悪意
『また、負けたのう』
頭の中で声が響き、いつの間にかカロンの船に乗っていた。
「さっきの女は?」
『邪淫じゃよ。昨夜、そなたは邪淫に溺れたのじゃ』
「テレナと思っていたのは幻覚か?」
『精神攻撃じゃな』
「俺は、コロシアムに居たはずだよな。どうして、途中で邪淫が現れたんだ?」
『途中で邪淫が介入してきたのじゃ』
「すると、俺は2回も負けたことになるのか?」
「負けただけ、生者の世界での戦いが厳しくなるのう」
「確か8つの穢れと言っていたな。後、4回も、こんな試練があるのか?」
『さあ、そろそろ次の試練じゃ』
カロンは俺の問いに答えずに、新しい岸に船を着けようとしていた。
小さな桟橋の向こうに、村が見える。
『行くがよい』
カロンは、その桟橋に船を横付けした。
俺は、気を取り直して桟橋に飛び移り、川から垂直に伸びる1本道の両側に、粗末な軒を並べている村に入っていった。
この村は漁村のようで、どの家も軒先に魚の干物を吊り下げていた。
直ぐに気付いたが、この村には人の気配がない。気配察知や魔力探知や熱感知、その他の感知系スキルを総動員しても、生き物の気配が感知出来ない。
敵は、もっと陸地の奥にいるかも知れないので、1本道を歩き続けた。
道の両側に続いている家の並びは、暫くすると途切れ、何もない空き地に出た。道もそこで途切れていた。
『何もないのか』と周囲を見回すと、左側の家の裏からバシバシと、何かを叩く音が聞こえる。
俺は、気配を殺して慎重に音がする方に近づいた。家の角に身を隠しながら、音のする方を、そっと覗いた。
すると、目に飛び込んで来たのは、数人の子供が輪になって、木の枝で輪の中心の地面を叩いている姿だった。
何を叩いているのかと目を凝らすと、輪の中心にあるのは平べったい石の板だった。
『助けて』と、頭の中で声が聞こえた。
『誰だ?』と警戒すると、
『目の前にいる』と、また念話が聞こえた。
『目の前だと?』と、改めて前を見ると、子供達が叩いている石の板が念話の主だと感じた。
『これは、どうしたことだ?石が念話を送ってきたのか?それとも、石に見えているが、じつは生きているのか?』
俺は子供達を止めようと思ったが、そこで、一旦考え直した。
これは、あまりにもある昔話に似て過ぎいる。
そう、浦島太郎の昔話だ。
確か、浦島太郎は亀を助けて、その亀のお礼で龍宮城に招かれて、最後には老人になってしまうという話だった。
この昔話に出てくる悪意の象徴が、亀を虐める子供達だというのは間違いない。しかし、浦島太郎を老人にする玉手箱を与えた乙姫、更には、乙姫のもとへと連れていった亀にも、悪意があったという見方も出来る。
目の前の出来事が、浦島太郎のアナロジーならば、ここで俺が滅するべきは、子供達か?叩かれている石か?そのとも、その両方か?
ここで選択を間違うと、また負けたことになりそうで、俺は動けなかった。
しかし、いつまで経っても状況は変わらない。子供達は、目の前の石の板を木の枝で叩き続けている。
『これは、俺が行動を起こさないと、状況が進展しないのか?だとするならば、俺は正しい行動を選択しないといけない筈だ。今回の敵は、悪意の筈だ。それなら、まずは、子供達の悪意を止めるのが正しい選択に見える。しかし、叩かれているものにも悪意がもしれない。その場合はどうすべきだろう?とりあえず、子供達を止めてみるか』
そこまで考えて、俺は家の陰から出て、
「おい、叩くのを止めろ」と子供達に声を掛けた。
子供達は驚いて俺の姿を見ると、慌てて逃げていった。
俺は、子供達が囲んでいた場所に行き、叩かれていたものを手に取った。
それは六角形をした平たい石で、片面は白く、裏返してみると、反対側は黒かった。
『やっと助けてくれたのかい?』
石から念話が届いた。
「お前は何だ?何故、子供に叩かれていた?」と問いただすと、
『それは、僕は正しいからだ。正しいは、叩かれるんだ』
と、哲学的な答えが返ってきた。
そのとき、俺は偶然石をひっくり返した。すると、石は、
『俺は悪だ。悪は、叩かれるんだ』と、正反対のことを言い出した。
俺は試しに石を何回もひっくり返した。すると、白い面が上に向いているときは、『俺は正しい』と主張し、黒い面が上に向いているときは、『俺は悪い』と、主張することが分かった。
そして、どちらも『お礼をしよう』と言ってくる。
浦島太郎の昔話では、そのお礼に悪意がこもっているから、俺はこいつが8つの穢れの悪意だと考えて、剣の柄で、この石を叩き割った。
次の瞬間、俺はカロンの船の上にいた。どうやら、俺の判断は正しかったらしい。
『今回は勝ったようじゃの』とカロンが船を流れの中に漕ぎ出しながら言った。
「俺は勝ったのか?どういうことだったんだ?」と聞くと、
『今回も精神攻撃じゃ。あの子供達は、正しいを叩く世の中という悪意じゃよ。しかし、その正しいも、見方を変えれば、悪じゃ。世の中は、正しいも、悪いも、悪意を持って叩く。しかし、これは、分かりやすい悪意じゃ。注意せねばならぬのは、世の中に悪意を持って叩かれる正しいが孕む悪意、これが、一番恐ろしい悪意だということじゃ。少し難しい話じゃがな。しかし、悪意の危険性は、そこにこそある。それを、そなたが見抜いた故に、勝ったのじゃ』




