伯爵家の遺産
トラディション伯爵は、フェイナールに指示した後、執務室を出て、書斎に向かった。書斎に入ると、入り口のドアを閉め、本棚の中の一冊の書物を取り出す。
その書物のあるページを開いて、そこに押されている手形、それは伯爵自身の手形だったが、その手形にぴたりと重なるように掌を押し付けた。
次の瞬間、伯爵と書物が光り、その姿が消えた。
トラディション伯爵が転移して来たのは、白い部屋だった。
書物に描かれた手形は、伯爵家が、先祖代々秘匿してきた転移魔法の鍵だった。
伯爵家では、家督を継いだ者だけが、この転移の書に、手形を登録することが許される。そして、ある者が手形を登録すると、前に登録していた者の手形は消える。つまり、この書物で転移できるのは、常に、伯爵家の現当主だけという制限がかかっていた。しかも、この転移魔法は、3カ月に1度しか使えない。
伯爵は、今回のことが起こってから、この転移魔法を使う状況を見極めようとしてきた。そして、それが、このタイミングだと考えたのだ。
転移してきた部屋には、代々の伯爵家当主が集めた、禁術について記された書物や研究者の覚え書き等が、数多く蔵されていた。
伯爵が、煉獄の業火について知っていたのは、家督を継いだ当初、この部屋でかなりの時間を費やして、禁術の研究をしていたからだった。
数々の書物や覚え書きの中に、伯爵は探していたものを見つけた。冥界について考察した、古代の魔導士が書き記した書物だった。
伯爵が知りたかったのは、まず、アンデッドの原についてだった。
調べてみると、アンデッドの原は、戦死者が多過ぎたときに偶然に出来ると考えられているが、高位の冥界の魔物が関係していると記されていた。冥界の魔物と言えばリッチが思い浮かぶが、リッチがアンデッドの原に関係していた記録は無いとも記されていた。
『今回のことを引き起こしたのは、リッチだとラディウスは言っていたが、違うのか?この記述から考えると、リッチよりも上位の冥界の魔物、冥界の王が関係しているのか』と伯爵は推測した。
そして、資料の中から冥界の王についての記述を見つけた。
『ふむ、ヘルゲートによって召喚できるのか。すると、何者かが、冥界の王を召喚したのか?召喚された冥界の王をどうやって使役するのかが問題じゃな』
しかし、冥界の王を使役する方法は、どの書物や覚え書きにも書かれていなかった。
ここに記述が無い以上、有効な手段は独自に考え出さなければならない。
『リッチを使役する方法ならば分かっている。その方法は、冥界の王にも有効かもしれぬ。確か、リッチの書には、その方法が書かれていた筈じゃ』
次に伯爵が広げたのは、伯爵自身が以前に何度も読んでいた数冊の書物で、その内容を今一度を確認するために再読した。
そのいずれの書物にも書かれているのは、子供を生贄にすることで、リッチを使役出来るとする研究だった。
代々の伯爵家は、この書物の記述に基づいて、カスタリング鉱山の坑道にいたリッチに、子供を生贄として捧げてきたのだ。
しかし、ランズリード侯爵軍が坑道を占領したことで、リッチが坑道から出て来てしまったと、伯爵は考えた。
伯爵家の秘蔵の書物の記述は、ある部分で正しく、ある部分で全く間違っていた。
それは、子供の生贄を捧げても、リッチを使役することは出来ないということだった。従って、その方法で冥界の王を使役することも出来ない。これが、トラディション伯爵の致命的な間違いだと、伯爵には知る由もなかった。
執務室に戻った伯爵は、ラディウスを呼び出した。
「ラディウス、子供を用意しろ」
「子供を?」とラディウスは怪訝な顔をする。
「それは、フェイナールの仕事じゃなかったのか?俺は、汚ない仕事には手を出さないぜ。これでもギルドのマスターなんだからよ」
「フェイナールの手下どもは使えなくなったんじゃ」
「ふん、あいつらは、たいした実力もない癖に、影将軍などと呼ばれて、威張り腐ってやがったからそうなるんだ」
「ドーン達を殺したのは、リッチだと思っておったが、それは間違いじゃった」
「俺は、リッチだと思ったが違うのか?誰が殺ったんだ?」
「冥界の王だ」
そのとき、ラディウスが一瞬だけ動きを止めた。しかし、何事もなかったように平然としながら、
「冥界の王って、どういうことだ?」
「詳しく言えぬが、ある確かな情報によると、アンデッドの原をつくるのはリッチより上位の魔物だということじゃ。そして、リッチより上位の魔物といえば、冥界の王しかおらぬ」
「なるほど。それで、冥界の王か。だけど、それと子供がどう繋がるんだ?」
「カスタリング鉱山のリッチは、子供を生贄に差し出すことで、大人しくさせておった。あのランズリードの馬鹿どもが坑道に入り込んだから、リッチが怒って出てきおった。しかも、どういう訳か、冥界の王まで出てきおった。これを押さえるには、子供の生贄を差し出すしかない」
「じゃあ、リッチを倒さなくてもいいのか?」
「強者を集めるのは、政治的な問題があって、今は出来ぬのじゃ」
「子供を生贄にすれば冥界の王を押さえることが出来るっていうのは、確かな話なのか?」とラディウスが疑問を口にすると、
「お前が心配せずともよい。直ぐに、100人の子供を攫ってこい」
「そうかい。分かったよ」
「早く行け」
ラディウスは、妙にニヤニヤしながら、その場を去った。
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