王国騒乱2
邪淫の指輪に穢されたアグニッサ女侯爵の戦い方は、全く様子が違った。アグニッサ女侯爵は、ごく少数の護衛を連れただけで、友好を深めたいという理由をつくって、西側に領境を接するカトレ侯爵の元を訪れた。そして、警戒せずに現れたカトレ侯爵を邪淫の力で魅了した後、夜を待って寝室で暗殺した。
そして、カトレ侯爵軍を魅了した上で、自軍に組み込み込んで王都に向けてカトレの街から出撃したが、街を出てほどなく、アグニッサ侯爵は指輪の力が衰えたことを感じた。
その為なのか、カトレ侯爵軍が離反して、アグニッサ侯爵軍に襲い掛かってきた。
暴虐の指輪に穢されたライオット伯爵は、ロデリア辺境伯と同様に宣戦布告をせず、1万の領兵を率いて西方のハリトラム侯爵領に攻め込んで、容易く領都を落とし、ハリトラム侯爵を弑した。
しかし、ハリトラム領から王都へ向かう唯一の街道であるハリトラム砦からシロアムの村へ抜ける途中で指輪の力が衰えて、何度も、強力な魔物の襲撃に蹂躙された。その結果、兵の半数以上を失い、王都への関門となっているシロアムの村に辿り着いたときには、兵力は4千にまで減じていた。そして、そこでシロアムの村の屈強な冒険者達との戦闘が始まった。
冥界の根を切られた穢れの指輪を身に着けていた貴族達への影響は、遥かに劇的だった。
蝕穢の指輪に穢されたケンドリッジ将軍に異変が起きたのは、トラディション軍が領都を出発して数日後のナザニエールへの途上だった。
隊列の中央にいたケンドリッジ将軍がいきなり落馬した。
周囲の将官が慌てて馬を降りて駆けよったが、ケンドリッジ将軍は既に死んでいた。しかも、その様子が只事ではなかった。顔も手足もミイラのように干からびており、落馬した衝撃で、首の骨が折れたのか、首があらぬ角度で曲がっていた。
落馬した将軍だったものを取り囲んで、将官たちは戸惑うばかりだった。このとき、ケンドリッジ将軍が左手の中指に嵌ていた指輪が消えて無くなっていたが、元々、その指輪のことを知らない将官達は誰も気が付かなかった。
しかし、いつまでも戸惑っていられないことは、将官達も分かっていた。
直ぐに、将軍の代理も務める5名の副官が軍議を開いて進退を議論し、宣戦布告をしていなかったことこそ幸いと、戦争を放棄して全軍撤退することを決めた。
「旦那様、王都の様子を使い魔が伝えてまいりました」
その頃、クラガシアに向かう途中で、アンテローヌが伝えてきた。
「反乱を起こしたのは、やはりフスタール同盟の8貴族家でした。しかし、そのうちの5貴族家の軍は退却を始めています。すでに、ゴーデン侯爵、エルトローレ伯爵、エルヴィラ伯爵、エズランド子爵の4つの貴族家の当主が死亡したようです。トラディション伯爵家の当主の死亡は確認されていませんが、軍を率いていたケンドリッジ将軍の死亡が確認されております」
「そうか、5人が死んだのか。ということは、冥界で根を切った分だけ死んだということか」
「戦闘が続いているのは3つの地域で、一つ目は、サンクストン公爵領で行われているサンクストン公爵軍とロデリア辺境伯軍の戦闘です。二つ目は、王都の西で、カトレ侯爵軍とアグニッサ侯爵軍が乱戦を続けており、三つ目は、王都の南の要衝シロアムの村の冒険者とライオット伯爵軍の戦闘、この三つの戦闘が続いています」
「王都からの援軍は出ないのか?」と俺が聞くと、
「王国騎士団が、それぞれの援護に出たということです。その後の戦況は、まだ確認が取れていません」
「このままのペースで行くと、クラガシア迄、まだ数日かかるな。ここからは俺1人で走っていくことにする」
俺はそう言って馬から降りると、荷物を全部アンテローヌに預けて、ハデスを召喚して纏った。そして、自分自身に身体強化と怪力のスキルを発動させて、王都を目指して走り出した。
俺自身の力にハデスの力が加わって、馬よりも速く走ることが出来たが、走り始めてすぐに、空気抵抗が邪魔で、時速150キロを超えるぐらいで、これ以上速く走れないことが分かった。
風魔法で追い風をつくることを考えたが、いっそのこと空気抵抗を無くせばよいと考え直して、直径2メートルぐらいの冥界結界で自分を包むと、空気抵抗が無くなり、劇的に速く走れるようになった。
その後は、恐らく時速200〜300キロで走ることが出来ている。
途中で街道に張り出した木の枝にぶつかりそうになったが、冥界結界の意外な効果として、行く手にある物質を透過してしまうことが分かった。
『相手から見えない上に、木や壁を透過出来る。これなら街の中でも城でも平気で入って行ける。おまけに、冥界結界の中から攻撃し放題で、こちらの存在は相手に分からない。これって、ひょっとしたら、無敵スキルじゃないか?』
冥界結界は、使えることに不安を覚えるほど強力なスキルだった。
俺が走り始めたのは、トラディションとナザニエールの間なので、王都まで馬車で10日程の距離があったが、その距離を数時間で走り切った。
ハデスによる力の補助があったので、疲れもほとんどない。
そのまま、冥界結界を解かずに、王都の壁をすり抜けて王都第3騎士団の本部に戻った。
本部には、ラミューレと数名の騎士しか残っていなかった。
自分達の部屋で冥界結界を解除して姿を現すと、パティやデユエット達が驚いたが、それぞれに軽くキスだけして、詳しいことは後で話すと言って、ラミューレを探すために部屋を出た。
ラミューレは、すぐに見つかった。
「あれ、ダブリンさん。いつ戻って来たんですか?」とラミューレが、いつもと違う緊迫した口調で聞いてきた。




