ったのは、社交界デビューして間もなくの、とある舞踏会でした。
濡れたような黒髪に、翡翠の瞳。その凛々しくも艶のある美貌で、セドリック様はパーティに来ていたご令嬢たちの視線を根こそぎ奪っておりました。
もちろん私も奪われた一人です。
ですがそんな舞踏会の中心にいるセドリック様を、その頃の私は友人たちと共に遠巻きに見ているだけでした。
それからは、出席した場にセドリック様がいれば、自然と目はあの方の姿を追いました。とにかく目立つ方なのです。
どこにでもいるような薄い茶色の髪に、琥珀の瞳の、目立たない容姿の私とは違うのです。
けれど、そうして見続けていくうちに、私は気が付いてしまいました。
セドリック様はいつも、来る者を拒まずにダンスを踊っております。けれど毎回顔ぶれの変わる中、たった一人、毎回セドリック様が手を取るお方がいました。
そして一旦気付くと、そのお方とセドリック様との噂が嫌でも耳に入ってくるようになります。なんてことはありません。セドリック様とそのお方の恋愛劇は、すでに社交会中に知れたことでした。知らなかったのは、とんと、世間の事情に疎い私だけ。
セドリック・ダルトン様の特別な相手。
そのお方が、パーセル侯爵令嬢のアマンダ様でした。
アマンダ様は白金の髪に、青い瞳の、それは美しいお方です。セドリック様と並ぶと、まるで本当の王子様とお姫様です。
ですがセドリック様は、アマンダ様の王子様にはなれませんでした。
誰が見ても互いに想い合っているセドリック様とアマンダ様でしたが、アマンダ様はすでに王太子殿下の婚約者に内定されていたからです。