38.彼の審判
標高の高い山中のPAは、真夏とは思えないほど涼しかった。
アスファルトに落ちた外灯の光は白く霞み、遠くの木々が風に揺れるざわめきだけが耳に届く。
だが、その静寂は黒いバンのエンジン音と、そこに集まった異様な車列によって無残に塗り潰されていた。
セダン、ワンボックス、オフロードカー――十数台。
その隙間から現れるのは、目出し帽に黒い戦闘服、サブマシンガンを握った覆面たち。海斗の自宅を襲った連中と寸分違わぬ姿だった。
運転席側の男がピストルを構え、無機質な声で告げる。
「大人しくしろ……車から降りるんだ」
沙耶は息を吐き、エンジンを切った。海斗とかなも無言で両手を上げ、夜気の中へと降り立つ。
標高ゆえの冷たい風が頬を撫でるが、十数本の銃口が突きつける熱が、それを容易くかき消した。
その時、かなのスマホから柔らかな声が流れた。
『……改めてこんばんは、バンカー。いや、小高海斗君』
200キロ離れた日本海側の拠点から、関屋の声が響く。まるで夜の読書会で詩を朗読するかのような、奇妙に落ち着いた口調だった。
『この場での審判は、とてもシンプルだ。君がその場で……自分の頭を、静かに撃ち抜くんだ。それで、全てが終わる』
温かさと残酷さが混じり合った声が、夜気の奥底に沈み込む。
『今この瞬間、周囲のカメラとPAの防犯映像は、ダークウェブの観衆に配信されている。君が命を絶てば、誰がこの世界の覇者かが決まる――簡単だろう?』
吐息が白くなる錯覚を覚えるほど、海斗の胸の奥が冷えた。
くだらない茶番――そう頭では理解しているのに、「これしか終わり方はない」という囁きが心の底から滲み出す。
手足の感覚が遠のき、耳鳴りが夜の虫の声と混じり合う。銃口も覆面も、別の舞台の光景のように霞んでいった。
「……それで……全部終わるなら……」
その言葉を聞いた瞬間、隣で俯いていたかなの瞳が大きく見開かれた。
反射的に一歩踏み出し、乾いた音と共に海斗の頬を打つ。
「カイ君のバカッ!! 一体ここまで、どれだけのものを犠牲にしてきたと思ってるの!? 生きなきゃダメ! こんな腐った連中の欲望を盾にして、自分の罪から逃げるなッ!」
頬に走った痛みより、その声の方が胸を深く抉った。
その一瞬、覆面の一人がかなの腕を掴もうと詰め寄る。
かなは反射的に手首を払い、肘打ちを顎に叩き込んだ。
「て、てめぇ!」
他の覆面の叫びと共に、夜気を裂く銃声が一斉に轟く。
火花がアスファルトを跳ね、PAは戦場へと変わった。
沙耶はバンの影に滑り込み、スカートの中から小型ハンドガンを抜く。左右から迫る敵を腰だめで牽制射撃し、動線を塞いだ。
かなは別の車の影に身を潜め、襲いかかる覆面を投げ倒す。その勢いのままサブマシンガンを奪い、別方向から迫る敵の膝や腕を正確に撃ち抜く。
金属が弾かれる甲高い音と、覆面たちの怒号が入り乱れた。
だが敵は数で押してくる。車や支柱を盾に、じりじりと包囲を狭めてきた。
海斗の視界の端で、ハイラックスの荷台に据え付けられた八本銃身のM134に覆面の一人が取り付こうとしているのが見える。
運転席の男が荷台に回り、銃座のカバーを外そうとした瞬間――前方が一瞬、無人になった。その荷台には、かなの姿。
「カイ君! トラック!」
かなの声が鋭く飛ぶ。
沙耶は頷き、背後から迫る二人をスライディングでかわしざまに撃ち倒す。
しかしその直後、左側のワンボックスの陰から伸びた銃口が火を噴いた。
「っ……!」
弾丸が沙耶の腹部を貫き、鮮血がブレザーとシャツを濡らす。膝が崩れ、呼吸が乱れた。
「沙耶ちゃん!」
かなが駆け寄り、その体を抱きかかえる。
海斗はためらわずハイラックスに飛び乗り、エンジンをかけた。
荷台では、かなが沙耶を引き上げると、すぐさまM134のトリガーを引く。
低い唸りと共に銃身が回転し、夜を裂く轟音と火花が四方へ降り注いだ。
覆面たちが車の陰に飛び込み、応戦の手が止まる。アスファルトは弾痕と硝煙で焦げ、金属臭が漂った。
海斗はアクセルを踏み込み、ハイラックスをPAから解き放った。
高速道路へ飛び出した車体の後方で、沙耶の呼吸は浅く、瞳の焦点は揺れていた。
「……あーぁ。これが現実かぁ……」
微笑むように、彼女はかなを見上げる。
「沙耶ちゃん! 大丈夫だからね! すぐに病院行こ?」
戦闘と沙耶の血で汚れたかなは、必死に彼女の体温を下げまいと身を寄せる。
だが沙耶は首をゆっくり横に振り、弱々しくポニーテールを揺らした。
「ごめん、私もう、ダメみたい……」
「そんなこと言うな! 絶対助かるから! 助けるから!!」
嗚咽交じりに叫ぶかなとは対照的に、声を失っていく沙耶。
「私、かなさんに会えて本当によかった……」
そして最後の力を振り絞るように沙耶は涙を流しながら、ささやくように溢した。
「かなさん……生まれ変わったら……また会おうね……」
次の瞬間、腕の中から力が抜け落ちた。
「沙耶ぁぁぁああッ!」
かなの叫びが、夏の深い山奥に響き渡った。
一方、ハンドルを握る海斗の目に、迷いはなかった。
後ろから響く嗚咽は、怒りと悲しみを溶かした刃のように、胸を貫く。
憎き司令塔――関屋まで、残り約150キロ。
彼は強くハンドルを握り、既に明けることがない闇の向こうを見据えた。




