領都トラディション
領都トラディションが、燃えるアンデッドに取り囲まれて、誰も出入りできなくなって約20日。この状況を解決すべき領主であるトラディション伯爵は、何の手も打たずに、居城の自室に閉じこもったまま出て来ないと噂されていた。そして、その噂が、領都の住民の不安と動揺を、否応なしに高めていた。
伯爵が何もしない理由は、伯爵自身がすでにアンデッドになっており、穢れの女王のある目的の為に、生者の振りをしてトラディション城で暮らしていたからだった。
しかし、穢れの女王が消えた日、アンデッドの伯爵も姿を消していた。
「閣下」「閣下」「閣下」
城の中では、多くの人間が、姿を消したトラディション伯爵を探して、右往左往していた。
遂に、執事のセブロンが、貴族街の外れに隠棲する元将軍のケンドリッジの屋敷に駆けこんだ。
「どうしたセブロン、息を切らして」
「ケンドリッジ将軍、城で異変が起きております」
「儂は、もう将軍ではない。何故、儂のところに来た?」
「閣下のお姿が見えません。フェイナール宰相も、ジラバセ将軍も、アリーニャ妃様、アイネス殿下、マイアス殿下も、皆、お姿が見えません」
「何、皆、おらぬのか?」
「はい」
「いつからじゃ?」
「今朝、侍女が気付きましてございます」
「とりあえず、城に行くとしよう」
ケンドリッジ将軍は、軍服を着込んで腰に剣を吊るし、セブロンが乗って来た馬車に乗り込むと、大急ぎで城に向かった。
謁見の間はもちろん、執務室、書斎、寝室、倉庫、騎士団宿舎、練兵場、地下室、地下牢など、あらゆる場所を調べたが、伯爵とその一族、宰相、将軍、皆いなくなっていた。
「これは、いったいどうしたことじゃ。セブロン。このことを知っているのは誰と誰じゃ?」
「それがしと侍女が数名でございます」
「その侍女の口止めをせよ」
「ははっ」
ケンドリッジ元将軍は、執事のセブロンに口止めをした後、再び伯爵の執務室に入り、先ほどは気付かなかった執務机の上に置かれていた指輪を手に取ると、意識せずに、その指輪を左手の中指に嵌めた。
「セブロン、非常事態じゃ。儂が、将軍に復帰する」
ケンドリッジの宣言に
「ははっ」と、セブロンは片膝を付いた。
幌馬車を失くしたのは痛かったが、今は行動の自由を確保する方を優先した。
3頭の馬には、俺とアンテローヌ、アリシアとシモーヌ、オーリアとクレラインとルビーに分かれて乗った。幌馬車に積んでいた荷物も、出来るだけ馬の背中に乗せたので、食料やテントなどは置いて来ずに済んだ。この世界の馬が大きい生き物なので助かった。
ナザニエールの領兵やギルド職員も、街から逃げ出した冒険者を追いかける余裕は無かったようで、多くの冒険者が街から逃げ出すことに成功したようだ。
その後、俺達は、そのまま領都トラディションに向かって馬を走らせた。
領都トラディションに近づくにつれて、街道の周囲でもアンデッドで出くわすようになり、その度に、『消えろ』と念じると、消えていった。
俺のアンデッドフィールドの権能がどこまでの射程を持っているのか分からないが、かなり遠くまで届くようで、半径2キロから3キロの範囲で、アンデッドフィールドを解除することができるようだった。しかし、トラディション伯爵領全体がアンデッドフィールドになっている中で、俺がちまちまとアンデッドフィールドを解除したところで、結果は知れていた。
ナザニエールから領都トラディションまでは、馬車でなら3日以上かかる距離だったが、騎乗して飛ばしたので2日目の夕方には領都が見えて来た。
領都の周囲にはアンデッドが群がっているが、あの存在が消えたことで、アンデッドはもう燃えておらず、黄昏の中に黒々とした人影が蠢いているのが見えた。
領都から少し離れたところまで来た俺達は、馬の脚を止めた。
アンデッドを消すのを誰かに見られると具合が悪いので、暗くなるまで待ってから、城壁から1キロぐらい離れたところをディアスに駆けさせて、領都の周囲をぐるりと回って、アンデッドフィールドを解除し続けた。
「「「おい、アンデッドが消えているぞ」」」
その朝、領都の城壁の上にいた見張りの兵士達が、驚きの声を上げた。
「何、本当か?」
兵士達の声を聞いて、守備隊の隊長が城壁に駆け上がり、城壁の下を確認する。
「確かに、アンデッドが消えている。俺は、城に報告に行く。お前たちは、このまま見張っていろ」と言い置いて、隊長は城壁を駆け下りて行った。
守備隊の隊長がトラディション城に着くと、直ぐに、会議室の一つに通された。そこには、豪華な鎧を着て現役に復帰したケンドリッジ将軍が居た。
「これは、ケンドリッジ元将軍」と驚く隊長に、
「儂は復帰した。報告せよ」とケンドリッジは応じた。
同じ頃、城門の内側では、アンデッドが消えたことを知った、他領の貴族家の密命を帯びた商人や冒険者が集まって騒ぎ始めていた。
その中には、他領の貴族達もいたので、この騒ぎを守備隊では押さえきれず、貴族達は領都から出て行き、それに乗じて、商人や冒険に扮した影達も領都を脱出していった。もっとも、極少数の密偵達は、なおも領都内に留まっていた。
今後の投稿は不定期になります。




