05話 紫
管制室で香澄は不安を隠しきれていなかった。
先ほどまで聞こえていた咆哮が聞こえなくなった代わりに繰り返し何かを蹴るような
何かが衝突するような鈍い音が聞こえてくる。
彼女は紫藤と連絡が取れなくなってから、彼の状況を把握するためありとあらゆる手段を探した。
その中で
「あった、あの人に付けた因子計測機。これを使えば。」
それは開発室で小野道弥生が紫藤の経過観察のために付けた因子計測機。
「あの人もたまにはいい仕事をしますね、今度何かお礼をしなければ。」
わずかな希望、それですら彼女、花本香澄を動かすには十分なものだった。
解析に次ぐ解析、元々ただのデータを記録するための装置であるが故
そこから必要な情報を得るのには困難を極めた。
それでも彼女はやり遂げた。
その先に彼女が見たものは....
彼女は絶句した
表示されている因子の濃度を表す数値が正常値を大きく上回っている。
臨界点すら上回りかけている、このまま上昇を続ければいずれ理性を失い狂種になってしまう。
すぐにでもどうにかしなければいけない状態であるのは目に見えて明らかだ。
「全てのエージェントに連絡します。A4地区にて任務中の紫の因子濃度が上昇。
直ちに鎮圧、回収を依頼します。」
彼女はこんなことを依頼できるほどの立場ではない
しかし、この組織全体で管理することが定められた彼の暴走はこの組織の露呈に繋がりうる。
それこそがこの組織における最大の禁忌。
それを冷静に判断できる能力こそ彼女が紫藤の管制官に選ばれた理由の一つであった。
その連絡を受けた管制官から管制官へ連絡が伝わり、
ついにエージェントの出動が許可される。
「何々?新人が何かとんでもないことになってるんだって?
大変だねー、さっき見たんだけど彼って何者?」
「ふざけている場合ではありません、赤。あなたの悪い癖だ。もう少し緊張感を持ちなさい。」
そう言って現れたのは大柄な男と小柄な女。
この二人こそcisが誇る最高戦力、エージェントである。
「さぁ、早く行きましょう。私たちが本気を出さざるをえなくなるかもしれない。」
二人は紫藤と同じ経路を通って、彼のもとへ急ぐ。
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暗い倉庫の中に一人の少年が立っている。
わずかに差し込む月明かりに照らされた彼の目は濃い紫に染まっている。
その目には理性が残っていないように見える。
周囲には血を流して倒れている人間、元々狂種であったであろう人間が倒れている。
誰の仕業かは目に見えて明らかだ。
そんな凄惨な現場に一組の男女の声が響く。
「おぉー、大変なことになってる。これ一人でやったなら大したもんだな。なぁ、青。」
「そんなことより早く紫を回収しましょう。」
そう言って彼らは倉庫の中を見回す。
一見何もないように見える。しかし彼らは気づいた
そこは通常ではありえないほどの濃い因子に満たされていたことに。
刹那、青と飛ばれた女性の頭の上に氷が出現する。
その氷に何かが衝突する音がした。
「やはり上から来ましたか。相手の死角から奇襲を仕掛ける、及第点ですね。」
青の上の氷が一瞬のうちに砕ける。
その反動で目から理性の消えた何かがバランスを崩して落ちてきた。
彼女はそのまま地面にたたきつけ、拘束具で「それ」を拘束する。
細かく砕けた氷が雪のように舞う中、青は口角を少しだけ上げる。
やはり因子を用いた戦闘となればこちらに分があるようですね。
データによると彼の因子は自己に干渉できるようですが
やはりそれでは不十分。
因子による干渉の緻密な操作ができてこそ一流というものでしょう。
しかし、彼女はまだ気づいてはいない、
人工的に作られた兵器としての危険性に。
拘束具の破壊される鈍い音がする。
青は信じられないような顔をして言った。
「まさか、私の因子を流して固めた拘束ですよ。破られるはずが...」
最後まで話すことは叶わなかった。
彼女が跳ね飛ばされたからだ。
跳ね飛ばされた彼女の目線の先、そこには目が紫に染まった少年の姿があった。
「大丈夫か、青!!」
赤と呼ばれていた男が問いかける。
青は頷いた、あまりの威圧感に声が出ない。
「これは中々、青がやられるわけだ。」
赤の顔つきが変わる、
こいつはすぐにでも片をつけなければまずい
ここでの打開策は...
「おい青、お前もう少し動けるか?あいつは紫だ。
俺とお前の因子を同時に打ち込めば何とかなるかもしれん。」
赤が青に問いかける。
「分かりました、あなたとの共闘は非常に不本意ですが仕方ありません。」
二人は同時に地面を蹴る。
その間にも赤は考えていた。
青の負担を考えてチャンスは1回、しかも同時だ。
しかしあいつの動きは俺たちですら追えない、どうすれば...
「赤、しっかりしなさい。奴の目は紫に発光している。
私の氷で反射する光から考えて場所を特定しなさい。
奴は、紫は私たちを狙っている、
必ず私たちを同時に仕留められる位置に来るはずです。」
彼はとっさに理解する。
そして、青とは常に正反対の位置になるように動く。
氷に反射した紫の光から奴の位置を特定する。
そしてその時は突然訪れた。
紫の目をした少年が二人の間に現れる。
その時を二人は狙っていた。
指先に集めた因子を少年に向かって銃のように放つ。
放たれた因子は少年の体に両側から同時に打ち込まれる。
少年の目は徐々に紫の光を失っていった。
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目が覚めた
僕は今まで何をしていたのだろう。
狂種を倒して、それから... 記憶がない。
「おぅ、やっと目が覚めたか。体に異常はないか?」
声のした方を見るとそこには大柄な赤っぽい髪の男性が立っていた。
「あなた、よくも私をこうもひどく殴ってくれましたね。
高くつきますよ。」
もう一人、そんなことを言ったのは薄く青い色の入った髪の女性だった。
どうなっているんだ、よく見ると僕は拘束されている。
しかもこの拘束、力を込めても全くとける気がしない。
やはりですか、と女性が話す。
その女性曰く、さっきまでの僕はこの程度の拘束なら簡単に破壊していたらしい。
女性はさらに話す。
僕は狂種との戦闘のさなか、因子濃度が急上昇。狂種のような状態になっていたそうだ。
そしてそれを止めてくれたのが目の前のこの二人
二人がかりで何とか止めることができたらしい。
「それでお前、名前何て言うの?」
男性があっけらかんとした態度で聞いてくる。
「あなたという人は、なぜこのような場においても緊張感がないのですか。」
女性が噛みつくように男性にまくしたてる。
それからしばらく二人はガミガミギャアギャアと言い争いを繰り返していた。
二人の言い争いが終わった後、二人はまず自分たちからと紹介してくれた。
「俺は赤嶺朱、この組織で一番強いエージェントやってるんだぜ。赤って呼ばれてる。」
「私は氷室蒼葉です。彼と同じくこの組織の最高戦力であるエージェントの一人です。
と言っても私と彼の二人だけですが...私のことは青と呼んでください。」
なるほど、この人たちが最高戦力。僕には記憶が残っていないから分からないけど
狂種の一歩手前を鎮圧できるんだからすごいんだろうなぁ。
なんてことを考えていたら、青の人に小突かれた。
まるで早く名乗れと言わんばかりの目線である。
「僕は紫藤と言います、紫と言われています。」
そうこうしていると、外が騒がしくなってきた。
倉庫の入り口に紫藤さんの姿が見える。
「思ってたより元気じゃあないか、てっきり死んでるかと思ってたわ。」
そう言って近づいてくる。
まぁ初めてが狂種なら、あぁなるのも仕方ないかとつぶやいて
「お疲れ、よく生き残ったな。」
と声をかけてくれると手を取ってくれた。
ぼくは紫藤さんの手に引かれ倉庫から出る。
やはり倉庫の周りは人であふれかえっていた。
当たり前だろう、エージェントまで動くような案件だったのだから。
周りの人の目は稀有が半分、警戒が半分といったところだろう。
「この後本部まで戻ったら話がある。」
真剣な声でそう言った。
後の処理は処理班という人たちがやってくれるそうだ。
車の中で紫藤さんが教えてくれた。
エージェントの方々は自力で帰るそうだ。あの人たちは本当に化け物だと思う。
そんなこんなで本部までついた。
紫藤さんに連れていかれる。
管制室まで行くと、椅子に座っていた香澄さんがこちらに駆け寄ってくる。
僕の目の前まで来ると何も言わずに僕の目をじっと見た。
ピシャッ
頬をはられた。
彼女は目を潤ませている。
「何であんな無茶するんですか!!
私があなたと連絡できなくなった時、どれほど心配したか。
必ず帰ってくるようにと私はいったはずです。
二度と無茶しないでください。」
彼女なりに僕のことを心配してくれていたんだと思うと申し訳なくなる。
二度と心配させないように、もっと強くならないといけない。
この力をもっと使いこなせるようにならないと。
「いい感じのところ悪いが、こっちも話始めてもいいか?」
その一言で一気に現実に戻される。
香澄さんとかなり近づいていたことに気が付く。
向こうが気が付いたようだ。
紫藤さんはニヤニヤ笑っている。
「大切なことだから香澄ちゃんも一緒に聞いてもらえるか?」
そう言って最初に三人で話した場所まで連れていかれる。
大切な話というのを紫藤さんは始めた。
「大切な話っていうのは二つあるんだ。
一つ目はお前の因子の話だ。紫だっていうのは前も聞いたと思う。
ただ、紫は五つの系統があってな、その系統で派閥も分かれている。
その五つは、暴虐 狂信 覇者 厄災 虚無。
お前の因子の暴走を見て分かった。
お前の因子は“覇者”だ。
全てを支配する力、それがお前の因子の力だ。
世界の全てを手中に収められる力の一つだ。
そして覇者の因子は紫の因子の中で唯一行方が分からなくなっていた。
その覇者の因子はもともと俺の因子だ。」
彼はそう言って一つ目の話を終える。
香澄さんは表情一つ変えずに聞いている、
いや、今にも逃げ出したいのを耐えているように見える。
彼女にも大きな重圧がかかることは確かだろう。
そして二つ目の話が始められる。
「お前の因子の暴走のことはこの組織中に知れ渡っている。
ここの中でも大きく二つに派閥に分かれている。
一つは、お前のその力を使ってこの組織をより強固なものにすることを建前にして
お前をここでより厳重に管理するもの
二つ目は、お前を今にでも死刑にするというもの
この二つに分かれている。」
そう告げられて、僕は失望しそうになる。
何も思い出せず、このまま死ぬのか
そう思い何か口に出そうとしたとき、
「私は断固反対です、
この人は危険とはいえ狂種を単独で倒せるほどの力がある。
この組織において戦力の増強は必須です。
管理という建前があるとはいえ、この組織の目的は因子犯罪を取り締まること。
人々の安全を保守するという目的において
この人の重要性を説きます。」
そう言って香澄さんが立ち上がる。
まくしたてるようにそう言う香澄さんの顔は上気している。
それを見た紫藤さんは、まぁまぁ落ち着けと言って
話の続きを始めた。
「実はさっきまでの話には続きがあるんだ。
先の因子取引から始まった一件でお前を止めた二人がいただろ?
あの二人が直々にお前をエージェントに推薦した。
どうやら二人とも香澄ちゃんと同じ考えみたいなんだ。
だから恐らくだが上も簡単には手を出せなくなるだろう。
こいつはこれからもここでかくまうことになる。」
それを聞くと香澄さんは一気に力が抜けてように座り込んだ。
僕もひとまずは自分の命が保証されたことに安心した。
紫藤さんにひとまず今日は休め、詳しくは明日だと言われ、自室に戻された。
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翌日
朝起きると紫藤さんが僕の顔を覗き込んでいた。
おぃ行くぞと手を引かれ、どこに行くのか分からないまま歩く。
着いたのは忘れるはずもない、かの老人のいるところだった。
中に入るとたくさんの人が集まっている。
その中には昨日の赤嶺さんと氷室さんもいた。
その二人の後ろに並ぶようにして多くの人たちが集まっている。
しばらくすると老人が立ち上がりこちらに向かって歩いてくる。
老人が立ち上がった途端、その場にいた全員がひざまずいた。
静かになった空間に老人の声が響く。
「この者は名を紫藤という。
先日の科学地区の崩壊に関与している人物であり、その件においてわしらの追っていた
紫の因子の一つ“覇者”を保有している人間じゃ。
この者について先の任務の案件は記憶に新しいと思う。
反対する者もいるとは思うが赤および青の推薦によりこの者をエージェントとする。」
有無を言わせない気迫で老人は言い切った。
老人の話が終わるとその空間がざわめき始めた。
中には、殺せだったり危険だと言っている者もいる。
その波紋は徐々に広がっていく。
当たり前だ、聞いた話によればエージェントの推薦さえあれば
どのような危険なものでもエージェントになる資格が得られるという。
僕のことを認められないというのも納得できる。
そんな中、ついに一人の人間が声を上げた。
「俺はこんな奴認められない。
何が推薦だ、ただの危険人物じゃあないか。
先代の紫を踏まえてもそう言えるのか。
黙ってこいつの危険性を分かっていながらも何もするなっていうのか?
エージェントには俺たちですら手を出すことは許されない
こいつに文句すら付けられなくなるんだ。
お前ら、本当にこれでいいのか?」
その呼びかけに何人かの人間が答える。
おかしいと感じた、声を聴いているとふわふわした気分になってくる。
赤嶺さんと氷室さんは無言を決め込んでいる。
「ならば、お主の力で証明して見せよ。
自らの方が上であると証明して見せよ。
自分こそがエージェントにふさわしいとそう証明して見せよ。
口では何とも言えよう、目の前にいる小僧を倒してこそ
お主の器が測れるのではないか。」
水を打ったように静かになった。
老人が再び声を放ったのだ。
その声にしばらくは反応が起きなかったが
さっきまで喋っていた人間が立ち上がる。
そしてつかつかと歩いて僕の前に来ると、お前の命もいつまで保つかなぁ
そう言ってニヤリと笑うとそくさくと部屋から出ていった。
体の底から震えるような嫌な寒気がした。
その後は特に何事もなく進んだ。
さっきの事関係で僕の紫のエージェント襲名は見送りになるそうだ。
集まりが終わると赤嶺さんがお疲れと声をかけてくれた。
この人は僕がエージェントのなることにかなり前向きらしく
自分との繋がりを周りにアピールしてくれたようだ。
しかし、さっきの出ていった人には注意するように言われた。
どうやら中々の問題を抱えている人間らしく
因子のみならず他のことにも見分を広めているらしい。
何を仕掛けてくるか分からないとのことだった。
赤嶺さんにお礼を言って部屋を出る。
紫藤さんは先に帰ったようだ。
なんだかすごく疲れた気がする。
さっきの人について香澄さんに聞いてみようなんて思いながら管制室まで向かう。
香澄さんを探すとすぐに見つかった。
彼女にさっきの人について聞いてみると
彼女は顔を青くして答えた。
「その人はあれですね、管制官の間でも評判の悪い人です。
余剰な戦力を動員して鎮圧を行ったり、そのせいで成績は悪くないんですが...
とにかく悪いうわさが後を絶たない人です。
気を付けるに越したことはありません。」
と教えてくれた。
なるほど余剰すぎる戦力か、少し引っかかる。
まぁ、そこまで気にすることはないだろうと思い
お礼を言ってその場を去った。
この時、僕はこのことがあんな事になるなんて考えもしなかった。