18.彼女の片鱗
「戸石!黒崎!お前らおっせぇよ!」
かなと拓也がパトカーを降りると、聞き馴染みのある上司の怒号が彼らを出迎えた。
声がした方へ二人が視線を向けてみると、そこには明らかに苛立っている中年の男の姿があった。
その男の名は、川口直哉。身長は平均よりも少し低めで、ヨレヨレのグレーのスーツを着た中年のその男は、かなと拓也の上司にあたる警部だ。
階級上本来であれば、川口警部が現場に出ることはほとんどない。
だが連日の凶悪犯罪ともなれば話は別らしく、普段は署内でパワハラ紛いな指導と態度でデスクに座っている警部も、この事件からは捜査メンバーの一人としてお呼びがかかった様だ。
そんな現場に出ても相変わらず上から視線な川口警部に対して、
「夜勤明けに呼びつけておいて何をいうか……」
「戸石、何か言ったか?」
かなが小さく悪態をつくと、川口警部が剣のある睨みを効かせながらこちらに視線を向けてきた。
「いいえ〜、すみませんでした」
どこか軽い口調でかなは言いながら、
(やばっ、こいつ地獄耳だった)
心の中でそう呟く。
かなは川口警部との相性が悪い。ぶっちゃけ彼女は上司の彼のことが嫌いなのだ。
そんないつものやりとりを側から見ていた拓也は、
「遅くなってすみません。それで、自分たちは何を?」
しれっとかなに助け舟を出しつつ、話題を本来の仕事の方へと向けた。
すると川口警部はどこか神妙な口調で、
「これから仏を病院に搬送する。お前らは東方面の道の警備をしろ」
簡潔に現場の状況を伝えると、拓也たちにそう指示した。
「承知しました」
「了解です」
拓也とかなは口々に言って、指示された場所に足を向ける。
規制線が張られた先にいる別の警察官と簡単な引き継ぎを行い、拓也とかなは指示された現場の警備に就いた。
周辺は近所の野次馬や報道陣のカメラでごった返していて、規制線の先から奇異な視線を向けられ続けている。
おまけに二人のすぐ近くには他のパトカーが止まっていて、窓が開いた車内からは絶えず無線の内容が漏れ出ていた。
そんな現場の状況に、かなは視線を正面に向けたまま、
「相変わらずこういう現場って、騒々しいですよね」
「そうだな。まぁ、人一人亡くなった事件だし、仕方ないだろ」
拓也も周囲に視線と気を配りながら、かなと現場がらみの雑談を始める。
「って言っても、最近こんな事件ばっかじゃないですか。なんか物騒で嫌になっちゃいますよ……」
「そう言えば最近の事件は、みんなお前の近所だよな?」
「そうなんですよ。だから尚更、他人事じゃないって感じで……」
「そっか」
不安そうな様子のかなを他所に、拓也はそっけない口調で短く返す。
そんな拓也の様子がお気に召さなかったのか、
「えっ、それだけですか?」
かなは拓也に突っかかった。
一方の拓也はどこか投げやりな口調で、
「なんだよ、心配して欲しいのか?」
「もぉ!可弱い後輩の身の回りで物騒なことが乱発してるんですよ?そこはジェントルなところ見せないと!」
「お前が可弱いーーーねぇ……?」
頬を膨らませながら抗議の声を上げるかなに、拓也はジトッとした視線を彼女に向ける。
「なっ!?なんで疑問系!?」
「お前……、この前のひったくりの件、忘れたとは言わせないぞ……」
素で驚きの声を上げるかなに、拓也は少し引いた様子で返した。
そんな拓也の言葉と様子に、
「な、なんのことやら……」
かなは誤魔化すように、視線を明後日の方に向けた。
拓也が言う“ひったくりの件“が起きたは、今から1ヶ月前のある日のこと。
かなと拓也が署の管轄地域内で、いつも通りパトカーで巡回していた時のことだった。
「あっつぅーい……、ねぇー先輩、エアコン直してぇ……」
その日は夏真っ只中の昼下がり。
エアコンが故障したパトカーの中で、かなは青色シャツの胸元を手でパタパタと仰ぎながら泣きべそをかいていた。
車外は40℃近いというのに、かな達がいつも使っているパトカーは、つい最近になってエアコンが故障してしまったのだ。
「無茶言うなよ……。こっちだって我慢しているんだからよ……。あと1週間の辛抱だ」
拓也はハンドルを握る手に汗を滲ませながら、力の抜けた声で返す。
他のパトカーはすべて出払っている上に、修理は拓也が言ったとおり1週間後。
こればかりはタイミングと運が悪かったとはいえ、代替のパトカーを用意してもらえないのは、拓也たちが下っ端と甘く見られているからだろう。
「うぅ……、労基に訴えてやるぅ……」
「気持ちは分かるけど、言っていることははちゃめちゃだな……」
かなの嘆きに、拓也は呆れながら同情する。
窓から入ってくる風は湿気を多分に含んだ生ぬるいもので、かな達の体温を下げるどころか汗が吹き出してくる一方だ。
そんな地獄のような環境でパトロールを続けていた時、
「ん?」
かなは急に窓の外に意識を向ける。
「どうした?」と、拓也はかなに視線だけ向けながら言うと、
「先輩、この公園に入って!」
かなは急に慌てた口調で言った。
「なんだよ、サボりか?」
「違うよ!さっき子供の声が聞こえたの!」
拓也の軽口に、かなは真面目な様子で訴える。
あまりに真剣な彼女のその様子に、拓也は「お、おう……」とたじろぎながら、ハンドルを公園の入り口の方へと切るのだった。
拓也がパトカーを止めた刹那、かなは車を飛び出していく。
「おい!ちょ、待てって!」
かなは拓也の声に振り返ることなく、駐車場から公園に向かって走って行ってしまった。
「仕方ねぇなっ」
拓也は独り言を漏らしながら、かなの背中を追いかける。
この公園の中心には大きな潟があり、その周りを囲むように並木道がある。春は桜、秋は紅葉と、地元の人からの人気が高いこの公園はとにかく広い。
夏休み真っ只中ということもあって、この日の公園は小さな子供連れを中心に人出が多かった。
そんな人混みを軽く縫うようにして、拓也は公園の奥に向かって走る続ける。
そしてようやくかなの姿を見つけることができたのは、駐車場から200メートルほど離れた、湖畔沿いにある並木道の途中だった。
「おい、急にどうしーーーって……」
追いついた彼女の背中に拓也が声をかけたその時、かなの正面で泣いている少女の姿に目が止まった。
「ほーらほらっ、もう怖くないよ」
女の子の頭を優しく撫でながら、かなはそう優しく宥めている。
見た目は小学生低学年くらいだろうか。
セミロングほどの髪をピンク色のゴムで結った、可愛らしいポニーテールの女の子だった。
「ママ……、ママが迷子……」
ボソリと呟くように口を開いた少女に、かなは顔を緩ませながら、
「そっかー、ママが迷子になっちゃったんだ」
おそらく事実とは真逆のセリフを返すかなに、拓也も釣られて微苦笑を浮かべた。
「戸石、とりあえず公園事務所に連れて行こう」
「そうだね。ねぇねぇ、君のお名前は?」
拓也の提案に、かなは迷子の子に手を差し出しながら聞いた。
すると女の子はビクッと身体を震わせながら、警戒心を隠そうともしない表情で、
「……マナ、ヤハギ マナ、です……」
自分の名前を答える。
「教えてくれてありがとう。私は戸石かなで、後ろのお兄さんは黒崎拓也。私たちはこの街を守る、お巡りさんなんだ!」
かなが明るい口調で声をかけるも、相変わらず女の子は顔を強張らせながらポカンとしている。
そんな女の子との様子などお構いなしに、かなは相変わらずのテンションで、
「一人で怖かったよね。だけどもう大丈夫!私たちが一緒にお母さん、探してあげる!」
改めて女の子の頭に手をポンポンと撫でながら言った。
女の子は警戒心が和らいできたのか、
「ほんと?」
か細い声で言いながら、かなの目をじっと見つめていた。
目の端には涙が溜まっており、瞳の奥からは不安と希望が綯い交ぜになった感情が伝わってくる。
相当不安だったのだろう。
かなは「うんっ!」と力強く答えると、
「私たちに任せてっ!」
女の子の頭から手を離すなり、胸を張りながら自分の拳を当てながら言った。
そんなかなの様子に、女の子は初めて純粋な笑顔を見せる。
拓也はそんな二人の様子を眺めながら、
(やっぱ、こいつは奈菜に似てるな)
胸の奥のどこかでチクリと痛みのようなものを感じるのだった。
迷子の女の子を保護したかなと拓也は、ひとまず公園の事務所がある方面へと歩き出す。
女の子は徐々にかなに対しては心を開き始めてきた様子で、今の二人は仲のいい親子のように手を繋ぎながら、拓也の一歩先を歩いていた。
すっかり二人の間に入り込む隙を失った拓也は、彼女たちの背中を眺めながら、
(やっぱりコイツ、俺より警察官合ってるな……)
どこか劣等感のようなものを感じていた。
市民に愛され、頼りになる警察官の像を、かなは今まさに体現化している。
一方の拓也は、黙々と事務的に職務をこなしているにしか過ぎない。
時折拓也はかなに対して、そんな劣等感のようなものを感じることがあった。
「はぁ……」
思わずため息が漏れる。
こう言う時、奈菜なら一体どう言葉をかけてくれるのだろうか。
ついつい、そんな後ろ向きなことを考えてしまっている自分に拓也は気づくと、顔を横に振って意識を現実に戻した。
(俺もちゃんとしなきゃな……)
ひとまず心の中でそう折り合いをつけたところで、公園事務所がある建物が視界に入った。
あとは公園事務所の職員に、迷子の対応を引き継ぐだけ。
特に大きな問題も起きず、無事に対応が終わるかと思われたーーーその時だった。
「キャッ!」
短い女性の悲鳴とともに、拓也の右肩に強い衝撃が走った。
「邪魔だッ!」
正面から言い捨てるように、男の叫び声が響く。
反対に悲鳴が聞こえた方に拓也が視線を向けてみると、
「ひっ、ひったくり!!」
叫びながら、両膝を地面につけるようにして転んでいる、30歳くらいの女性の姿があった。
数秒の間をおいて、拓也がようやく状況を理解すると、
「おいッ!警察だッ!」
そう叫びながら、拓也は足に力を入れ始める。
だが、犯人を追いかけるために正面を向いたその瞬間、
「コラッ!警察の前でひったくりとは、いい度胸じゃない」
そこには難なくひったくり犯に関節技を決めている、かなの姿があった。
「ゔッ……、ゔるじでぇ、グダザイっ……」
首元をしっかりロックされている犯人は、おそらく「許してください」と言っているのだろう。
声にならない声で降参しているにもかかわらず、かなは無表情でさらに腕と足に力を込めた。
「ねぇ、人のもの取って逃げようとしておいてさ、“許してください“の一言で許されると思ってんの?」
彼女らしくない低い声で言いながら、かなは侮蔑するような表情で犯人を睨んでいた。
それまで隣にいたはずの女の子は、完全にかなに対して怯えてしまっている。
拓也も普段見せないかなの雰囲気に圧倒されていたが、
「おい、そこまでだ」
かなの肩に手を置いて、拓也は彼女を静止した。
流石にこれ以上は、正当防衛として認められないだろう。
一方、拓也に宥められたかなは、
「は?」
光のないくすんだ瞳のまま、拓也を睨む。
拓也は一瞬怯みながらも、
「流石にやりすぎだ。それに、マナちゃんも怖がってるじゃねーか」
「えっ? あっ……」
相変わらずガッチリと犯人を押さえながらも、かなは状況をようやく呑み込んだのか、
「あ、あははっ……」
乾いた笑みを浮かべながら、僅かに両腕の力を緩ませた。
結局その後、ひったくり犯は窃盗の容疑で現行犯逮捕し、迷子の女の子は無事に親元へ返された。
それまでかなに懐いていたはずの女の子は、すっかりと怯え切ってしまい、結局かなは最後まで一度植え付けてしまった恐怖心を取り除くことができなかった。
それはそうだろう。あの時の衝撃は、拓也にとっても大きかったのだ。
初対面のーーー、しかもまだ年端も行かない少女にとって、いきなり感情の表裏をはっきり見せられては、その衝撃も大きいに決まっている。
だがそれ以上に、4年以上の付き合いがあったにも関わらず、思いもよらないタイミングで彼女の裏の顔を知ってしまった拓也の衝撃は、まるでトラウマのような恐怖心と共に脳裏に焼き付けられてしまったのだった。