王国騒乱1
時は少し遡る。
ラディウスから渡された封筒に入っていた指輪を身に着けたロデリア辺境伯は、次の日の朝、左手の中指に嵌めたその指輪を見詰めていた。
すると、その指輪から、ある思念が流れ込んできた。いや、指輪からではなくて、指輪を通じて流れ込んでくるのだ。その思念とは、ローザリア王家打倒への渇望。ローザリア王家を廃し、替わりに、ロデリア家が至高の権力の座に就くを先祖代々の悲願としてきた、ロデリア家の怨念とも言うべき思念だった。
ロデリア家は、今でこそローザリア王国の北の護りの要と言われる貴族家だが、その昔は、どこの国にも属さない在地の豪族の一つだった。
ロデリア家の先祖は海賊だったとされるが、それは仮の姿で、実際は、ローザリア王国の東に広がる大海を越えた先にあった、今は亡きフスタール帝国の貴族だと伝えられている。
フスタール帝国の皇帝は、あるとき、帝国貴族の中からトラディション伯爵家を始めとして8人の貴族の子弟を選んで、大海を越えた向こうにある大陸に派遣した。その8人は家督を継げない貴族の次男や三男達で、征服した土地は全て与えるという旨い話に釣られて、新天地に夢と野望を抱いてやって来たのだ。
彼らの使命は、沿岸部に居付き、その土地の部族を支配し、フスタール帝国の進出の足掛かりとすることだった。
その計画は、ある意味では成功し、ある意味では失敗した。
その8人は、たちまち沿岸部の村や街を制圧し、その土地の豪族として、同時に、海賊として、支配地を広げていった。
彼らが、簡単に支配地を広げていった理由は、彼らが帝国から与えられた大型外洋船にあった。
沿岸部を航行するのがやっとの小型船もしくは中型船しか無い世界に、いきなり、大型外洋船が現れたのだ。
海の上では、戦いではなく、蹂躙だった。高速で疾る大型船の衝角が、小型船や中型船を、一方的に海の藻屑に変えていった。
こうして、選ばれた8人が新しい土地を支配したという面では成功だったが、肝心の帝国が、まもなく東西に分裂し、海に面した西側の帝国が滅亡した。
そのため、大海を渡った8人は、祖国との連絡が取れなくなり、帝国から与えられた大型船が老朽化した後は、大海を渡る大型船を造る技術も失われて、祖国のあった大陸との行き来そのものが出来なくなった。
そして時は流れ、在地の豪族であり海賊でもあった8人の貴族の末裔は、西方に興ったローザリア王国に膝を屈し、その版図に飲み込まれることになった。
そして7家は沿岸部の領土を安堵されたが、彼らの盟主であったトラディション家のみは、支配していたバッハ地方から、当時は不毛の地とされていた資源の無い内陸部に領地替えとなった。
この8つの貴族家の繋がりは時代を超えても弱まることなく、固い絆の同盟を結び、王国内の反主流派を形成していた。その同盟は、今は亡き、彼らの故国であるフスタール帝国にちなんでフスタール同盟と呼ばれている。
ちなみにバッハ地方は長い間、領主のいない土地となり、約60年前にトライエル侯爵に制圧されてトライエルバッハ侯爵領になるまで、海賊達の基地になっていた。
フスタール同盟と呼ばれている彼らが、時代を超えて固い絆を維持出来たのは、彼らの領地が沿岸部に集中していた為、海運による互いの利益を保護し合っただけでなく、密かな海賊行為と、沿岸伝いに行き来出来る他の王国との密貿易によって莫大な利益を上げていたからだった。
そして、沿岸部を追われたトラディション家は、その後、鉱山の収入でフスタール同盟の基盤をより強固なものにした。そして、領内の鉱石を採り尽くした後には、大規模な奴隷売買を始め、フスタール同盟そのものが、王国の裏社会に君臨する黒い貴族になっていったのだった。
放漫の指輪に穢されたロデリア辺境伯は、宣戦布告無しに、南に隣接するサンクストン公爵領に攻め込んだ。
領境の小さな街ミラリアでは、櫓の上の見張りが迫って来る軍勢に気が付いて鐘を鳴らしたが、この街は、街壁の高さが3メートル程しかなく、駐留している騎士団も数が少ない。サンクストン公爵とロデリア辺境伯とは良好な関係にあり、この方面から攻められることを全く念頭に置かれていなかった。
ミラリアに駐留する騎士団や街の衛兵は、砂煙を上げて迫って来る2万以上の軍勢を見て、戦意を喪失した。ロデリア辺境伯も辺境伯の特権として、他の貴族より、多くの軍勢を保有することが認められていた。
街壁の上からの迎撃が弱腰であるのを見て取ったロデリア辺境伯軍は、街門を破城槌で突き破ると、街の中に雪崩れ込み、街を護る騎士団や衛兵を皆殺しにした。
ロデリア辺境伯軍は、このミラリアで足を止めず、そのまま街の反対側の門を抜けて、その背後に控えるポストロフの街に向かった。
ポストロフの街は、ミラリアのような小さな街ではなく、街壁の高さも5メートルを超え、3千人の騎士団が常駐する、領都の西を護る要衝といえる街だった。
しかし、2万人を超えるロデリア辺境伯軍を、3千人の兵力で守り切るには無理があった。攻防戦が始まって間もなく、手薄な個所から城壁を乗り越えたロデリア辺境伯軍が街の中に溢れ返った。
ポストロフの街を制圧した数日後、ロデリア辺境伯は自身に異変を感じて、左手の中指に嵌めたその指輪を見詰め直した。
『指輪の力が弱まっている』
幾つかの穢れの指輪が消滅したことが、ロデリア辺境伯が持つ指輪に影響を与えていた。
指輪の力が弱まった分、ロデリア辺境伯自身の力も弱まっていた。サンクストン公爵領に攻め込んだときの圧倒的な力が感じられなくなっていた。
それでもロデリア辺境伯軍は、途中で抵抗らしきものに合うこともなく領都サンクストンに辿り着いた。
サンクストン公爵の元に、ミラリアとポストロフ陥落の報せが届いた。
領境の街からの急使を謁見した公爵は、
「ロデリア辺境伯が謀反だと。つい先日まで、変わった様子は感じられなかったぞ。この短い間に、何があった?」
サンクストン公爵は疑問を感じながらも、将軍達を呼び付けて軍議を開いた。
大きな机上に配置された複数の木札を睨みながら
「ロデリア辺境伯軍は2万。対して我が軍は、ポストロフの3千は壊滅したというから、領都に1万5千。周辺都市の騎士団を集めれば、さらに5千は上積みできる」
「周辺都市を無防備にすれば、敵は兵を割いて、周辺都市の略奪を図るでしょう」
「わが軍の方が数が少ないのか。だとすれば、籠城して兵の損失を防ぎ、王都からの援軍を待つべきですな」
「ロデリアの小童ごとき、1万5千で十分じゃ。すぐに出陣して、討取りましょうぞ」
将軍達の意見は分かれたが、結局は、ロデリア辺境伯を軽んじている老将軍の意見に押し切られて、街から撃って出ることになった。
高い街壁を後ろに控えた平野で、サンクストン公爵軍1万5千とロデリア辺境伯軍2万が激突した。ひとしきり矢と魔法を撃ち合った後、騎馬隊同士が激突し、その後を追って槍兵が突撃した。




