31.彼の油断
「ーーーこれが、過去の私の全てです」
たっぷり2時間以上をかけて、黒崎は自身のことについて語り終えた。
隠れ家にしている廃倉庫の窓からは、既に陽の光はなく、気温は日中に比べると大分落ち着いている。
対してそれまで気にならなかったはずの鈴虫の鳴き声は、じわじわと彼らの鼓膜を刺激していた。
うるさいくらいに響く虫の音に対して、4人がいる倉庫は黒崎の一言を最後に静まり返る。
そんな場にいる海斗を含む3人は、黒崎のその壮絶な過去に誰も口を開けずにいた。
逡巡の色を浮かべながら、言葉を探す海斗と翔真。
数秒の沈黙が流れ、ようやく口を開いたのは、
「なんか、その……、軽いノリで聞いちゃってごめん……」
そんな申し訳なさが籠った女子高生―――沙耶の声だった。
「別に構いませんよ。むしろ自身の過去を誰かに聞いてもらうことが無かったので、私もつい喋りすぎました」
あはは、と似合わない苦笑いを浮かべながら黒崎が言うと、
「一つだけ、聞いてもいいか?」
今度口を開いたのは、迷いが籠った声音の翔真の声だった。
これに黒崎は、「どうぞ」と頷く。
了解を得た翔真は、相変わらず戸惑い交じりの表情と声で口を開く。
「結局、彼女さんをその……、殺した犯人は見つかったのか?」
「いえ、残念ながら未だに手掛かりすら何もありません。私が持つ職権をすべて使っても、仕事の合間で調べるのには限界がありまして」
結果は察していたとはいえ、やはり運命は残酷だと海斗は思ってしまう。
そんな海斗の内心の同情をよそに、再び口を開いたのは沙耶だった。
「もし、もしだよ? 犯人を見つけることが出来たとして、黒崎君は復讐したいとか思う?」
彼女のそんな些細な疑問に、黒崎は迷いのない表情と口調で答えます。
「本音を言えば、殺してやりたいですよ。ですが、自分で手を下すつもりはないのも本心です。故に犯人には、法によって相応の罪を償ってほしいと考えています」
「意外とドライなんだな」
率直な感想を口にした翔真に、
「そうでしょうか?」
黒崎は首を傾けながら返す。
これに翔真は続けて、
「いや、普通もっと感情的になるもんじゃない?」
「私が感情的になって犯人を殺したとして、彼女は喜びませんよ」
さも当然のことのようにいう黒崎に、
「なんか、大人な恋愛だね」
今度は海斗が淡々と、思ったままを口にしていた。
すると突如、沙耶は徐に顔を下に向けると、
「ごめん、私ちょっとトイレ」
気分が悪いのか急ぎ足で部屋を飛び出すように出て行ってしまった。
彼女の後姿に不安げな視線を向ける男子3人。
沙耶の姿が完全になくなって、ようやく口を開いたのは、
「高校生には、少しヘビーすぎたのかもな」
海斗の横に座る翔真だった。
これに黒崎は、
「そうでしょうね」
と肯定する。
続けて翔真は、
「なぁ、アンタは本当にそれでいいのか?」
「何のことでしょうか?」
「さっきの話、犯人に復讐しないって」
「良いも悪いも、さっき言った通りです。私は私の手で犯人を殺めることは決してしません。いえ、してはならないのです」
「してはならない?」
そう疑問を返す翔真に、黒崎は軽く頷くと、
「一応、公務員という立場もありますが、私が手を下して今の職を失うことを、真菜実は望まないでしょう。それに、恋人を奪われた人間に、自分の人生まで奪われるのは本末転倒じゃないですか」
相変わらずの淡々とした口調で言った。
だが黒崎は、「ですが」と続けると、決意が籠った声音で宣言する。
「犯人に手錠をかけるのは、この私です」
「なるほどね。なら、仕方ないな」
これに本心から納得した様子の翔真に、海斗もそろって同情してしまった。
復讐心を満たすのであれば、今持つ職権をもってすれば容易いのかもしれない。だけど、相手の気持ちを理解しているからこそ、それは絶対にしてはならない。
この男はそんな誰もができそうで出来ない気持ちの落としどころをちゃんとつけて、今を生きているのだ。
だから翔真も、海斗も”仕方ない”と思ってしまった。
そんなどこか尊い空気が流れ始めたその時、水を差すように聞きなれない着信音が響いた。
案の定黒崎のスマホからだったらしく、
「失礼」
一言言って彼はその電話を取る。
「はい、黒崎です。はい、はい……、は?」
急に顔を凍り付かせながら、短くも戸惑いと焦りがないまぜになった声をあげた黒崎。
その声に驚いた翔真と海斗は、同時に肩をびくっと震わせた。
続けて翔真が反射的に、
「おい、どうし―――」
そう問いかけようとした―――、 その瞬間だった。
―――バンッ!!
一発の甲高い銃声が倉庫内に響き渡る。
その刹那、黒崎は腹部を抱えながらゆっくりと地面に倒れ伏せた。
二人が音がした方を確認する暇もなく、
―――バキュンッ!!
再び爆発音がして、手前の足元に一瞬火花が散った。
二人がようやく視線を上げてみると、そこにはこちらに銃口を向けている一人の人影。
見覚えのあるチェックスカートを揺らしながら、艶美な笑みを向けている制服姿の少女の姿がある。
「えっ」
「はっ」
この場にいる男子三名が一番予想だにしていなかった、ある意味一番最悪の展開。
「まぁさ。とりま両手上げて、膝つこっか」
銃を向けながらその少女―――、村上沙耶は男子3人を見下ろしながら言ったのだった。