16.彼女の疑念
時はさらに3年後ーーー緊急招集で現場に急行中のパトカーに戻る。
パトランプを点滅させながら走る小さなパンダ色の車の中で、拓也とかなは奈菜との思い出を回想していた。
楽しかった時も、困らされた時も、助けられた時もあった、かなにとって大切な思い出の日々が、窓を流れる景色と共に流れていく。
多分隣でハンドルを握る拓也は、もっと多くの思い出を反芻していることだろう。
ただ静かで慈しみに満ちたような時間が、しばしこの小さな空間をゆっくりと流れていた。
そんなしんみりとした空気が流れる車内で、
「ねぇ、先輩」
かなは徐に口を開く。
「なんだ?」
「もしさ、過去に戻ってやり直せるなら、先輩はどうする?」
「何だよ、藪から棒に」
「わからない。でも私時々思うんだけど、奈菜先輩みたいに幼馴染のこと引っ張れたらなぁって思うことがあるからさ。先輩はそんな後悔みたいなのってないかな〜って思って」
かなは相変わらず助手席で頬杖をつきながら、何処か力のない声音で言う。
拓也はそんな彼女が言う幼馴染の存在について、何度か学生時代から聞いたことがあった。
人付き合いが苦手で、大学は一応進学したものの、途中で自らやめてしまったというかなと同じ年の男子。
かなとその幼馴染の家も比較的近所で、しかもその付き合いは拓也と菜奈よりも長いらしく、たまに聞く話によれば、今も甲斐甲斐しくその幼馴染の家に通って面倒を見ているらしい。
そんな幼馴染の男子は、大学を中退してから引きこもっている、いわゆるニートとのこと。
悩みの方向は違うが、かなも幼馴染に対して思うことがあることはよく聞かされていた。
現在進行形で悩んでいるであろうかなが、一体何を思ってそんなことを聞いてきたのか分からない。
だがそういう前置きを抜きにして、純粋な彼女の問いかけには拓也も思うことがあった。
「後悔か……、あるといえばあるし、ないってことにすればない」
「先輩、矛盾してる」
「そんなの分かってる。でも本当のことなんだから仕方ないだろ」
拓也の返事に納得がいってない様子のかなは、頬杖をドアについたままハンドルを握る彼に視線だけ向けてくる。
話の続きを促すようなその視線に拓也は、
「奈菜のわがままは一通り聞けても、今になって考えてみれば奈菜にわがままを言ったことはなかった。多分俺は、奈菜のやつに気を使うなって言っておきながら、アイツに対して気を遣ってたんだよ」
両手のハンドルをしっかりと握りながら、どこか弱音混じりにポツポツと話を続ける。
「そう言うのよく見てるし、気づく奴だったからな。多分そこでまた気遣わせるようなことばかりさせちまったんじゃねーかって、たまに思うことがあるんだよ。でもそうやって俺が悔いてばかりいたら、それこそアイツは“向こうの世界“で浮かばれないだろ?だからそういう風に言い訳して、俺はアイツに対する後悔ってのはないようにしてる。まぁ、ただのエゴにしかすぎない、って言われればそれまでなんだけどな」
「先輩……」
言葉の最後にマイナスなニュアンスを含ませながら言う拓也に、かなはどこか同情的な声音で反応を示した。
そんな彼女の反応に、拓也はこの場の空気を無意識に重くしていたことに気づくと、
「すまない。らしくないこと言ったな」
気まずさを紛らわすように、ハンドルを強く握った。
拓也のそんなバツの悪そうな反応に、かなは自然と口を開く。
「そんなことないよ。なんか先輩らしい勘違いだね」
「はっ?どういうことだよ」
思いもよらないかなの反応に、拓也は素直な疑問を返す。それにかなはどこか諭すような声音で言う。
「そうやって奈菜先輩のことを真面目に思ってるところ。それに奈菜先輩は、先輩に対して気遣ってなんかなかったと思うよ」
「なんでそんなこと言い切れるんだよ」
「奈菜先輩も先輩と同じくらい、先輩のこと知ってたから。先輩はいつもめんどくさそうな態度取ってたけど、逆にそれが嬉しかったんでしょ?全く遠慮してなかったって言ったら嘘になるかもしれないけどさ、でもそういう先輩のめんどくさいところのおかげで、奈菜先輩なりに全力のわがままは言えてたんじゃない?」
思いの外かなの口からは、ただその場しのぎの励ましではない、拓也ですら知らない奈菜を知っているであろう彼女だからこそ言える思いがあった。
もちろん少なからず、拓也に対しての励ましの意図はあるのだろう。
とはいえ実のところ、かなの言うことが事実であればいいなと思ったことがあるのも、拓也にとっては紛れもない事実なのだ。少なくてもかなのその言葉は、拓也にとってのエゴを肯定してくれている。
拓也はどこか救われたような気持ちになりながら、
「そう、だといいな」
「そうだよ、きっと。奈菜さんの愛弟子が言うんだから、間違いない!」
全力のピースを隣の拓也に向けながらかなは言った。
今思えばかなの存在は、奈菜が残してくれた拓也へのメッセンジャー的なものかもしれない。
奈菜という存在が消えても、その存在に対して悔いを受け入れながら肯定してくれる存在を、彼女に自然と託したのではないだろうか?
(いや、そんな利口な奴じゃないな)
そんなことを考えながら、相変わらず濁りのない笑顔と共にピースを向けているかなを横目に見ると、拓也は自然と笑みを浮かべる。
そんな話が良い所で区切りがつくと、フロントガラスの先には現実が見え始めた。
「よし、仕事に戻るぞ。もう現場だ」
かなも拓也に習って正面を見てみると、そこには彼が言うとおり、ブルーシートで辺りが覆われている現場がすぐ目の前まで近づいていた。
そこには他のパトカーが数台と救急車が1台到着しており、今回の事件の凄惨さがすでに伝わってくる。
二人が乗るパトカーの車内も、徐々に空気が張り詰めていく。
だがその時とほぼ同時に、かなはまるで急に虫の知らせを告げられたかのような嫌な予感に苛まれ始めた。
今までも殺人現場に赴く時のかなは、これからどういう風に事件が発展していくのだろうか?といった不安を感じたことはあるが、それは事件そのものや職務上の不安を感じていただけで、それ以上の胸騒ぎとか焦燥感というのは、今まで感じたことがなかった。
だが今回の現場に対してかなは、何故か猛烈な不安と焦燥感に同時に飲み込まれるような当事者意識があった。
(気のせい、だよね……?)
根拠のない不安にかなは、これまた根拠もなく自分にそう言い聞かせる。
だが彼女のその不安こそが、今この世界に生きるかな達の運命を予知していたことなど、この時のかなは知る由もなかった。