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幼馴染のニート更生日記  作者: やわらぎメンマ
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8.先輩達の過去(1)

 菜奈が小学校に通い始めてから数日。

 この時の菜奈は、転入した学校にさえ、自分の居場所を見出せずにいた。

 初めての校舎。突然編入してきたにもかかわらず、明るく出迎えてくれるクラスメイト。そして、口は悪いけど、何かと自分のことを気にかけてくれる拓哉に、全く縁もゆかりもない自分を拾ってくれた義理の両親。

 みんな今までと違って、本当の意味で私のことを見てくれている環境のはずなのに、心のどこかで私は彼らに対して―――、いや、そもそも人間そのものに対して信用できずにいた。

 そうなってしまった理由は、もちろん当事者である自分にははっきり分かっている。

 今の菜奈が生まれたきっかけは、紛れもなく生みの親であり、つい最近まで育ててくれた実の両親だった。

 とはいえ、元々とても穏やかで優しい性格の両親の元で生まれ育った菜奈は、今のような内気な性格ではなかった。

 むしろ伸び伸びとした環境で、優しい両親のもとで大切に育てられてきた菜奈は、とても明るく社交的な子供として近所の住人にも知られ、当時の吉田家はとても幸せに満ちた家庭に思われていた。

 だが、そんな吉田家に不穏な影が現れ始めたのは、菜奈が黒崎家に来ることになった半年ほど前のある日のことだった。

 菜奈が小学校から自宅のマンションに帰ってくると、いつも出迎えてくれる母親の姿が珍しくなかった。

 菜奈の母親は専業主婦で、いつも私が帰ってくる頃には洗濯物を干しているか、キッチンで晩御飯の準備をしているのだが、この日はキッチンもリビングも真っ暗で、カーテンも締め切られていた。

 「買い物行ってるのかな?」

 少し怪訝に思いながら、菜奈はランドセルをダイニングテーブルの上にポンとおく。

 するとテーブル中央に二つ折りの便箋が1枚置かれているのに気づいた。

 不思議に思い、菜奈は何気なくその便箋の中を開ける。

 するとそこには、見慣れた母の綺麗な字で、

 『菜奈へ。パパとママは急な用事で帰りが遅くなります。今日の晩御飯は、台所のポット脇にあるカップ麺で我慢してください。ごめんね。母より』

 簡潔に帰宅が遅くなる旨が書かれていた。

 菜奈は少し驚きながらも、

 「ママたち、遅くなるんだ」

 この時はすんなりと、手紙に書かれたことを菜奈は受け入れた。

 たまにはこういうこともあるだろう。

 別に深い理由があるとは思えず、当時の菜奈はそんなふうにしか思わなかった。

 むしろ、普段は不健康だからと食べさせてもらえないカップ麺を食べられる。

 そんなどこか非日常的なワクワク感が強かった。

 「ラーメンっ、ラーメンっ♪」

 普段母親が作る手作りの食事とは違う、どこかジャンキーさのある味が、菜奈の幼い舌を刺激する。

 「美味しいっ!」

 珍しい食事に目をキラキラさせながら、菜奈は若干床に届いていない足をプラプラとさせてラーメンを啜っていく。

 こうしてこの日の菜奈は、特に(わび)しさを感じることもなく、生まれて初めて一人の夕食を取った。

 だがこの日を境に、黒崎家の晩御飯は途端にカップ麺の日が多くなっていった。

 カップ麺の種類自体は毎回変わっていたが、ラーメンに焼きそば、うどんにそばと、基本的に全て麺類ばかりなので正直飽きてしまう。

 そんな食生活が1週間が過ぎる頃には、1日一食はインスタント食品になっていた。

 終いには学校給食以外のほぼ毎食がインスタント食品になってしまい、それまで喜んでカップ麺を食べていた菜奈も流石に飽きてきていた。

 「ママのご飯、食べたいなぁ」

 最近は置き手紙もなく、ただポットの脇にカップ麺が置かれてることが多い。

 菜奈が朝起きてリビングに出る頃には、すでにゴミ捨てや洗い物が片付けられていることが多かった。どうやら両親は夜遅くに帰ってきて、菜奈がまだ寝ている早朝に家を出ているらしい。

 でも一方で、そもそもカップ麺が出るようになったあの日から、両親とまともな会話をした記憶がない。

 今までは両親のどちらかが必ず家にいて、些細なことでも家族の中で会話があった。

 些細なことでも笑いに包まれてた、4人掛けのダイニングテーブル。

 いつもそこには自分の話を楽しそうに聞いてくれる両親がいた。

 それなのに今の菜奈は、一人寂しく味気ないカップ麺を啜っている。

 菜奈の孤独感が高まっていくのと比例するように、この頃から不穏な予感を感じるようになっていった。

 

 

 

 菜奈が家に帰っても一人でいることが当たり前になってきた、ある日の夕方。

 いつもののようにポット脇に置かれたカップ麺を菜奈が啜っていると、突如玄関のインターホンが鳴った。

 「吉田さぁーん、田辺金融ですけどぉー」

 乱暴に扉をノックしながら、聞きなれない男の人がインターホン越しに投げかける。

 菜奈はインターホンのカメラ越しに相手を確認すると、そこには見たことのない男の人が立っていた。

 細身でスラッとしたスーツ姿の男で、顎にちょび髭を生やしている。

 髪はしっかりと整えられているが、何処となくカタギではなさそうなその人は、どこか気だるそうに呆れたような口調で、

 「おーい、いるんでしょー?」

 扉を何度も叩きながらインターホン越しに叫んでいた。

 (何……?あの人……、怖いッ……)

 男のそのあまりの迫力に、菜奈はインターホンの前で怯えて固まってしまう。

 普段なら来客があっても、母親がすぐに出て対応していた上に、

 『もし知らない人が来ても、勝手に出ちゃダメ』

 と言いつけられてきた。

 とは言っても、これまで家に一人で過ごすことがほとんどなかった菜奈が、両親の不在の時に、知らない人が訪れるのは、これが初めてのことだった。

 おまけに今回のお客さんは、どこかとても高圧的で怖い。

 菜奈は母親の言いつけを守って、居留守を決め込んだ。

 一方の知らない男は、何度かドアを叩きながらインターホン越しに叫び続けている。

 (怖い……、ママ、助けてっ……)

 心の中で願いながら、菜奈は必死に息を殺し続けた。

 不安で心臓を握られているかのような感覚のまま、時間はゆっくり過ぎていく。

 だけど数十秒くらい経つと、玄関が急に静かになった。

 「はぁ……」

 インターホン越しに、男の深いため息が聞こえる。

 「本当にいねーのかよ」

 そんな一言だけ残していくと、玄関からの足音が徐々に遠ざかっていった。

 「か、帰ったのかな……?」

 菜奈はビクビクしながら、インターホン越しに外の様子を確認する。

 どうやらさっきの男の人はいなくなったようで、玄関前には人の影がなさそうだった。

 「よ、よかった……」

 さっきの男は一体誰なのだろうか?

 とはいえ、まだ小学校の低学年である菜奈ですら、流石にさっきの男が普通の人じゃないことは分かる。

 あの男は自身の名前こそ名乗らなかったが、『田辺金融』と言っていた。

 お金が関係する、怖い大人の男の人。

 嫌な予感しかしなかったが、菜奈はひたすら関係ないと自分に言い聞かせた。

 そしてその日は部屋のカーテンをすべて締め切ると、菜奈は自室のベッドに潜る。

 この日菜奈は、不安で顔を濡らしながら床に就いた。

 



 次の日の放課後。

 この日菜奈は、胸を締め付けるような不安を感じたまま学校で1日を過ごした。

 授業どころか、友達との会話ですら何処か上の空にだった自覚があったものの、普段のような気さくな対応をとれるほど、菜奈の精神は成熟していない。

 先生や友達からは当然のように心配の声をかけられていたが、「大丈夫」とあしらい続けた。

 申し訳ないと思いながらも、菜奈は自分の中で状況を整理するまでは、周りに家族のことを言いたくなかった。

 両親に借金取りに追われている。

 仮にこの疑念が事実であれば、今のような生活は間違いなく崩壊する。

 多分周りの先生たちからは大いに心配され続けて、クラスメイトからは奇異なものを見る目で見られ続けるだろう。もしかすると、この先いじめの対象になるかもしれない。

 「はぁ……」

 考えれば考えるほど、マイナスな事ばかりが脳裏をめぐる。

 菜奈は1日中そんなことを考えながら、小学生には似つかわしくないため息をずっと溢していた。

 そして一人で下校している今も、あれこれと意味もないことで思いを巡らせている。

 するといつの間にか菜奈は、自宅のアパート前に着いていた。

 エレベーターに乗って、自宅がある5階まで上がる。

 エレベーターホールから家の前に続く廊下を進もうとしたとき、自宅の扉の前に見覚えのある人影がある事に気づいた。

 「あ、あれって……」

 菜奈の目が捉えたのは、彼女の自宅の玄関前に立っている、どこかで見覚えのある一人の男だった。

 少し高めの身長に、ワックスでしっかりと整えられた短髪。

 そして特徴的なちょび髭の若めな男。

 間違いない、昨日の金融屋さんだ。

 「おーい、吉田さぁーん。居るのわかってますよっ!いい加減に出てきてくださいよぉ」

 金融のおじさんは昨日と同様、扉を少し乱暴に叩きながら、誰がいるわけでもない扉の先に向かって叫んでいる。

 その光景に菜奈は思わず、その場で足が(すく)むような感覚にとらわれた。

 緊張で全身が固まって、身体を動かすことが出来ない。

 しばらくその場で立ち止まっていると、不意に金融のおじさんはこちらに視線を向けた。

 「あ”?」

 「あっ……」

 まるで威嚇するかのようなおじさんの野太い声に、菜奈は思わず涙目になってしまう。

 一方、金融のおじさんは怯えた菜奈の様子などお構いなしに、

 「嬢ちゃん、何見てんだ?」

 どこか高圧的な態度でこちらに歩み寄ってきた。

 一歩、二歩と、菜奈の元へ近づいてくる。

 (に、逃げなきゃ……)

 頭では分かっていても、身体が言うことを聞いてくれない。

 全身が凍り付いたような感覚にとらわれたままでいると、いつの間にか金融のおじさんはすぐ目の前まで来ていた。

 「あんまり人様をジロジロと見るなって、ママに言われなかったか?」

 「え、えっと……」

 一体どう返したらいいのか分からず、菜奈はもじもじと顔を下に向ける。

 すると金融のおじさんはふと、

 「ん?」

 そんな疑問の声を漏らした。

 不思議に思って菜奈は顔を上げると、金融のおじさんの視線は自分の胸元に向いている。

 その視線を追って再び視線を下げてみると、おじさんの見ていた先には、安全ピンで自分の左胸に止まっている学校の名札があった。

 『古町小学校 2-3 吉田(よしだ) 菜奈(なな)

 「ふーん」

 金融のおじさんは菜奈の苗字を知るなり、そこ知れぬ声で反応した。

 猛烈に嫌な予感がする。

 菜奈は背筋に悪寒を感じた刹那、

 「嬢ちゃん、吉田奈緒(よしだなお)の娘さん?」

 母親の名まで言い当てられた。

 「はい、そうですけど……」

 菜奈は反射的におずおずと肯定する。

 「そっかぁ」

 何を考えているのか分からない。

 だけど菜奈は、このおじさんの次の一言を予想できていた。

 「菜奈ちゃん、君のママが今どこにいるか、知らないかい?」

 案の定、母親の居場所のことだった。

 「し、知らないです……」

 「ふぅーん……」

 どこか疑いの色がこもった唸りを上げながら、おじさんは菜奈に値踏みするような視線を向ける。

 「まっ、いいや」

 おじさんはどうでも良さそうな口調で言いながら、菜奈の横を通り過ぎていく。

 菜奈は振り返って、おじさんの背中に視線を向ける。

 おじさんは背中越しに、

 「また来るよ」

 ただそう言い残して、エレベーターホールがある方向に行ってしまった。

 菜奈はただ茫然と、おじさんの姿が見えなくなるまでその場で見届ける。

 おじさんの姿が徐々に小さくなっていく一方で、菜奈は何故か強い焦燥に駆られていった。

 

 

 

 おじさんが完全に姿を消して数秒後。

 菜奈はようやく自宅の扉の鍵を回すと、急いで玄関の扉を開けた。

 「あれっ?」

 玄関を開けてすぐ、菜奈は一つの違和感に気づく。

 そこには朝には確かになかったはずの、見覚えのある女性物の靴が1足あった。

 「ママ?」

 久々に見るその靴は、前よりも汚れが目立つけど、確かに母のものだ。

 ママに会える。

 本当は嬉しいことのはずなのに、この時の菜奈は急になぜか、虫の知らせを聞いた後のような不穏な予感を感じていた。

 理由ははっきり分からない。

 だけどそんなことなんて、今はどうでもいい。

 早く母の顔を見て安心したい。

 とにかく菜奈の心は、この願望でいっぱいだった。

 「ママッ……!」

 その場でランドセルと外履きを玄関に放り投げると、菜奈は勢いよくリビングの扉を開け放つ。

 案のそこには、ソファーで横になっている母親の身体があった。

 「ただいま!」

 疲れて寝ているのか、菜奈の問いかけに母親の反応はない。

 顔を覗き込んでみると、目を閉じて静かに眠っているようだ。

 「ママ……?寝てるの?」

 久しぶりに見る母親の顔。

 どうやら疲れているのか、母親は静かに身体を横にしている。

 だがそんな母親を前に、菜奈は母親が起きるまで待つことができるほど大人ではなかった。

 「ママっ!帰ってきたよっ!」

 叫びながら菜奈は、母親の身体に手を伸ばす。

 そして母親の身体に手先が触れた瞬間、

 「えっ……」

 菜奈は思わず言葉を失った。

 指先に感じる母親の肩は、服越しでも分かるほど、まるで氷のように冷たい。

 「ママ、寒いの……?」

 母親の顔にも手を添えてみる。

 直接肌越しに感じた母親の頬は、やっぱりとても冷たかった。

 まるで保冷剤のようなその冷たい母親の身体を、菜奈は再び両肩をつかんで揺すってみる。

 「ねぇ……、ママってばッ……!」

 やはり反応はない。

 今度は念のため、自分の顔を母親の顔に近づけてみる。

 寝息が聞こえない。

 それどころか、呼吸がなかった。

 おまけにとても酒臭い。

 嫌な予感を感じながら、菜奈はふと、ソファーの前にあるローテーブルに目をやった。

 テーブルの上には大量の薬の殻と、その足元にはワインボトルが転がっている。

 この惨状を目の当たりにした菜奈は、不思議と今まで抱いていた不安が一気消滅していた。

 ただその代わり、猛烈な悲しみと怒りが菜奈の心を満たしていく。

 「返事してよぉ……、ママぁ……」

 目頭が急に熱くなる。

 視界がだんだんと滲んでいった。

 恐らくもう、母親は目を覚さない。

 今となってそんな強い予感が、菜奈の幼い心を(むしばん)んでいく。

 まるで粘土のように重く、モッタリとした不安と悲しみが、菜奈の幼い胸の中に注がれるかのように。

 そして、

 「うっ、うわぁああああああッ!」

 彼女の悲痛な叫びは、夕暮れの紅に染まったマンション中に響き渡った。

 

 

 

 「はっ……!」

 目を覚ますとそこは、まだ見慣れない天井だった。

 菜奈は徐に、枕元の目覚まし時計に視線を向ける。

 時計の針は6時過ぎを指していた。

 「ゆ、夢……?」

 濡れた目元を擦りながら、菜奈は状態を起こす。

 ゆっくりとベッドから立ち上がって、窓のカーテンを開けると、太陽はすでに高いところまで上がっていた。

 冬の時期にしてはかなり珍しい、雲一つない快晴。

 菜奈は何気なく外の空気を吸おうと窓を開けると、12月の冷たい風が菜奈の頬を吹きつけた。

 まるで刺すような冷たい風に、菜奈は思わず「寒っ」と身震いする。

 「もう、1ヶ月経つんだ……」

 そう。黒崎家に拾われてから1ヶ月。

 さっき夢で見たありのままの過去。

 あの自分の将来を大きく変えたショッキングなあの事件から、1ヶ月以上が経過したことになる。

 結局あれから、菜奈は母の死に関する事情を聞く機会はなかった。

 未だに母親が死んでしまった理由も、父が姿を消した理由も分からない。

 だけど黒崎家に引き取られてから、あの事件に関係する出来事がいくつかあった。

 その中でも一番大きかったのは、菜奈の前の家に何度か来ていた金融のおじさんが逮捕されたこと。

 後にニュースで聞いた情報によれば、例の男は菜奈が薄々思っていた通り闇金の関係者だったらしく、今回の逮捕は売春斡旋と殺人の容疑がかけられているとのことだ。

 しかもそんな怖い人が、養子先である黒崎家のすぐ真向かいにあるアパートに住んでいたと知った時は、さすがの菜奈も声を出して驚いた。

 母が死んだあの日から、菜奈は金融のおじさんとは会っていない。

 けれどももし、またあのおじさんに会うことがあったとしたら?

 また違った運命になっていたのだろうか?

 菜奈の今の心の隅には、言葉には言い合わせられない、何か大事な機会を手放したような思いがずっと燻っている。

 だが今となっては、金融のおじさんも過去も関係ない。

 これからは自分らしく、自分に残された時間を精一杯生きていこう。

 黒崎家に養子として迎え入れられてから1ヶ月が経った今の菜奈は、少しずつながらそんなふうに考えられるようになっていた。

 そんなことを考えながら、冬の冷たい朝風を浴びること数分。

 「おーい、起きてるか?」

 扉越しに自分と歳が近い男の子の声がノック音と一緒に聞こえてきた。

 「うん、起きてる」

 窓を閉めながら、菜奈は扉の方に少し緊張しながら返事する。

 急いで乱れた髪を手櫛(てぐし)で整えると、「入るぞー」という言葉と同時に拓也が入ってきた。

 「おはよ」

 「うん、おはよ」

 お互いに短く朝の挨拶を交わす。

 「もうご飯できてるって。早く降りてこいよ」

 「わ、わかった」

 相変わらずぶっけらぼうな口調でいう拓也に、菜奈はおずおずと返す。

 拓也は菜奈の返事だけ聞くと、すぐさま扉を閉めて下に降りていった。

 「はぁ……」

 思わずため息が漏れる。

 自分らしく生きていきたいと思う一方で、まだ家族に緊張している自分がいるのも事実だった。

 なりたい自分と現実の自分の狭間で、菜奈はここ最近ずっと二の足を踏んでいる。

 「私って、どんなだったっけ……」

 そんな小学生が抱くにはまだ早すぎる自分という在り方を、菜奈は考えずにはいられなかった。

 

 

 

 着替えを手早く済ませてリビングに降りると、菜奈はいつものように拓也と義理の母と一緒に朝食を摂り始めた。

 今日のメニューは、目玉焼きとウィンナーに、バターを塗ったトーストとトマトのサラダ。

 そんなザ・洋風な朝食を3人は静かに食べていると、義理の母はいつもの明るい調子で、

 「美味しい?」

 とニコニコしながら聞いてくる。

 「うん」

 「はい、美味しいです」

 拓也と菜奈は、短く答えた。

 何処かそっけない二人の返事を気にする様子もなく、

 「よかったぁ〜、今日のウィンナー、ちょっと賞味期限が過ぎちゃったものなんだけどーーー」

 義理の母は何てことない話題を、楽しそうに話し続ける。

 そんなお調子者みたいな義理の母のおかげで、この朝食の時間がお通夜のような静けさに包まれるようなことは今まで一度もなかった。

 多分、菜奈と拓也を気遣っているのだろう。

 もちろん義理の母だって、誰も何も話さずに、ただ静かに気まずい時間が過ぎるのが嫌だったのかもしれない。

 いずれにせよ、こうしてラジオのように一方的に話を振ってくれる義理の母の存在は、今の菜奈にとってとても申し訳ないと思うと同時に、とてもありがたい存在だった。

 朝食を摂り始めてから約十数分。

 菜奈が8割くらい朝食を食べ終えたところで、

 「そういえば菜奈ちゃん」

 「ん?」

 義理の母に話しかけられた菜奈は、コップに入ったオレンジジュースを飲みながら首を傾げた。

 「実は昨日の夕方にね、菜奈ちゃんに会いたいっていう人がいるってパパが言ってたわよ」

 「私に、ですか?」

 菜奈が荘聞き返すと、義理の母は何処か躊躇(ためら)いがちに「えぇ……」と返す。

 心なしか義理の母は、義理の父から言われた事実を菜奈に伝えるだけ伝えておいて、これ以上話題を広げたくないといった口ぶりだった。

 まるで暗に聞き流して欲しいと言っているような、義理の母の様子。

 とはいえ菜奈だって、流石に肝心なことを知らないまま聞き流すのは気が気でない。

 これ以上この話題を突いて欲しくないであろう義理の母と、肝心なことを聞きたい菜奈。

 両者ともお互いの意図を察しているがゆえに、一体どちらから、どんな言葉をかければ良いのか分からない状況になって、二人は自然と黙り込んでしまっていた。

 しばしの沈黙。

 そんな何処か気まずい沈黙を打ち破ったのは、朝食を終えた拓也だった。

 「その菜奈に会いたがってる人って?」

 自然と菜奈の代わりにこぼした純粋な疑問に、義理の母は、(アンタがそれを突っつくか)といったような戸惑いの視線を拓也に向けた。

 一方の拓也は特に気にした様子もなく、コップにわずかに残ったオレンジジュースに口をつけている。

 流石にうやむやにすることはできないと悟ったのか、義理の母は重々しげに口を開いた。

 「……五十島(いがしま)さんって言う人で、最近ご近所で逮捕された男の人の親御さん……」

 「えっ…………」

 その答えに真っ先に反応したのは、菜奈だった。

 ご近所で逮捕された男というのは、ほぼ間違いなく金融のおじさんのことだろう。

 でもこの近所でまだ越してきたばかりの子供に用事がある人というのも、そうそんなにいないはずだ。

 そんな怖いおじさんの家族が、今更自分に何の用だろうか?

 全く目的が分からない相手の要望に、菜奈は思わず口ごもる。

 そんな菜奈の反応に概ね察しがついていたのか、義理の母は透かさず、

 「別に無理して会わなくてもいいのよ!お相手がお相手だし、何で菜奈ちゃんに会いたがってるのかも、正直私も分からないから……」

 「そもそもの話、菜奈はその男の人と知り合いだったの?」

 義理の母と拓也は心配そうな様子で、立て続けに菜奈に声をかけた。

 一方の菜奈は、あの金融のおじさんのと出会った日のことが甦ってきて、心臓を誰かに強く握られたような感覚に、彼女の小さな胸は支配されていた。

 呼吸が苦しい。

 心臓の鼓動はどんどんと早く、そして重くなっていく。

 「菜奈ちゃん……?」

 「菜奈?」

 義理の母と拓也は恐る恐ると、菜奈の顔を覗き込むにして様子を(うかが)っている。

 そんな菜奈は胸の苦しみに耐えきれなくなると、ついに自分の胸に手をあてがいながら、自然と椅子から転げ落ちてしまった。

 「菜奈ちゃんッ!?」

 「ちょっ、嘘だろっ……!?」

 過呼吸になって苦しんでいる菜奈の前に、二人は慌てて駆け寄ってくる。

 「菜奈っ!どうしたっ!?」

 拓也は菜奈の両肩をつかむと、ゆさゆさと少し乱暴に揺さぶってくる。

 不思議と特に痛いとは思わなかった。

 一方の義理の母はパニックになりつつも、すぐさまテーブルの上に置いてあった自分のスマートフォンを手に取ると、突然どこかに電話はかけ始めた。

 「もしもしっ!?救急です!娘が急に苦しみ始めてっ……、はいっ!場所は―――」

 義理の母はこの家の住所を電話の相手に伝えると、

 「急いでッ!!」

 今まで見たことがない剣幕でスマホに叫んだ。

 場は自分のせいで騒然としているはずなのに、不思議と菜奈の思考は冷静だった。

 (そういえば私―――)

 自分が抱えている大きな爆弾を、まだこの家族には伝えていない。

 もしまた目覚めることが出来たなら、ちゃんと言わないと。

 遠のいていく意識の中、菜奈は決心する。

 (せめて拓也君には、全部打ち明けよう――)

 自分の過去を。感じてきた苦しみを。そして今なお自分でも分かっていない、今後への不安を。

 自分の弱さをすべて、必死に両肩を揺すっている彼に伝えよう。

 自分でも不思議なほどすんなり決心すると、焦りながら肩を揺さぶり続ける拓也と、涙目で自分に声をかけ続けている義理の母親の光景を最後に、ここで菜奈はゆっくりと意識を失った。


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