4.彼女の過去(1)
かなにとって黒崎拓也は、現職の上司であり、大学時代の先輩でもある、今年3年目の若手の警察官だ。
そんな拓也との出会いは、かなが大学に入学してから直ぐに入った学生委員会(生徒会みたいな団体)がきっかけだった。
学生委員会に入会していたとはいっても、そもそも大学に入学するまでのかなは、学生委員会みたいに何かを執り仕切る組織で積極的に活動するような学生ではなかった。
中学時代にちょっとした委員会に所属していた経験したことはあっても、その時はあくまで全生徒が強制的に参加させられるもので、自分の意志で活動していたわけではない。やれと言われていたから、半ば強制的にやらされていただけだった。
おまけに委員会に所属していたとはいっても、自分から進んで動くような仕事をしていたわけではなく、ただ先生や委員長に言われたことを素直に実行していただけだ。
後輩に少し仕事を手伝ってもらうことはあっても、自分で仕事を振り分けて作業を指示するような経験もなかったし、そういうことに気を使えるほど頭の回転も速くないと考えていたかなは、生徒会のような全体を統括するような組織に所属するなんて、まず自分の柄にも合っていないと思っていた。
でも今からちょうど5年前。
大学進学直後にあったとある先輩との出会いが、かなの考えと未来を大きく変えるきっかけになった。
大学に入学して間もない当時のかなが、大学生らしく何かサークルにでも入ろうかと考えながら、一人で教室棟の廊下を歩いていた時、
「ねぇねぇ! 君、新入生の子だよね??」
ある女子学生からそう声をかけられた。
見た目は割と童顔で、人懐っこそうな笑みが同じ女子から見ても可愛らしい丸顔。髪は後ろで一つに束ねられており、身長は150センチくらいと小さめだが、反比例するように女性らしい部分はかなり立派な大きさがある。とはいえ腰回りにアクセントでつけているコルセットのおかげか、ふくよかな印象はなく、むしろスラッとした印象の女子学生。
そんなあまりにも急でハイテンションな女子学生に声をかけられたかなは、
「えっ、あ、はい……」
と、今では考えられないほど薄いリアクションをとっていたと思う。正直、この時のかなは少し―――いや、かなり引いていた。
だがそんなかなの様子などお構いなしと、その女子学生は、
「やっぱり!なんか初々しい雰囲気がムンムンしてるから気づけちゃった!」
相変わらずのハイテンションっぷりで言ってきた。
(もしかして、やばい人に絡まれちゃった?)
本気でそう感じ始めたかなは「あはは……」と乾いた愛想笑いを浮かべると、
「えっと私、友達待たせてるのでここで失礼しますね」
咄嗟に嘘をついてその場を後にしようと、一歩後ろに後ずさる。
逃げようとしている事を察せられたのか、
「待った!」
グワっとかなの腕を掴んで、その女子学生はかなの動きを制止してきた。
「うわっ⁈」
驚きのあまり、思わずかなは短く悲鳴を上げた。
声が少し大きかったのか、周りの学生の視線がかな達二人に集まる。
「私、決っして怪しいものではありませんっ!!」
「そう言う人って、大抵みんな怪しい人だと思いますけどっ⁈」
二人のそんなやり取りを怪訝な様子で見ていた周囲の学生は、しばらくして再び各々の用事に戻っていった。
おそらく他人の目から見れば、よくある女子のじゃれ合いとでも思ったのだろう。
冷たく刺さるような他人の目線から解放されたのはいいが、相変わらずヤバい先輩に腕をホールドされていることには変わりない。
かなは仕方ないと言わんばかりの深いため息をつくと、
「それでその、先輩?は、初めましての私に何か用事でも?」
一応目上っぽい人に対して、少し棘のある言い方をしていることは承知していながらもかなは訊いた。
「あっ、そうそう!君、もう何かサークルとかって入ってる?」
「いえ、まだですけど……」
相変わらずテンションが高い先輩に、一歩引いた位置でかなは正直に答える。
「ほんと!?」
女子学生はよりハイテンションで嬉しそうな表情を浮かべた。
かなはそんな先輩学生の様子に、嫌な予感がした。
(これ、絶対何か勧誘される流れだよね……)
心の中でかながそう思った矢先、
「じゃあさ、うちのサークルに入ろうよ!」
案の定、名も知らないサークルに勧誘された。
「いや、そもそも誘われているサークルの内容が分からないので……」
少なくても、どんなサークルに入ったところで、この人と一緒に上手くやっていける感じがしない。
遠回しに「遠慮します」とニュアンスを込めて、かなが踵を返そうとしたその時、
「待って!!」
女子学生はそう声をあげながら、かなの腕を再びホールドしてきた。
「せめてどんなことしてるのかくらい聞いてよぉ」
泣きべそかきながら、上目遣いでいう先輩。
まるでお菓子をねだる子供のようにしがみついている先輩に対して、困惑しながらかなは、
(めんどくさい人だなぁ)
心の中でそんなことを思った。
この分では、しばらく解放してくれなさそうだろう。
半ば諦め始めたかなは、「はぁ」とわざとらしいため息をつく。
「それで、どんなことしてるサークルなんですか?」
そんな求めてた返答に満足したご様子の女子学生は、
「おっ!やっぱり興味ある!?」
「いや、先輩が“聞いてよ”って言ったから……」
自分よりかなり精神年齢が幼い様子の彼女に、かなはただ呆れるしかない。
そこでふと、かなは今更ながらとは思いつつも、彼女にずっと気になっていたことを訊いた。
「そういえば、その、そもそも先輩って名前はなんていうんですか?」
名前どころか、そもそも何処の学部の先輩なのかも分からない。
大学で出会った学生がまず交わすであろう「自己紹介」というものを、この二人はまだしていないのだ。
そのはずなのに……、
「あっ、まだ名前言ってなかったっけ?」
かなの目の前にいる彼女は、どうやらすでに自己紹介をしていた気になっていたらしい。
まだ話しかけた相手の名前のことも分からないはずなのに、よくあそこまでグイグイ来れるなと、かなは呆れを含みつつも感心してしまった。
そんなかなの内心は他所に、
「私は五十島奈菜!国際学部の2年生だよ!君の名前は?」
「戸石かなです。私も国際学部で、1年生です」
「おおぉ!学部一緒じゃーんっ!!それじゃあかなちゃんは、本当の後輩ちゃんだね!」
奈菜はピョンピョンとその場で軽く飛び跳ねながら、かなを置き去りにしていく勢いのテンションで、
「それじゃあ自己紹介も済んだところで、早速行こっか!」
そんなことを言いながら、奈菜はかなの左手首をグッと掴むと、彼女の身体を半ば引っ張るようにして歩き始めた。
あまりにも急なその出来事にかなは、
「えっ⁈行くってどこへ⁈」
当然の疑問を奈菜に投げかける。
軽く振り切ろうとしても、奈菜の握力はあまりにも強すぎて、かなの力では全く歯が立たない。かなは思わず「ってか、力強すぎっ」と声を漏らした。
一方の奈菜は、逃げようと試みているかなを全く気にする素振りもなく、
「どこって、部室に決まってるじゃん!」
「だから、どう言うサークルか聞いていないんですけどぉ!」
「いいからいいから!ほら、百聞は一見に如かずっていうでしょー!」
「意味わかんないんですけどぉーっ⁉」
結局かなは奈菜に為されるがまま、彼女の所属しているというサークルに連行されていくのであった。