風雲急
その頃、
「何、ドーンが殺られたか。仕方がない、そろそろ腰を上げるとするか。カスタール鉱山の砦にはよく入って600。2000で攻め込んで来たということは、グランズドリー鉱山も狙っているということか。しかし、あそこも小さいからな。2つの砦を合わせても1000も入るまい。すると、籠城は出来ぬな。侯爵の奴め、何を考えておる?とにかく、蹴散らすか。フェイナール、支度せい」
「はっ、仰せのままに」
側近のフェイナールは、足早に部屋を出て行った。
「影将軍などと持ち上げられていい気になっておったのであろう、役立たず共めが」
そう吐き捨てると、トラディション伯爵は、重い腰をあげた。
トラディション伯爵家は、伯爵家としては考えられないほどの規模と質の兵力を保有している。それは、過去に潤沢に鉱石を産出していた頃の蓄財と、現在の人身売買の利益によって養われている兵力であり、領地を持つ貴族が持つ兵力の3倍を超えると言われている。
しかも、裏の部隊も多種多様なものを抱えており、影将軍のように、どちらかと言えば裏社会相手の部隊の他にも、貴族の暗殺に特化した影部隊も擁している。
しかし、今回の戦いを、侯爵の暗殺にまでエスカレートさせる気は、伯爵にはない。
国境をめぐる小競り合いとして収め、侯爵家から賠償金をたっぷりと巻き上げるのが、伯爵の腹積もりだ。
伯爵が戦争を、ほぼ損得のみで考えているのは、戦争に投入する兵力が金で雇った傭兵か、攫ってきた奴隷であることによる。
他の貴族家は、いわゆる家臣団が戦争の主役だが、伯爵家の兵隊は将校以外は、傭兵と奴隷だけなのだ。従って、伯爵には兵が死んでも、その死を悼む気持ちはない。ただ、金の損失を考えたときの怒りに変わるだけだ。
だから領地の境界の尾根での700名の戦死にも、カスタリング鉱山の300名の戦死にも、伯爵は無頓着だった。
どのみち、侯爵家には伯爵家の領地に攻め込むだけの兵力はない。また、今では、枯れ始めている鉱山は、金を掛けて守る程の価値もなくなっている。
今回の兵の損失も伯爵家の戦力からすると取るに足らないものであり、侯爵から賠償金をぼったくる材料になると考えているくらいだった。しかも今回は、ランズリード侯爵の領地に兵を進め、領地の何割かをぶん取るつもりでいた。その思惑があって、何もせずに攻め込むに任せていたのだ。
トラディション伯爵の居城の前に8000人の兵士が整列している。
「皆の者、よく聞け。ランズリードの愚か者共が、我が領地に手を出しおった。だが、喜べ。これで、彼奴等を打ち滅ぼす大義名分が出来たのじゃ。敵は2000と寡兵じゃ。今こそランズリードを踏み潰すときじゃ。皆の者。いざ、出陣じゃ」
トラディション伯爵の檄に応えて、兵士達が歓声を上げると、出陣の角笛とドラの音が響き渡り、8000の兵が出発していく。
勿論、伯爵は見送るだけで、戦争は将校に任せるのが伯爵家の伝統となっている。
「伯爵軍が動き出しました」
「数はどれほどだ?」
斥候からの報告を聞いて、その数を聞くランズリード侯爵。
「8000を数えます」
その答えに大きく頷いたランズリード侯爵は、
「まず、予想通りじゃな。よし、尾根の中腹まで撤退じゃ」
カスタリング鉱山から領地の境界にある尾根までは、1日で異動出来る距離だ。そこの中腹までなら、荷車を引いているので足の遅い輜重部隊がいても、1日半もあれば移動できる。その上、今回は、直ぐに撤退することを想定しての行動なので、運んでいる食料は少く、輜重隊も身軽だった。
ランズリード侯爵は、せっかく占領した砦をさっさと捨てて、尾根まで引き揚げた。勿論、引き揚げる際には、砦に火を放っている。
片や、領都からカスタリング鉱山までは、軍隊の移動なら3日は掛かる。
砦が燃える煙は、この進行中の伯爵軍からも見えた。
ランズリード侯爵軍が引き揚げようとする尾根の向こう側には、まだ姿を見せていない2000の侯爵軍が伏せられていた。
その兵を使って山腹で勝負を賭ける。その計略が侯爵の自信の源であるかと思われたが、侯爵の次の言葉は、その予想を裏切るものだった。
「セレストリ辺境伯の軍勢が、バルダ―ル鉱山を攻め落としたか。約定通りじゃな」
王国の北西の国境を護るセレストリ辺境伯が10000の軍勢を率いて、トラディション伯爵領に攻め込んだのだ。しかも、それには約定があったと侯爵は言った。
トラディション伯爵は、8000の兵を侯爵領に派兵しても、なお15000の兵を領都に、5000の兵をナザニエールに残している。とはいえ、この両面作戦には、さすがにトラディション伯爵も顔を顰めた。
「小癪な小娘め。策を弄しおって。こうなったら、本気で潰しにかかってやるぞ」
伯爵の眼が冷酷な光を帯びて光った。
時を少し遡る。王都のある場所に集まった者達がいた。
「今宵は、忙しい中を集まってもらって礼を言う」
全員が席に着くのを待って、労いの言葉を発したのは、白い仮面を着けた麗人だった。
「礼には及びませぬぞ。我らの剣はローザリア王国の剣。王国を乱す者に鉄鎚を下すのが、我らの役目ですからな」
「セレストリ卿、感謝する」と、麗人が言葉を返す。
「それで、今回は、どのような案件ですかな」とシス卿。
「卿らもご存知のように、王都での子供の誘拐は、目に余るものがある。身分を持たぬ者達だけでなく、良民の子もかなりが行方知れずになっている。先だって、ゼネーブ川沿いの倉庫を一斉捜査をして多くの犯罪者どもを捕縛したが、誘拐組織が痛手を受けたようには思えぬ」
「捕えても捕えても、悪党どもは湧いてくる。イタチごっこという訳でござるな」と、立派な顎髭をしごきながら言うのはカトレ卿だ。
「傍目にはイタチごっこと見えような。そこで、一度この組織の上流を堰き止めてみようと思う」
その言葉に、集まっていた者達が、互いの顔を見合わせた。
「それは、例の家に手を出すということですかな?」
「ふむ、シス卿、今回は、それも込みだ」
「して、我らはどのような役割を?」とセレストリ卿。
「ふむ、ランズリード卿が先陣を切ってくれる。そこでセレストリ卿には、それに呼応してもらいたい」
「ほう、ランズリードがそこまで踏み込む何かがあったわけですな?」
白い仮面の麗人は頷いて、
「ランズリードは、我が身内となろう」
この答に、集まっていた者が、再び、互いの顔を見合わせた。
「なるほど、あれは、そのように使われておられるのですな」カトレ卿の言葉に、他の2人の卿も頷く。
「で、我らはいかように?」とシス卿が尋ねる。
「王都にいる、かの家の影を狩る」と、麗人は答えた。




