穢れの指輪
黒い貴族と呼ばれるフスタール同盟の貴族の領地には、ある共通点があった。
それは、トラディション伯爵領を除いて、王国の東側にある海に面しているか、王国の中央から東に向かって流れるゼネーブ川沿いにあるかで、いずれも、船による輸送を産業の柱にしていることにあった。
その為、古くから海賊との結び付きが深いだけでなく、誘拐された子供達は、国内の奴隷商に売られるだけでなく、他国に船で運ばれていると容易に想像出来た。
黒い貴族の1人、王国の北東の海岸線から西側の土地を領地とするロデリア辺境伯の下に、ナザニエールのギルドマスターで、アンデッドになったはずのラディウスが、トラディション伯爵の使節として訪れていた。
「トラディション伯爵からの書簡だと?それより、アンデッドの原はどうなった?」とロデリア辺境伯は、胡散臭そうに相手を見る。
「全ては、お目を通して頂ければお分かりになると伝えよと命じられております」とラディウス。
「仕方がないのう。どれ、目を通してみよう」
ロデリア辺境伯が受け取った書簡には、1つの指輪が同封されていた。
「同盟の結束の証として、この指輪を贈るだと?」
ロデリア辺境伯は、封書から出した指輪を、何の疑問も持たずに、左手の中指に嵌めた。辺境伯が、その指輪を調べることなく、また、警戒することもなく、直ぐに指に嵌めてしまったのには、指輪そのものに、そのような行動を誘導する何かが仕込まれていたのかもしれなかった。
同じような使者は、ロデリア辺境伯領の真南にあるアグニッサ侯爵、ゼネーブ川の中流域を支配するエルトローレ伯爵、ゼネーブ川下流から河口を支配するゴーデン侯爵、さらにその南にあるライオット伯爵やエズランド子爵、王国の南東の海岸に接するエルヴィラ伯爵、それぞれの貴族の下にも訪れていた。そして、その貴族達もまた、警戒心や疑問を抱くことなく、贈られた指輪を指に嵌めていた。
『これで、7つの穢れの芽が撒かれた。傲慢。貪欲。獣性。邪淫。悪意。暴虐。欺瞞。いずれの芽が、最も大きく育つか楽しみじゃ。ふむ、これで暫くは、人間の世界で、我がすることは何もないのう。気がかりな者がおるが、些なことよ。今は捨て置くとしよう』
声に出すことなく、そう呟くと、穢れの女王と呼ばれた存在は、細い指で空間に切れ目をつくり、この世界に来た時と同じように、切れ目に指を差し込み、切れ目を左右に押し広げて、その向こう側の世界に消えていった。
それから数日後、ローザリア王国では、突如として内戦が勃発した。
王国の北東の端に領地があるロデリア伯爵が、西隣のサンクストン公爵領に攻め込んだ。
その南方では、アグニッサ侯爵とエルトローレ伯爵とゴーデン侯爵が、カトレ侯爵領に攻め込んだ。
ゼネーブ川の南側では、ライオット伯爵が、ハリトラム侯爵領に攻め込んだ。
エズランド子爵が、その南方にあるトライエルバッハ侯爵領に攻め込んだ。
エルヴィラ伯爵は、シス侯爵領に攻め込んだ。
■ローザリア王国の東側の各領地の位置関係
ロデリア辺境伯領 海
サンクストン公爵領
アグニッサ侯爵領 海
カトレ侯爵領 海
エルトローレ伯爵領 ゴーデン侯爵領
王都 ~~~~ゼネーブ川~~~~ 海
ライオット伯爵領 海
⛰ ハリトラム侯爵領
ナンガプール山 エズランド子爵領 海
アンデオン子爵領
トライエルバッハ侯爵領 海
エルヴィラ伯爵領 海
シス公爵領 海
この内戦が起こるまで、王国内では、アンデッド討伐の軍を出すか出さないかで、貴族たちの意見が対立していた。
トラディション伯爵領にアンデッドの原が出現したことは、王家だけでなく、各貴族達も、影や商人や冒険者等の密偵達から報告を受けていた。そこで、アンデッドの原の情報を集めるために、王家からも各貴族家からも、さらに多くの密偵が伯爵領に送り込まれた。
しかし、最初に報告をもたらした以外の密偵達は、その後、伯爵領から出られなくなって、一切の情報が得られなくなっていた。
アンデッドの原が出現してから、それほど時間が経たないうちに、伯爵領には、入ることが出来ても、出ることが出来ない結界のようなものが張られていたからだ。それは、あの穢れの女王と呼ばれた存在の仕業に違いなかった。
王家に対して、アンデッドの原への出兵を要請する貴族の突き上げは激しかったが、王家は、確かな情報が得られていないことを理由に、出兵に応じなかった。
そして、アンデッドの原が現れてかなり経ったある日、その結界が消えて、伯爵領から出られなくなっていた密偵達が、王家へ、各貴族へと、続々と戻り始めた。
密偵達は、燃えるアンデッドが、トラディション伯爵領の領都を取り囲んでいるなどの驚くべき情報をもたらした。
そして、新しい情報を得て、王家や各貴族の動きが慌ただしくなってきたときに、内戦が勃発したのだ。




