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幼馴染のニート更生日記  作者: やわらぎメンマ
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7.先輩たちの出会い(改)

【お知らせ】

本章の中で、菜奈と拓也の出会いが「【第6部】5.彼女の過去(2)」にある時系列と矛盾するところがあります。既に「【第6部】5.彼女の過去(2)」の内容も修正していますが、本物語で拓也と菜奈が初めてであったのは、彼らが小学校2年生になりますので、あらかじめご了承ください。

 目の前に広がる日本海から、小波(さざなみ)の音が聞こえてくる。

 そんな公園の駐車場で車を降りた拓哉とかなは、駐車場入口にある自販機で温かい飲み物を購入すると、緩やかな丘の頂上に上がった。

 タコをモチーフにした赤い巨大な遊具の脇を通り過ぎて、二人は自然とコンクリート造りの簡単な展望台に昇る。

 高さは建物にして4階分と控えめだが、小高い丘の上にある展望台いうこともあって、頂上からの見晴らしはとてもいいことで定評のある場所だ。

 「うわっ、真っ暗」

 展望台の頂上から見下ろす絶景―――、ではなく、暗くて黒く淀んだような海の光景に、かなは思わず口から漏らした。

 今二人の目の前には、どこまでも深い闇に覆われた、真っ黒な日本海が広がっている。

 車の中で見た時にあった月の光は、今は雲の裏にあるようで、星を含む自然の光源は全くない。

 反対の市街地方面はビルやマンションの明かりがあるが、松の木の群集の遥か先にあることもあって、公園の街灯からほんのわずかに漏れ出た光の影だけが、今二人の目に見える景色の頼りだった。

 今この場所は、まるで現実から少しずれた何処かのようだ。

 不気味。というのが一般的な感想なのだろうが、かなが感じたのは少し違う感情だった。

 「なんかこの場所、不安に感じる」

 「なんだ、お前、幽霊とか信じるタイプか?」

 「当たらずとも遠からず、かな」

 かなは拓也が買ってくれた、暖かい紅茶に口をつける。

 拓也も火傷しそうなくらいにまで温まった缶コーヒーのプルタブを開けた。

 二人の目の前に広がる真っ暗な海原。

 静かな沖の先には、大きな島の影が見えた。

 高速船を使えば、市街地の船場から1時間半もかからずに行ける場所。

 でも正面に佇むその大きな島に対して、かなはまるで別の世界にある場所のように感じられた。

 初めて見る、暗闇に包まれた沖の島の情景。

 色の濃さと比例するかのように、不安と悲しみがない混ぜになった複雑な気持ち。

 かな自身もうまく説明できないこの心情は、隣でコーヒーを啜っている拓也に自然と思ったことを口から滑らせた。

 「ねぇ、先輩。もし幽霊が存在するなら、ここで会えるならさ、いつか菜奈さんともまた会えるのかな?」

 「……っ、お前……」

 拓也の虚をつかれたような反応に、かなはハッとなる。

 あまりにも不謹慎な物言いだと反省したかなは、

 「ごめん、失言だった」

 声のトーンを落として謝った。

 一方の拓也は、何も言葉を発せずに、遠くに見える島の影に視線を向けている。

 またも生まれた沈黙の時。

 気まずさに耐えきれなくなったかなは、

 「先輩、怒っちゃった?」

 恐る恐る拓也の顔を覗き込んだ。

 だが意外なことに彼の表情は、どこか懐かしそうに優し気な表情を浮かべている。

 そして彼は言う。

 「いや、驚いたんだよ」

 「え?」

 彼のその意外な一言に、かなは短く聞き返した。

 「お前のさっきの言葉、いつかのアイツも言ったことあったから」

 「そう、だったんだ……」

 確かに菜奈なら言いそうだ。

 多分拓也にとって、似たようなシチュエーションが菜奈と過去にあったのだろう。

 そういえば、拓也は車を止める前に何かをかなに伝えるつもりだったはずだ。

 あの時の話の流れは、菜奈の過去にも関係するようなことだったと思う。

 そこでかなは、拓也にこの場の本題を促した。

 「そういえば先輩、さっき車の中で言ってた、知っておいてほしいことって?」

 かなのその一言に、拓也の表情は少し強張る。

 そして少し間が空くこと数秒。

 拓也はようやく、意を決したように口を開いた。

 「菜奈と関りが深くて、アイツの残り時間も知っているお前には、俺らの過去を知っておいてほしい」

 「菜奈さんと先輩の過去……」

 決してただの思い出話ではない、重々しい口ぶり。

 実を言えばかなは、拓也がこの話題を切り出してくることを薄々気づいていた。

 さっき車の中でかなが、”何故菜奈の持病のことを隠していたのか”と拓也に責めてしまったあの時から、彼は決心したのだろう。

 すべての過去を、一番身近な第三者であるかなに話す覚悟を。

 「正直かなり重い内容だし、この先アイツとの関わり方に気まずさを感じてしまうかもしれない。でも―――」

 「いいよ」

 拓也の言葉の続きを遮って、かなは肯定した。

 あまりにすんなりと頼みを受け入れられた側の拓也は、

 「え?」

 反射的にかなの方へ戸惑いの視線を向けてくる。

 そんな彼の様子にかなは動じずることなく、

 「正直、私は菜奈さんの過去も先輩の過去も、本当なら私が知る権利って無いと思う。けど同時に、それを知ってほしいって言われたら、今の私には受け入れる義務があると思う。だから、教えて―――、ううん、教えてください」

 真剣な声音で彼女は言った。

 そんなかなのまっすぐで迷いのない覚悟を受け止めた拓也は、

 「分かった。少し、長くなるぞ」

 そう言って軽く深呼吸する。

 そして拓也は、まるで物語を語るように菜奈との過去を語り始めた。




 ―――今から12年前。

 当時まだ小学校2年生の黒崎拓也の家庭環境は、何処となくドライなものだった。

 父は県警の刑事、母は専業主婦という、ごく平凡でありふれた家庭環境で育ってきた拓也だったが、当時の彼は父親に対して、一つの強い不満を抱えていた。

 それは、一人息子の自分に対して、あまりにも無関心なこと。

 どうやら拓也の父は警察官としてかなり優秀だったらしく、まだ30歳にも満たない年齢でありながら、警視正(けいしまさ)という、大卒キャリア組の中でもかなり上の役職に就いていたらしい。

 異例のスピードで出世していく拓也の父は、役職に比例するように業務は多忙を極め、大抵まだ日も登らない早朝に家を出て行っては、終電もないような時間に帰宅するのが当たり前の生活を繰り返していた。

 当然、何かしらの事件が起きれば休日であろうが突際に家を出て行くこともしばしばで、拓也が父親と休日を過ごした思い出はほとんどない。プライベートよりも仕事に実直なストイックさは、周りの警察官からかなり尊敬されていたようだが、プライベートよりも仕事を優先してしまうがゆえに、必然と拓也と過ごす時間は疎かになっているのも事実だった。

 特に両親の愛情に対して多感な年ごろの拓也にとって、自分よりも仕事を優先する父親に対する不満はかなり高く、小学校に入った“ある日“をきっかけにそのヘイトは最高潮を迎えてしまっていた。

 父親と過ごす時間が少なかった分、拓也は母親との時間が必然的に多くなっていたのだが、父親と違って献身的な母親の存在は、当時から父親に対して抱いていた無関心さをより助長させて行く。

 一方拓也の父も、仕事の忙しさから拓也と向き合う時間はほとんど作ることができず、心理的に拓也と大きな溝を作ってしまった“あの日“以来、自然とお互いに関わりを避けるようになっていった。

 警察官としては立派な人でも、父親としてはかなり不器用。

 成人して成長した今となればそう思えるが、まだ幼い当時の拓也にとって父親という存在は、とにかく冷淡で仕事にしか目がない無愛想な人間と認識するようになっていた。

 そしていつの間にか、拓也は父親に対して一線を引くようになり、また父親もそんな息子に対する罪悪感からか、より仕事に逃げるようになっていく。

 父親の真面目で不器用な性格と、息子のどこか他人行儀な態度は、時が経つにつれて二人の心理的な溝を大きく広げて行く一方だった。




 そんな拓也が小学校に上がってから、約1年半が過ぎたある冬の日のこと。

 いつもであれば深夜か早朝と、拓也が寝ている深夜にしか帰ってこない父親が、珍しく夕方6時に帰ってきた。

 「ただいま」

 「お帰りなさい。あら、その子が例の?」

 拓也の母親が台所から真っ直ぐに玄関に向かい、父親達を出迎える。

 「あぁ。今日からしばらく、預かることになった。とりあえず、先にこの子を風呂に入れてやってくれ。詳しい事情は、あとで話す」

 「分かったわ。それじゃあ、お風呂行こっか」

 「お、お邪魔します……」

 拓也の母親がいつもの優し気な口調で言うと、父親が連れてきた少女は遠慮がちに家へ上がる。

 拓也の母親に連れられて少女が風呂の方へ向かうと、続いて拓也の父親も玄関に上がり、真っ直ぐに2階へ上がった。

 拓也の父親が向かったのは、息子である拓也の部屋の前。

 軽く深呼吸をした後に、彼は息子の部屋の扉を軽くノックした。

 「なにー?」

 漫画でも読んでいるのか、どこか気の抜けたような返事。

 恐らく母親と勘違いしているのだろう。

 拓也の父親はゆっくりとドアノブに手をかけて戸を開けると、案の定息子の拓也はベッドの上で漫画本を手にダラダラとくつろいでいた。

 「た、ただいま」

 息子に対して久しく言ったその一言は、言った本人でも分かるくらいにぎこちない。

 対する息子の拓也は、

 「お、おかえり」

 案の定、面食らった様子でこれまたぎこちない返事をしてきた。

 二人の間にしばらく、無言の間が流れる。

 お互いにこうして言葉を交わすのは、おそらく1か月近くぶりのことだ。

 それだけの間が空けば、何から言い出したらいいのかお互いに分からない。

 声をかけた父親ですらそうなのだから、息子の拓也はなおのことだろう。

 だがそんな親子にしてはぎこちない空気を先に破ったのは、拓也の父親のほうだった。

 「た、拓也。ご飯の前にお前と母さんに話したいことがあるから、後でリビングに来てくれないか?」

 拓也は珍しい父からの頼みに、少し怪訝に思いながらも、

 「分かった。いいよ」

 無表情ながら素直に頷く。

 拓也の返事を聞いた父親は、

 「よかった。また呼びに来る」

 そう言い残して、拓也の部屋を後にした。

 息子の部屋に入るだけなのに、彼の(てのひら)は汗でかなり湿っていた。

 


 

 拓也がかなり久しぶりに、父親と会話して数分。

 今度は扉越しに父親からリビングに来るように言われた拓也は、少し間をおいて自分の部屋を出た。

 拓也は言われた通りリビングに向かうと、父親の隣に座っていた見知らぬ女の子に目を奪われる。

 「えっ、誰?その子……」

 思わず父親に向かって、素直な疑問が口をついて出た。

 年は自分と変わらないくらいの、セミロング丈の髪の女の子。

 顔目立ちは年相応といった感じで、普段あまり女子を意識しない拓也ですら、正直可愛いと思ってしまうほど整った容姿の少女に、拓也は動揺を隠せなかった。

 だが彼女の瞳には光がなく、どこか虚ろなその表情は、拓也の知らない複雑で明らかにマイナスな感情を孕んでいるようだった。

 「とりあえず座ってくれ。母さんも」

 父親に言われ、台所で夕飯の準備をしていた母親と共に、拓也は二人と対面する形でテーブルの席についた。

 「突然すまない。まず、この子は吉田菜奈ちゃん。急だが今日からしばらく、一緒に暮らすことになった」

 「えっ?」

 あまりに単刀直入で急な話に、拓也は思わず短い疑問を口からこぼすと、菜奈の方へと視線を向けた。

 少女は少しビクッと身体を震わせると、

 「吉田菜奈、です……。お邪魔してしまって、ごめんなさい……」

 かなり申し訳なさそうな表情で言う。

 「お邪魔なんて、そんな事ないわよ!」

 「ごめん、僕もそんなつもりじゃなくて……」

 少女は黙ったまま、下をうつむいてしまった。

 そんな彼女の様子を見て、拓也の父親は、

 「今あえてここで言うが、実を言うと父さんも菜奈ちゃんの事情を詳しくは知らない」

 「えっ」と、話を聞いていた3人の驚きの声が重なった。

 家族として迎え入れる第一人者が、何も事情を把握せずに他人に子を引き取るなど、非常識にも程があるだろう。

 3人は何も言葉を発せず、彼女を連れてきた当事者にに対して「何でそんな子(私)を、引き取ったのか?」と視線で問う。

 この状況を拓也の父親は察していたのか、

 「でも菜奈ちゃんは今日までの間、とても辛い思いをしてきたことは分かってるつもりだ。だから無理に辛い思い出を聞き出そうとは思わない」

 つまり言外に、「この子の過去のことは、深く突っ込むな」と言いたいのだろう。

 これは流石の拓也も、深く突っ込んだことを言える雰囲気ではなかった。

 「菜奈ちゃん、今の君にとってこの場所は心から気を休めることができる場所じゃないかもしれない。でももう、菜奈ちゃんを傷つけるような人もいないから、安心して過ごしてほしい。もう菜奈ちゃんは、この家の家族だ」

 事前どころか、ほとんどちゃんとした説明もないまま、拓也の父親は菜奈というその少女の頭を撫でながら言った。

 「はい……、お気遣いありがとうございます…………」

 一方の菜奈は、かなり遠慮な感じで俯きながら答える。

 そんな菜奈の様子を見た拓也母は、

 「そ、それじゃ、お祝いしなきゃね!」

 いつもより少しテンションを上げて言った。

 便乗するように拓也父も、

 「そうだな、今日は寿司でも取ろう」

 自然な口調で提案する。

 ここまで無言で話を聞いているだけの拓也もここまでくると、両親の言う通り彼女を歓迎せざるを得ない状況だった。

 とはいっても、拓也自身も菜奈が我が家で暮らすことに対しては別に反対ではない。

 だが拓也は一つだけ、強烈な不満があった。

 それは、紛れもない父親のこと。

 家族の一員である拓也に対して、形だけ家族の話し合いに混ぜるようにしていながら、ほとんど押し切った形で他人の子供を家族として迎え入れてきた。それはまるで、拓也の意志など最初から聞く気が無かったかのように。拓也はそのどこか見え透いた父親の不誠実さに、強烈な嫌悪感を抱いたのだ。

 久しぶりに帰ってきて、声をかけてくれたと思ったらこれか。

 また父親を嫌いになってしまう理由が増えてしまった。

 とはいっても、ただでさえデリケートな空気になっているこの場で、その不満を言うべきではないだろう。

 拓也は母親が出前の電話をかけている間、小学校低学年には似つかわしくない理性で自分を落ち着かせ続けた。

 そうこうしているうちに、いつの間にか出前のお寿司が到着する。

 母親がせっせとテーブルに、人数分の取り皿や醤油を用意して、遅めの夕食の場が整えていく。

 こうして突然家族になった菜奈の為に、急遽簡単な歓迎会が催されたのだが、大トロやイクラといったお高めのネタでいっぱいの寿司桶を前に、主役であるはずの菜奈は夕食中も終始気まずそうな様子で、きゅうりの細巻きを食べ続けるのだった。




 菜奈が家族になってから数日。

 彼女は相変わらず、初めて家に来た時からの緊張感が解けないまま、同じ屋根の下で過ごす時間だけが流れていた。

 食事やトイレ、風呂といった日常生活に不可欠な事をする以外、菜奈は与えられた自室に籠っているらしく、拓也どころか拓也の母親ですら彼女と関わるがあまり機会がなかった。

 正直なところ、菜奈にはもう少し自分から距離を縮める努力をしてほしいと拓也は思う。

 とはいえ菜奈に責任があるわけではないし、彼女にも複雑な事情がある。

 それは拓也の母親も理解しているからか、普段から気さくで人当たりのいい母親ですら、菜奈との距離を測りかねているようだった。

 そんな彼女を連れてきたはずの当の本人は、翌日から早速仕事に出てしまってからというもの、あれからめっきり家に帰ってこなくなった。いつものことながら、無責任にも程があると拓也は思う。

 だがそんなある日の夕方。

 彼女を連れてきてから1週間ぶりに、拓也の父親が自宅に帰ってきた。

 あまりに唐突な父の帰宅に、拓也の母親も聞かされていなかったのかかなり驚いた様子だったが、この日の夕飯はカレーということもあって、幸い食事の用意には困らなかったらしい。

 こうして急遽、家族4人で夕食を取ることになったのだが、父はいつものことながら必要以上にしゃべらない。

 拓也もまたあまりしゃべらない性格で、菜奈も完全に委縮してしまっているので、普段話を振る拓也の母親も気まずさから口を開こうとしなかった。これゆえに今の黒崎家の食卓は、一家族の食卓とは思えないほど気まずい沈黙で包み込まれていた。

 だが家族全員がカレーを食べ終えようとしたとき、

 「そういえば、今日の昼過ぎに荷物来たか?」

 拓也の父親は突然拓也の母親にそう切り出す。

 拓也の母親は怪訝な様子で、

 「えぇ、あなたの名前で大きな箱が来てるわよ」

 「そうか。なら菜奈ちゃん、食べ終わったらちょっといいかい?」

 「っ、はい……」

 肩を震わせながら、菜奈は頷く。

 そして全員が夕食を食べ終えると、拓也父は大きな段ボールを3つほどリビングまで持ってきた。

 「何それ?」

 拓也がそっけない口調で問いかける。

 「菜奈ちゃんの学校道具一式だ」

 これまたそっけない口調で言いながら、拓也父は一番を大きな段ボールを開けた。

 中には真新しいピンク色のランドセルが入っていた。

 「来週から菜奈ちゃんは、拓也と同じ小学校に転校する」

 「っ?」

 話を聞いていなかったらしく、菜奈は声は出さなかったが驚きの表情を浮かべた。

 そんな菜奈の様子に気づきながらも、拓也父は続ける。

 「手続きに少し手間取ってな。予定よりも少し遅くなってしまったけど、道具もちょうどそろったし丁度よかったかも」

 言いながら、拓也の父親は菜奈に真新しいランドセルを差し出す。

 菜奈はどうしていいのかオロオロとするが、拓也父は「ほら」と彼女の前にランドセルをまた差し出した。

 菜奈は遠慮がちにランドセルを受け取る。

 「こ、こんなに綺麗なの、いいんですか……?」

 オズオズと聞く菜奈に、拓也父は普段拓也には見せない優しげな表情で、

 「当たり前だ。むしろこれからはいっぱい勉強して、友達作って、たくさんの思い出を作って欲しい。だから菜奈ちゃんは遠慮なく、本当の家族だと思って過ごしてくれ」

 菜奈は相変わらず強張った様子で、でもほんの少し嬉しそうな面持ちを見せながら、

 「はい、ありがとうございます……」

 と言って、ランドセルを抱きしめる。

 拓也は2人のそんなやり取りを、ただ傍目から何となく目に留めることしかできなかった。




 その翌週の月曜日。

 拓也は菜奈と一緒に朝学校に登校することになった。

 「行ってきます」

 玄関で拓也が先に言うと、

 「行ってきます、、、」

 菜奈も続いて細々と拓也母に言う。

 そんな二人に拓也の母親はいつもの穏やかな表情で、

 「行ってらっしゃい」

 優しく2人を手を振りながら見送った。

 ちなみにこの時には既に拓哉父は仕事に出て、すでにその姿はない。

 これはいつものこととは言え、せめてこういう日くらいは一緒にいてくれてもいいじゃないか。

 別に誰に対しても言うつもりがない文句を拓也は心の中で思ってしまう。

 とはいっても、もう今更な話だろう。

 拓也と菜奈の2人は、拓也の母親の姿が見えなくなるまで歩き進めた。

 菜奈は男子の拓也と歩くのが気まずいのか、彼の一歩分後ろをついていくようにして歩く。

 一緒に歩くというよりも、付いてこられている感じにどことなくむず痒さを感じた拓也は、

 「なんだよ、もしかして一緒に歩くの嫌?」

 立ち止まって後ろを向くと、視線を下げながら歩く菜奈にそう切り出した。

 唐突な問いかけにびっくりしたのか、

 「そ、そんなことないです!」

 予想以上にオーバーなリアクションで菜奈は答える。

 「ただ、拓也さんに迷惑かけちゃうかなって……」

 「は?別に迷惑してるなんて思ってないけど」

 「ひっ!ごめんなさいっ!」

 つい強めの口調で言ってしまった拓也の一言に、菜奈はかなり怯えた様子で謝ってくる。

 流石に言い方が酷かったと感じた拓也は、バツが悪くなって顔を背けた。

 二人の間に気まずい沈黙が流れる。

 しばらく経って拓也が菜奈の方へ視線を向けてみると、彼女は完全に萎縮してしまっていて、また話しかけてこようとする様子は全くない。

 仕方なく拓也は、

 「その、ごめん……、別に怒って言った訳じゃないから」

 「そうですか……?」

 「うん。別に怒る理由もないし」

 言いながら再び菜奈の方へ視線を向けると、相変わらず彼女はビクビクした様子で下を向いたままだった。

 そこで拓也は、また素直に思った疑問を菜奈に投げかける。

 「でもなんで君はさ、そんなに僕たちのこと怖がるの?」

 「怖い訳じゃない、です」

 「えっ?」

 「ただすごく、申し訳なくて……」

 俯きながら彼女は、今にも消え入りそうな声で続ける。

 「暖かいご飯を出してもらえて、お風呂にも入らせてもらえて、こんな綺麗なランドセルを買って貰って……。赤の他人の私にここまで気を使わせてしまっているのが、すごく申し訳ないんです」

 「なるほど」

 拓也は呆れ交じりな声で言うと、深いため息をつく。

 そして彼女の顔に視線を向けなおすと、

 「君さ、バカじゃないの?」

 バッサリと思ったことを口にする。

 あまりにも突然の物言いに、菜奈は驚いた様子で、

 「ば、バカですかっ?」

 顔を上げながら聞き返した。

 そんな彼女の様子を気に留めず、拓也は続ける。

 「うん、バカだよ君。君の過去は知らないけど、そんな変に気を遣われたり謝られてばかりなのは逆に迷惑だっての。家族なのに」

 「ご、ごめんなさい」

 「また謝ってるじゃん……」

 「っ……」

 「はぁ……」

 拓也はまた正面を向き直して、学校のある方面に向かって歩き出す。

 菜奈も恐る恐る一歩後ろの距離を着いて来るように歩き出した。

 距離を空けずに着いてくるのは、学校の位置がまだよく分かってないからだろう。

 まだ学校に着くまでは時間がある。

 この時拓也は、菜奈に対して感じていたことを自然と溢した。

 「君ってなんか、大人みたいだね」

 「そう、ですか?」

 「うん。なんか小学生らしくない」

 そんな拓也の答えに対して、菜奈は想像の斜め上を行く返をしてきた。

 「それは拓也さんもだと思います……」

 「えっ?」

 「拓也さん、お父さんに対して色々溜め込んでるのに、直接何も言ったりしないじゃないですか」

 「なんで、そんなこと……」

 「初めてあの家に来た時、拓也さんがお父さんに対して出した空気(?)みたいなものが、私と似てたから」

 「それって、僕が父さんに遠慮してるってこと?」

 「はい」

 ここまではっきり言われては、何も言い返せなかった。

 でも菜奈が言っていることは、言い得て妙だとも思う。

 だからこそ何も言い返せなかったのだろう。

 今まで客観的な視点で父親と自分の間柄を聞く機会は全くなかった。

 それに言い方を変えただけで、実は拓也自身も薄々そう思っていたのだ。

 でもそれを素直に受け入れることができるほど、当時の拓也の心は成長していたわけではなかった。

 「そ、そんな訳ないだろっ!」

 やけにムキになって拓也は答える。

 そして逃げるように、

 「この話はもう終わりっ」

 少しイラだった声音で言ってしまった。

 「ご、ごめんなさい……」

 またも謝ってきた菜奈の様子を見て、

 「はぁ」

 自分でもどうしたらいいのか分からず、ついため息を漏らす。

 そしてここで拓也は、ある提案をすることにした。

 「少なくてもさ、家族なんだし遠慮とか申し訳ないってのは無しにしよ」

 「は、はい……。やってみます……」

 「あと同じ歳なんだし、敬語も無し」

 「わかり……ううん、分かった」

 相変わらず緊張で強張った様子で答える菜奈。

 こうして表面上だけは、二人の間の距離が縮まったのだった。

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