15.彼女の幸せ(改)
そして時は12年後の12月。
拓也と大学の後輩である戸石かなが、夜中の海岸端に寄った公園の展望台で語らう今に戻る。
「これがアイツと出会って、今までの話だ」
菜奈との出会いから今に至るまでの思いを一通りしゃべり終えるころには、既に日付を回っていた。
所どころ空にあった雲は何処へ流れ、今は満点の星空が散らした雪のように広がっている。
寒空の下、開栓済みの缶コーヒーは既に冷え切っているが、拓也の胸の奥は何処か暖かった。
拓也が一通り語り終えて、そんな感慨に更けていると、
「ふんっ!!」
突如、拓也の背中に重く鈍い痛みが走った。
「痛たっ⁈ 何するんだ⁈」
拓也は腰に手をあてがいながら、この場にもう一人しかいない蹴りをくれた本人に視線を向ける。
彼の視線の先には、顔を真っ赤にしながら睨みを利かせた後輩の姿が映った。
「なんですか!なんなんですかっ!?」
ただひたすら同じ言葉を叫ぶ後輩のかな。
「だからなんなんだよ……」
「それって、もう二人とも両思いだったってことじゃないですかっ! 今まで変に気を使ってた私がバカみたいじゃないですかっ!」
言いながらかなは、拓也の背中に拳をグーで何度も叩きつける。
「ちょっ、おま、痛いっ!」
拓也の背中と肩に、何度も拳が撃ち込まれる。だが体力が尽きてきたのか、しばらくするとかなの一方的な暴力は彼女の息切れと共に次第にやんだ。
「はぁ、はぁ……」
「気が済んだか?」
「正直、まだ足りない」
「これ以上は、勘弁してくれ……」
顔はまだ殴りたそうにしているが、体力が持たないのだろう。少し休憩と言わんばかりに急におとなしくなった彼女は、
「はぁ……。先輩のヘタレ」
わざと拓也に聞こえる声で、かなはポツリと呟いた。
「身体の次はメンタル側の暴力かよ……」
「私、先輩に怒っています」
「それはその、すまん」
いつもと違い、力の入らない謝罪を返す拓也に、
「はぁ……」
かなは深いため息をついた。
「とりあえず、先輩たちの過去のことは分かったよ。それで、先輩はどうするの?」
「どうするって?」
「菜奈さんに残された時間、先輩は何かしてあげないの?」
「それは……」
拓也の言葉が詰まる。
何かを思いつめた表情で、彼はじっと暗い水平線の先を眺めていた。
どんな言葉を用意しようとしているのか定かではないが、恐らくずっと考えていたことなのだろう。
いつも何処か合理的で、冷静な拓也が思い悩むほどに。
そこでかなはようやく、自分が今一番彼の致命傷ともいえる所に塩を塗ってしまったことに気づいた。
「ごめん、今のなし」
「はっ?」
かなの急な一言に、拓也は驚き交じりの反応を返す。
「滅茶苦茶なこと言ってますよね。なんか今日ずっと私、冷静じゃないみたい。困らせるようなことばかり言っちゃって、ごめんなさい」
「なんだよ、急にしおらしくして。なんかキモいぞ」
「キモいって流石に失礼じゃない!?」
「そうかもな。こっちこそすまん」
これまでずっとシリアスな空気から一転、かなの急なツッコミにいつものやり取りを感じて、拓也は少し笑いながら自分の非を謝る。
そして拓也は、かなの問いに対する答えを口にした。
「さっきのことだけど」
「え?」
「菜奈のやつに、何かするってやつ。実を言うともう決まってる」
「そうなの?」
「あぁ。まだ覚悟は決まってないけどな」
「覚悟って……。まさか臓器売買―――」
「んなわけないだろ。なんでそうなる……」
「それならよかった……」
「おい、何マジで安心してるんだよ」
「いやだって先輩、奈菜さんのためなら本当に何でもしそうだから……」
「あながち間違ってないけど、流石にそこまではねーよ」
あまりにも突拍子もない飛躍したかなの勘違いに、拓也は呆れた口調で否定する。
そして冷めたコーヒーを一口含んで胃に流し込むと、拓也はようやくかなの問いに答えた。
「アイツ、さっき言ってたんだ。『俺がやりたいこと見つけて、応援させて』くれって」
「っ……」
「やりたいこと自体は何となく浮かんでいるけど、それを本当にやっていく覚悟っていうかが、俺にはまだない。だからせめて、アイツがいるまでの間に覚悟を決めて、俺が本当にやりたいことを胸張って言えるようにはしたい……、とは思っている」
歯切れの悪い拓也のその宣言に、かなは徐に近くの手すりに身をゆだねると、
「先輩、やっぱりすごく真面目だよね」
拓也と同じ水平線の彼方に視線を向けたまま、しみじみと本音を口から溢す。
だがあまりにも唐突に彼女らしからぬ発言を耳にした拓也は、
「はっ?いきなりなんだよ」
かなの方へ視線を向けると、そう口走っていた。
「今まで自分のことまともに考えていなかったくせにさ、奈菜さんのためってなったら、急に自分と向き合い始めるんだもん」
「そりゃ、いずれは自分のこと考えなきゃだろ? それに今更になって、気づいたこともあったんだよ」
「気づいたこと?」
拓也の一言に、かなは彼の方へ視線を向けなおす。
一方の拓也は、目の前の海原に浮かぶ星々に視線を向けながら続けた。
「考えてみれば俺って、アイツのやることなすことに引っ付いてばかりで、自分から何かすることってほとんどなかったんだよ。だからアイツは、自分が居なくなった後の俺のことを思ってくれてたんだと思う。だから俺は早く、アイツに俺なりの生き方ってやつを示して、安心させてやりたいんだ」
「そっか」
拓也の胸の内を聞いたかなは、ただ静かに頷く。
そしてすっかり冷え切った紅茶を飲み干すと、空き缶を両手で包み込みながら口を開いた。
「でもやっぱり、私は先輩のそういう考え方は、真面目だと思う」
「そ、そうか……」
拓也はそれだけ言うと、彼も飲みかけだったコーヒーを飲み干す。
そしてしばしの沈黙の後、拓也はポツリと小さな声で言った。
「なんか、ありがとな」
「ん?なにが?」
「お前のそういう、ちゃんと周りを見てくれているところ、俺結構好きだぞ」
自分でも驚くほど素直に、拓也はかなに感謝の言葉を口にする。
するとあからさまに、かなが動揺したのが分かった。
拓也は怪訝に思い、かなの方へ目線を向けてみる。
隣にいる彼女はワナワナと震えながら、
「なっ!なんですか!?いきなり浮気ですか!?」
「ち、ちげーよ!何勘違いしてるんだ!?」
「だって好きって、好きって言った!先輩はそんな誰にでも好きなんて言っちゃうんだ!?見損ないましたよっ!先輩の浮気野郎!」
「だから違うっての!好きってのはそういう意味じゃなくてっ!」
「本当ですかぁ?」
「当たり前だ!」
唐突にあらぬ疑いをかけられたかなに、拓也は全力で否定の声を上げる。
明らかに怪しいと目を細めていたかなだったが、しばらくすると、
「ぷっ」
急に小さく吹き出した。
そして我慢できないと言わんばかりに、彼女は声を上げて笑い始める。
「あははっ!」
「な、なんだよ……」
「私も、先輩とこんなやり取りするの、好きですよ」
「っ……」
手すりに身を預けながら、かなはさらっとそんなことを口にする。
片手で手すりに頬杖をつきながら、かなは拓也に恍惚とした視線を向けた。
そんな月明かりの白い光に照らされ、優しい笑みを向けている彼女の表情に、今の拓也はとっさに下を向いて誤魔化すほかない。
拓也の明らかに戸惑った様子を見て、クスッと笑うかなは、真面目な声音で彼に問いかけた。
「で、先輩。明日はどうするの?」
「とりあえず、大学は自主休講だな」
「そっか。流石先輩、奈菜さんのこと大好きですね」
「うっせぇ」
尚も照れたままの拓也は、からかい口調のかなの一言に否定はしない。
こうしてこの日から、かなと拓也はほぼ毎日奈菜のいる病院に通うようになった。
とはいえ、日を追うごとに奈菜に繋がれる管の数は増えていき、入院から3週間が経った頃には、息苦しそうで会話もままならない状況になって行く一方だった。
医者の予想よりも、病状は悪くなる一方で、余命の一年はとても持ちそうにない。
実のところ、医者も思いのほか早い病気の進行に、これ以上の治療はほぼ意味を成さないと言われていた。
そして年が明けた1月の下旬。ついに奈菜の様態は、コミュニケーションもまともに取れなくなるほど、病状は悪化していく一方で、いつ呼吸が止まってもおかしくないところまで行きついてしまった。
そんなある日。拓也はついに奈菜へ自分の胸の内を打ち明ける覚悟を決め、ICUに移った彼女の元へ訪れた。奈菜がICUに移ってからは、一般病棟ほど気軽に面会には行けておらず、大学の試験前ということもあって、この日は1週間ぶりの面会だった。
「奈菜、起きてるか?」
全身白い防護服に身を包んだ拓也は、奈菜が待つベッドのカーテンをゆっくりと開ける。
最近は面会に行っても薬のせいで寝ていることがほとんどだが、この日の奈菜は偶然目を覚ましていた。
菜奈は拓也の姿をその瞳に捉えると、小さな笑みだけ浮かべて答える。
拓也はそんな彼女の横に置かれた丸椅子に座ると、1週間の間に起きた話題を一方的に語り始めた。
大学の近くにあるカレー屋に始めて行ったら、そこがかなりおいしかったこと。
かなが次回の学生委員長に立候補したこと。
そして、初めて自分から父を誘って、二人で飲みに出かけたこと。
どれも拓也にとって衝撃的な事ばかりで、感情の起伏が語る度に上下する彼の話を、奈菜は静かに、時折優しく頷きながら聞いていた。
そして拓也は、ようやく自分の胸の内に決めた告白をする。
「なぁ奈菜、覚えてるか?1カ月前、お前が俺に『やりたいこと見つけろ』って言ってたこと」
拓也の問いかけに、奈菜は優しく頷く。
「俺、見つけたよ。やりたいこと」
菜奈は少し目を大きく見開くと、拓也の言葉の続きを待った。
「俺、警察になる。お前が叶えられなかった夢を、俺が代わりに叶える」
「それ、結局私のやりたいことじゃん」
拓也の決意に、奈菜は弱々しい声で困った笑みを浮かべながら言った。
だがそんな奈菜の一言に、拓哉は真剣な声で否定する。
「違う、これは俺のやりたいことだ」
菜奈は戸惑いと疑問が織り交ざった表情で首を傾けた。
「お前言ってただろ?『私が大人になれるなら、お父さんみたいな警察官になりたい』って」
「……」
拓也が言った過去の自分の言葉に、奈菜はただその続きの言葉を待つ。
「お前がそういうまではさ、生活も休みも不規則で、仕事優先でいつも忙しくしている親父の仕事って、人の助けになるって分かっていても、正直あまりよく思ってなかったんだよ」
菜奈は拓也の言葉にゆっくり頷くと、優しい目で言葉の続きを促す。
「だけど親父の仕事がきっかけでお前と出会って、自分の寿命が短いのを知ってて、そうやって将来の夢を語るお前のことを思い出したとき、考えが変わった」
拓也のその言葉を聞いた奈菜は、何処か切なげな表情を浮かべる。
「俺はお前と違って、人付き合いが得意なほうじゃないし、お前みたいに心の痛みを誰よりも分かってやれるほど心は広くないかもしれない。だけどーーー」
「だいじょうぶ」
拓也の不安なその一言を、奈菜は励ますように繰り返し言った。
「たっくんなら、大丈夫だよ」
今も起きているだけで辛いはずなのに、奈菜は必死さを感じさせない優しい声音でそう励ましてくれる。そんな彼女は、ありったけのエールを拓也に送ってくれているようだった。
「ありがと、約束守ってくれて」
そして最後の力を振り絞るように、
「これで安心して、お別れ、でき、るーーー」
菜奈は静かに眠りについた。
どうやらこの日は限界だったらしく、拓也は名残惜しさを必死に抑えながら病室を後にする。
そしてあの日以来、拓也は奈菜の病室に足を向けることはなかった。
病室を最後に後にした時もそうだが、このまままた奈菜と顔を合わせてたら、自分までその後を追いかねないと自制が働いていたのかもしれない。
とはいえ、これで彼女との約束を果たせた。
あとはその決意のために、将来に向かって突き進むだけ。
あの日の会話が最期のお別れでも、拓也は全く悔いは残らなかった。そうならないように用意して、あの日は会いに行ったのだから。
そんなことを思いながら、拓也は公務員試験用の対策本を手に取って勉強を始める。
そしてとうとう、その時が来たことを告げられたのは、拓也が面会に行った2日の朝。
奈菜の義父、五十島大樹からの一本の電話だった。
2月1日、午前6時14分。
奈菜は二人の義理の両親に見守られながら、雲の上で待っていたであろう実の両親の元へと旅立ったのだった。
ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございます。
この作品を書き始めてから、約1年……。大きなあらも多い作品ではありますが、ここでようやくこの物語の大きなマイルストーンに到達することが出来ました。これから先の物語は、タイトルとあらすじに直接つながっていく大きな転換期になってくるかと思います。筆は遅いですが、頑張って物語を語っていきますので、どうかお付き合いください。引き続き、よろしくお願い申し上げます。