マクセルの悪魔
森の中を進むと不思議な空間に入った。
馬が脚を動かしても前に進まなくなったのだ。
「おい、アウロラ。おかしいと思わないか?」と聞くと、
「分かっている。エウリュディケー様の世界に入った。下手に動くな」
「大森林の守護神か?」
「守護神様と言え」とアウロラ。
そのとき、
『よく来ました』と頭の中に声が響いた。
アウロラが慌てて地面に降りて片膝を着いた。
俺が馬に乗ったままでいると、
「お前も早く馬から降りて、ここに来て膝を着け」と叱責されたので、俺も馬から降りて、アウロラの横で片膝を着いた。
『アウロラ、その者に試練を受けさせたいのか?』と脳内に響く声。
「はい、この男をベツレム族の族長にしようと思っています」とアウロラが答えると、
『それはダメじゃ』と声が響く。
「何故ですか?」とアウロラが尋ねると、
『その者は、試練に耐えられぬ』と厳しい答えが反ってきた。
「それは・・・」
『不服そうじゃな。それなら、耐えられるかどうか、これから試してやろう。そこな男、この試練は、振り向いたら終いじゃぞ』
その声とともに、俺は違う場所にいた。
『えっ、デスク?』
俺は、オフィスの中にいた。座っているのは、よくあるオフィス用のキャスター付きの椅子だ。
俺は、思わず立ち上がっていた。左右にもデスクが並び、対面のデスクの列と向かい合っている。
20以上もあるデスクには、誰も席に着いていない。
『今の時間帯は、皆、営業で外に出ているんだな』という思いが浮かび上がった。
『えっ、何で、そんなことを知っているんだ?』
そのとき、誰かが俺の右肩を後ろから軽く叩いた。
「〇◇▽□クン」と、若い女性の声がした。
聞き覚えがある声に思わず振り返ると、大森林の中にいた。
「えっ、これは?」と驚いていると、
『どうじゃ、試練を受けなくて良かったであろう』
「今のは?」
『そなたの記憶の断片じゃ。そなたが何を見たかまでは、我には分からぬが、何を見たとしても、振り向けば、試練は終いじゃ』
その説明に納得出来ないでいると、
『今のはだまし討ちじゃと思っておる顔じゃのう。しかし、本物の試練を受けても同じことじゃ。何度やり直しても、そなたは必ず振り向くことになっておる。そして、命を落とす。そなたが我が試練を受けたならば、それは避けられぬよ』
「それでは、族長の座は、どうすれば?」とアウロラが聞く。
『そなたには、新しい加護を授けよう。詳しいことは、こ奴から聞くがよい』
その言葉を最後に、言葉の主が消えたのを感じた。
「消えたな?」俺が確かめると、
「ああ、去っていった」とアウロラが頷く。
「新しい加護はもらえたのか?」とアウロラに聞くと、
「某から説明いたそう」
目の前に1人の男が立っていた。いや、僅かに、宙に浮いていた。
黒いタキシードに身を包み、銀髪はオールバックに撫でつけられている。頬がこけた細長い顔に鷲鼻、青白い顔の中で、双つの赤い瞳が光っている。
「異界からの王よ。お目見え出来て光栄に御座います。某は、マクセルの悪魔と申します。以後、お見知りおき下さいませ」
と優雅に礼をした。
「俺が異界からの王?どういうことだ?」
「その通りの意味で御座います。異界から来られた殿下は、この世界で、冥界の王として戴冠されたので御座います」
「俺の称号を知っているのか?」
「冥界の大神であられるエウリゥディケー大神様は、殿下がこの世界に来られてから、ずっと注目されておられました。大神様の使い魔たる某も、殿下のお働きはよく存じております」
「ふ~む、知らないうちに、知らない相手に見張られていたということか」
「心配めされるな。我らは殿下のお味方で御座いますよ」
「味方?何故、俺の味方をする?」
「それをお話しするのは、いささか時期尚早で御座います。それより、アウロラ様の件を済ませてしまいましょう」
「アウロラの件?」
「某は、この大森林の管理を任されておりましてな、大森林をロデリアの街まで広げることに致しました」
「大森林が広がるのか?」とアウロラが横から口を挟んだ。
「これまでの大森林の境から、ロデリアの街まで、アウロラ様が治めるのがよろしいかと」
「私に、新しい領地がもらえるのか?何故?」とアウロラが尋ねると、
「アウロラ様が、殿下の妃となられたからで御座います。殿下とともに、その地をお治めなされ」と答えながら、タキシード姿の悪魔は俺の方を向いた。
「では、部族の者は?」とアウロラが続けて尋ねる。
「ベツレム族もドゥーム族も、某が創り出した部族です。日を置かず、部族の者をアウロラ様の元に参集させましょう」
「ちょっと待ってくれ。あなたがベツレム族とドゥーム族を創り出したって言うのか?」
あまりの衝撃的な内容に、アウロラは身を震わせながら聞き返した。
「この寒さの中で、ベツレム族とドゥーム族だけが、寒さに苦しむこともなく生きていけることに疑問を感じことは御座いませぬか?」
「その疑問は、いつも感じている」
「ベツレム族とドゥーム族だけが寒さに苦しまぬのは、某が、この大森林内の熱を司っておるからで御座いますよ」と、事も無げに答えるタキシードの悪魔。
「熱を司る?」
「大森林の樹木の中に、この世界を支えるだけの熱を失くしたものを閉じ込めてありましてな。その熱を失くしたものの力を使えば、そなたたちの部族に、体温分の熱を与えるのは造作ないことで御座います」
「その話は、族長になる試練のときに、エウリゥディケー様に聞かされた。しかし、意味が分からない。どういう意味だ?」
「分からなければ、それでよろしかろう」




