25.彼の彼女(1)
私、黒崎と当時の彼女―――、白山 真菜実は、元々高校時代の同級生でした。
高校時代の私は決して人当たりがいい生徒とは言えず、むしろ常に仏頂面で人を寄せ付けない性格で、今振り返ってもクラスメイトからは気味悪がられていた存在だったと思います。
当時の私はかなり人とのコミュニケーションの取り方が苦手で、人と関わる意味も、意欲も無く、彼女はおろか友人と呼べる存在は誰一人としていませんでした。
そんな私に変化が訪れたのは、高校2年の夏休み前。
その日は午前中で授業が終わって、早上がりの日でした。
既にお察しだとは思いますが、当時の私は特に部活や課外活動に参加しておらず、当然友人と遊びに行くこともないまま、いつも通りまっすぐに帰宅していました。
その日も有線イヤホンで両耳を塞ぎ、視線は数歩先の景色だけをとらえながら、いつも通りの通学路をいつも通りに歩いていたと思います。
そもそも私は当時バス通学でしたが、学校から最寄りのバス停までは少し離れたところにあって、5分ちょっとくらいは歩かなければなりませんでした。
確か真菜実と話すきっかけになったその日は雨が降っていて、しばらく舗装の整備がされていないアスファルトの歩道には、所々に大きな水たまりがありました。
そんないつもの道を不精な私は、ローファーが濡れることもお構いなしに、避けながら歩くことをめんどくさがって、水たまりに足を突っ込みながら歩いていました。
そんな時でした。
歩道を歩いていた僕の後ろを、勢いよく自転車が走りすぎて行きました。
僕以外の歩行者がいるのもお構いなしに、その自転車は水たまりを突っ切って思いっきり水飛沫を飛ばして行ったのです。当然ですが、私はその水飛沫を身体の横から全身に被りました。
(流石にこれは最悪ですね……)
おかげで私は全身ずぶ濡れ。
私の数歩先を歩いていた3人組の女子グループも、同様の被害を受けかけていました。
ですがその3人組のうちの1人の女子生徒に、さらなる不幸が襲います。
勢いよく弾く水飛沫を避けようと、車道側を歩いていた女子生徒が歩道から足を踏み外して、車道側に転びかけたのです。
運悪く前方からは、一台のタクシーが彼女めがけて突っ込んできます。
その時の私は何も考えることもなく、いつの間にか反射的に身体が動いていました。彼女を歩道へ抱き寄せて、代わりにタクシーのサイドミラーと接触したらしいです。
これは後で聞いた話ですが、直接轢かれたわけではありませんでした。ですが私は車に接触した弾みで姿勢を崩し、自分の頭を歩道の淵に軽く打ち付けて気絶したらしいです。
当の私は、頭頂部に熱のようなものが込み上げる感覚を最後に、ここで一度意識を失いました。
次に私が目を覚ますと、妙な気だるさと悪寒という、最悪のコンディションでした。
頭はとても重く感じて、少し身体を動かしただけでも息切れをしそうな感覚。
私は目覚めてからしばらくして、ようやく自分が風邪をひいていることに気づきました。
それと同時に感じた自宅の自室とは違う空気感。
周囲を見回してみると、そこはどうやら病院の個室でした。
(いったい……、何が……?)
記憶が下校の時から飛んでいた私は、正直パニック状態でした。
状況をよく思い出せずにベッドの上でしばらく思考を巡らせていると、しばらくして看護師が私の部屋に入ってきて、病院に運ばれてくるまでの過程を簡単に説明してくれました。
水たまりに足を突っ込みながら、全身ずぶ濡れで下向していたこと。その時前を歩いていた同級生の女子高生が車道によろけて、反射的に自分が歩道に抱き寄せたこと。そのはずみで車に接触してしまい、地面に頭を打ってしまったこと。
車に接触した瞬間までの記憶を朧げながら思い出せた私は、「余計なおせっかいだったな」と後悔していました。
そんなことを考えていると、
「またお父様がいらっしゃると思うから、とりあえず安静にしてください。気分が悪くなったらナースコールで、いつでも呼んでね」
看護師さんは”お父様”と言いますが、既に私は父がこの場に来ないことを察していました。
いわゆる裕福な家庭の両親のもとに生まれた私ですが、父は地方議員で、母は幼い頃に病気で亡くなっています。
唯一の家族である父は、普段から多忙で家に帰らず、息子である私のために時間を割いたことなど一切ありませんでした。いえ……、父は私だけではなく、家族に時間を割くことはなかったです。
母が亡くなったあの日も、それどころか葬儀の日でさえ、父は仕事を理由に顔を出すこともありませんでした。当時小学生だった私は、あの日から子供ながら父に反抗心を抱くようになり、そしてその反抗心は、成長と共に憎悪に変化していきました。
唯一の家族である実の父親ですら、信用も期待もできない。今振り返ってみると、そんな父の存在は、私の人間性に大きな影響を与えていたのかもしれません。
人に何かを期待する―――信頼を得てまで誰かと関りを持つことに対して、意味を見出せない。
当時の私の性格は、我ながらなかなか荒んでいたと思います。
そんな私は相変わらず、ただ退院の許可が下りるまでの入院生活に早くも嫌気をさしながら、再び上体を倒して眠りにつきました。
私が再度目を覚ますと、部屋の蛍光灯の光が先ほどよりも強く感じました。
軽い頭痛はするものの、悪寒は既に無くなっていて、最初の目覚めよりも格段に身体は楽になっていたと思います。
そんな私は窓の外に顔と視線を向けてみると、外は既に日が落ちて暗くなっていました。
「もう、夜……」
3~4時間くらい寝ていたでしょうか?
気づくと私は、自分の状況を確かめるように、誰もいないはずの病室で一人呟いていました。
すると突如、
「あっ。目、覚めたんですね」
聞き覚えのない若い女性の声が私の耳を刺激します。
私は驚きながら声がした方に顔を向けてみると、そこには私が通っていた高校の制服を着た女子生徒が丸椅子に座っていました。
少なくても、同じクラスではないので他クラスか、他の学年でしょう。
美しい黒髪を腰くらいの長さまで伸ばしていて、どこか大人びた印象を感じる顔つき。
いわゆる“和風美人“という言葉が似合う、制服を着崩したことも無いであろうスレンダーな彼女は、手に持っていたブックカバー付きの文庫本に栞を挟むと、私の顔に視線を向けてきました。
そんな少なくても校内でも見覚えのない女子生徒に私は、
「えッ……、だれ……?」
素直な疑問が口をついて出ました。
「私は、黒崎君と同じ学校に通っている、白山 真菜実です。学年は一緒だけど、クラスは別だからあまり話す機会はなかったですよね」
彼女は同じ年代の女子生徒よりも落ち着いた印象の声で、私にそう自己紹介をして来ました。
とはいえ、別に彼女は私の知り合いではありません。
言い方は悪いですが、別に彼女に自分の心配をされる筋合いはないと思っていました。
だから当時の私は、ついいつもの口調で、
「……で、そんな僕に白山さんは、何の用事ですか?」
冷たくそう聞いていたと思います。
ですが真奈美は当然のように、
「お礼を言いに来たんです」
「は?お礼?」
「昨日の放課後、車に轢かれかけた私を助けてくれたじゃないですか。だからそのお礼をしたくて」
「車……、助ける……?」
はっきりと思い出せていない私の様子に、真奈美は少し心配そうな表情を作ると、
「覚えていないんですか?自転車の水しぶきを避けようとして、車道によろけた私の身体を歩道に抱き寄せてくれたんですよ? 私の代わりに貴方がケガしちゃって、居ても立っていられなくて……。お礼もそうだけど、謝りたくて来たんです」
彼女の説明を聞いた私は、病室で初めて目が覚めた時に看護師さんから聞かされた事実を思い出しました。
“車道に倒れかけた同級生“というのが、まさにこの人だったとは……。
一通りの過去を思い出せた私は、
「あぁ……」
と、短い声を漏らすと、
「別にお礼も謝罪もいいです。少し疲れたので、帰ってもらっていいですか?」
いつもの調子でいいながら、布団を頭まで被りました。
私の行動が意外だったのか、真奈美はしばらく間をおくと、
「……貴方って、友達いないですよね?」
ほとんど躊躇うことなく、そんなことを口にします。
私は面倒に感じながら、
「それが何だっていうんですか?」
「いや、何っていうことはないけど、なんか寂しいなって……」
「安い同情はいいです。むしろ不愉快」
正直言いすぎたと思いながら、私は本心混じりの一言を口にします。
相変わらず布団を被ったままの私に真奈美は、
「はぁ……。貴方、自分から人を遠ざけていること、分かっているんですか?」
「分かっててやっています」
「それは、なんで?」
「答える義理なんてないですよね?」
「確かに。それもそうですね」
「もういいですか?僕、早くひとりになりたいので」
これ以上ない拒絶的な態度で、私は彼女との関わりを断とうとしていました。
流石にここまでいえば、“なんだこいつ“と、腹を立てて帰っていくでしょう。
ですが真奈美は、
「私、怒っちゃいました」
少しわざとらしい口調でいう彼女に、僕は「はぁ……」と適当な反応を返すと、
「だから貴方が入院している間は、毎日お見舞いにきます」
予想もしていなかったとんでもない一言が、彼女の口から飛びててきました。
これには流石の私も、「えっ?」と声を漏らしながら、戸惑い混じりの表情を彼女に向けていました。
一方の彼女の表情は、艶然と微笑みを浮かべながら、
「嫌なんですよね?」
「……嫌がらせのつもりですか?」
「はい。人を不愉快にさせたら、それそうなりの罰を受けるべきだと思います」
「だからって、わざわざ君が見舞いに来る必要なんて……」
「私、人が嫌がる姿を見るのが好きなんですっ」
挑発混じりの艶かしい視線を私に向けながら、とんでもない本性を曝け出しました。
僕はそんな彼女に抵抗のつもりで、
「……サイコパス、ですね」
言葉を選ばずに思ったことをそのまま言うと、
「あ、またひどいこと言った」
真奈美は少し咎めるような表情を作って言います。
考えてみればまだ会って間もない人に対して“サイコパス“呼ばわりは、確かに酷すぎますよね。
完全に会話の内容もペースも優位に立たれてしまった私が、「くっ……」と思わず悔しげな呻きを漏らすと、
「ふふっ」
またも女子高生には似合わない艶然とした微笑みを向けながら、ようやく丸椅子から腰を上げました。
「もう遅いから、私はそろそろ帰ります。とりあえず、お大事になさってくださいね」
「誰のせいで……」
「何か言いました?」
「いいえ……、何も言ってません」
「よろしい」
後にも先にも、私が真奈美に叶うことはないと悟ったのは、まさにこの会話があってからでした。
そして彼女は右手でバイバイと、小さく横に手を振りながら、
「それじゃあ、また明日」
「また、明日……」
私はめんどくさい人に絡まれたと感じながらも、とりあえず目線を逸らしながら答えました。
そして彼女は予告通り、次の日から退院する日までずっと私のお見舞いに来てくれました。
彼女が来るたびに僕は、あからさまに面倒くさそうな態度をとっていましたが、彼女はむしろそれが楽しいと言わんばかりの反応しかしなかったので、僕も次第に普通に関わるようになっていったと思います。
とはいえ、これが彼女との出会いであり、私の全ての始まりでした。




