29.彼の意地(上)
真菜実の父と名乗るその人―――白山悟は、誰もが知る超大手金融機関の頭取、つまり経済界の一端を担う超大物な人物でした。
日本経済を裏で掌握しているだの、フリーメイソンの1人だの、平凡な市民からしてみれば生きる世界が全く違うその人は、また根拠のないデタラメな都市伝説の一つとしてたまにネットで話題にされるほど有名な人です。
ともあれ実力と地位は間違いなくある人のようで、真菜実の父とやり取りをする中で私はよく驚かされることが多くありました。
そんな生きる世界がまるで違う人物と顔を合わせたのは、彼から連絡をもらった翌日のこと。
私はその日、白山氏が手配してくれた高級車に乗って、真菜実の棺があるという葬儀場に向かうことになりました。
その経緯はやはり、真菜実の死が導いた縁でしょう。
私は車の中で、前日の電話の内容についてひたすら思い返してばかりいました。
「えっ、ま、真菜実……さんの?」
葬儀前日の昼過ぎ。
反射的に予備慣れない敬称を、後付けしながら言った私の一言に、
『今更”さん”付けはいい。君たちは仮にも付き合っていたのだろう?』
さして面白くもなさそうな彼女の父の声音が、スピーカー越しに響きます。
そもそも、私の存在と真菜実との関係を既に分かっていることにかなり驚きました。
(真菜実、いつの間に……?)
当の本人が既にこの世に居ないと分かっていても、そう頭の中で彼女に問わずにいられません。
ともあれ、真菜実の父からの一応とも取れる確認に私は、
「え、あ、はい……」
気まずさからか、おどおどしい反応ながらも短く肯定しました。
真菜実の父は、何かに呆れたかのような短いため息を一つ吐くと、
『まぁいい』
と、電話越しの彼は話を続けます。
『それよりもこの度は、君にも色々と迷惑をかけてしまったようだね』
父親としての社交辞令なのでしょう。
内心何を考えながら口にした言葉なのか、私には図り知ることはできませんでしたが、こちらも一応の社交辞令と本心で、
「いえ、迷惑なんてそんな。この度は本当に―――」
『そんな慰めの言葉はいい』
私の言葉の続きを察したのか、真菜実の父はバッサリと私の続きの言葉を切り捨てました。
『それより一つ、君にお願いがある』
あまりにも唐突な頼みごとに、私は「お願い?」と聞き返しました。
すると真菜実の父は、まるで用意していた言葉をそのまま言うように、
『真菜実の……、私の娘の葬儀に出て欲しい』
今までとは違う、少し感情が乗った声音で言いました。
ですが真菜実の父の内心がどういうものであろうと、私の答えは既に決まり切っています。
「もちろんです」
『そうか』
まるで分っていたかのような返事でしたが、その声音には確かに安堵した雰囲気が感じられました。
この時私は、正直真菜実の父のことがよく分からずにいました。
実の娘の彼氏に対して、複雑な心境があるのは確かでしょう。
最初は ”真菜実に似つかわしくない男” という、何処か気に入られていないニュアンスをずっと感じていましたが、先ほどの返事の雰囲気とはどこか矛盾します。
それ故に、まだ会ったこともない真菜実の父に対して抱いた印象は、”掴みどころのない人”でした。
とはいえ、そんな私の内心の動揺を知る由もない電話の相手は、
『通夜は明日、葬儀は明後日だ。急で申し訳ないが、準備しておいてほしい』
簡単な伝達事項だけ伝えてきます。
「分かりました。ちなみに会場はどちらになりますか?時間と場所を教えていただければ、調べながら行きたいと思うのですが」
『いや、その必要はない』
私の当然の確認事項に対して、きっぱりと返されたその一言に私は、「え?」と思わず聞き返しました。
場所と時間が分からなければ、私はどう会場に足を運べばいいのか分かりません。
一瞬、”本当は参列させる気がないのでは?”と思いましたが、真菜実の父の答えは私の想像を超えたものでした。
『明日は君の家に迎えを行かせる。だから君は、自宅で待っていなさい。15時には迎えの人間が着くようにするから』
実に金持ちらしい、さりげない気遣い。
とはいえ当時の私はありがたいという気持ちよりも、
「いや、それは流石に申し訳ないです」
言葉通りの理由で、そう断りを入れました。
ですが真菜実の父は頑な口調で、
『いや、そういうわけにはいかない。これは明日も話すが、真菜実とある程度関係が深かった以上、君にも狙われるリスクはある。私の頼みごとで、万が一君にまで何かあってしまっては、私は責任を取り切れないし、真菜実にも顔向けできない。だから理解してほしい』
理路整然と言って聞かせてきました。
流石にそういう理由であれば、私も断る理由はありません。
「そういうことなのであれば、ありがたくご厚意に甘えさせていただきます」
『あぁ。そうしてくれ』
真菜実の父は短く言うと、
『それではまた明日、よろしく頼むよ』
最後にその言葉を残して、やや一方的に電話を切られました。
相変わらず本心を含めて、何処か掴みどころがない人。
結局私は電話の翌日にあたるその日、指定された時間来た迎えの車に乗せられて、回想に更けている状況に至ります。
そんな私が乗せられている車は、まさにラグジュアリーという言葉が似合うリムジンでした。
黒を基調としていながら、日本の道路事情に合わせられているのであろう程よい長さの車体。
よく映画で金持ちが乗っているようなリムジンよりも車体はかなりコンパクトでしたが、それでも一般で乗られているようなミニバンよりもはるかに大きいことには変わりありません。
車内は恐らく本物であろう革製の座席が対面式で設置されており、運転席との間には壁と窓で仕切られています。4人が足を広々延ばして座ってもかなり余裕があり、今回1人しかいないこの空間は車とは思えないほど広々としていました。
車に乗って数十分が経っても、そのフカフカな座席や社内の雰囲気に慣れることが出来ず、私は終始きょろきょろとあたりを見回していました。
「ホントに、生きる世界が違いすぎる……」
私がそんな独り言をポツリ呟くと、突然運転席との間にある仕切りの窓が静かに開きます。
「黒崎様、まもなく到着いたしますので、お支度をお願いいたします」
「は、はい」
今まで受けたことがない運転手のその改まった言葉に、私はタジタジになりながらも答えます。
―――いよいよ、真菜実とその父と対面する。
その現実を認識していくにつれて、徐々に心臓の鼓動が激しくなっていくのが分かりました。
(しっかりしないと……)
少し深呼吸して、自分の気持ちを落ち着かせます。
私の呼吸に比例して、車は徐々に減速していきました。
終いには完全に車が完全に停車して、左側のドアがゆっくりと開かれていきます。
そこは、真菜実の父と対面の場でもある葬儀場の正面。
私の気持ちが少し和らいだタイミングで、目の前に広がったその景色は、これから受け入れなければいけない現実そのものでした。




