02話 何のために
男は僕を抱えて夜の街を駆ける。
ただしこの男、ただ走っているわけではない。
ビルからビルへと飛び移り、空を飛ぶように駆けていく。
本当にどうなっているんだ、この男はさっきも天井まで飛んだりと謎が多すぎる。
そうこうするうちに男はとある電話ボックスの横に着地する。音一つ立たなかった。
息一つ切らしていない。涼しい顔をしている。
「これからについて説明するけど、お前とりあえず執行猶予付きの死刑な」
そんなとんでもないことを軽口のように言う。
「...は?」
あまりの衝撃に言葉が出てこない。
呆然としている僕を他所目に男は電話ボックスに僕を抱えたまま入っていく。
嫌な予感しかない、
男は電話についているボタンを押した。
すると四方を覆っていたガラスが不透明になり、エレベーターのように
ボックスが地下へ降りて行った。
チンッと音がして止まる。
夜遅くだというのに地下にはたくさんの人がいた。
男に連れられてまた違うエレベーターに乗ると中には風変わりな女性が一人
エレベーターガールらしい。
男がさっきから色々と話しかけているが一言も返さない。
人形のようにそこに立っている。
そうこうするうちにさらに地下に到達する。エレベーターを降りるとそこはさっきまでとはまるで雰囲気が違う
張り詰めたような空気の中、僕に向けられた視線をひしひしと感じる。
「きょろきょろするな。」
さっきまでの軽い口調とはうってかわって男の口調が重くなる。
「ここにいる奴らはお前のことを異分子のはぐれ者って認識している。
下手な動きをしてみろ、首ちょんぱになるぞ。」
そんな恐ろしいことを口走る。
確かに周りからは稀有というよりも敵対、監視するような視線を感じる。
時間が引き延ばされたように長く感じる。
永遠ともとれるような時間歩いた先には大きな扉がある。
「開けろ、だがそこから先は俺は手助けできない。自分でどうにかすることだ。
終わった頃合いで連絡を入れる。」
そういって男は扉を指さす。
この先に何があるのかは分からない、だがこれまでに感じたことのないような重圧を感じた。
扉に手をかける。
ギィーと錆びついたような音がして扉が開く。
中は真っ暗だった。
光は一切なく、気を抜けば引き込まれてしまいそうなほどに濃い暗さだった。
周りを見渡す。扉が閉まる音がした。
と同時に明かりがつく。
明かりは2本が道を作るようにして並んでいた。
その先には一人の老人が座っている。
白髪で寝ているように動かない、しかし帯刀しておりその構えには一分の隙もない。
そう恐らくはこの老人、構えながら寝ている。
不思議に思ってできるだけ静かに近づくと、老人が目を覚ます。
起きた時特有のあの寝ぼけたような目と僕の目があった。
音でも立ててしまって、眠りの邪魔でもしてしまったかと思っていたその時
「紫...」
老人がそうつぶやいたような気がする。
刹那、首筋に刃が迫っていた。
驚いてよける、自分でも驚いた、普通ならあんなの見えないし気づかないはずだ。
なのに躱した。
「そうか、躱すか...」
そう老人はつぶやいて間合いを詰めて、またもや攻撃を繰り出す。
速い、何だこれは。
動きに一切の無駄がなく、流れるように次の攻撃が繰り出される。
訳の分からない状況に僕は防戦一方になっていた。
いや、この表現は正しくない。僕が攻撃を防いでいるわけじゃない。
確かに体の動きだけ見れば僕の意思で動いているように見えてしまう
だが、これは僕の意思じゃない。僕の体を動かしているのは誰なんだ。
しかしそんなことを考えている間にも老人の攻撃は速度を増していく。
そしてついに、一瞬の隙を見逃さなかった老人の刃が僕の首に届いて...
折れた、
老人の刀が僕の首を飛ばそうとした途端に刀が折れた。
僕の首筋にあたっていたところから先が折れて飛んでいき、闇の中へ消える。
折れた刃の落ちる音だけが響いた。
老人は一瞬驚いたように目を開き、そこから折れて残った方の刀を鞘に収める。
そして、こちらを向いて一言
「貴様、何者じゃ。先程のわしとの手合わせ、あれはお主か。」
そう、僕も違和感を感じていた。言うなれば自分が自分でないような感覚。
誰かに操られているような感覚だった。
そんな僕の様子を見抜いたのか老人がこちらに近づいてきて
「お主、よう顔を見せてみぃ。わしがお主を診てやろう。」
そう言って老人は僕の顔を覗き込む。
見飽きるほど僕の顔を見た後、
老人は一言
「紫じゃな。」
と言ったきり喋らなくなった。
この大きな部屋に静寂が戻り、どのくらいたったのだろう。
ズボンのポケットから緊張感のないような音楽が流れ始める。
ポケットの中をまさぐると小さな端末が出てきた、音楽はこれから流れているらしい。
耳に当てると先ほど別れた男の声が聞こえてくる。
「おぅ、終わったか?ごくろうさん、来た道戻って帰ってこいよ。」
なんてさっきの重い口調が嘘だったかのような軽い口調で話してくる。
何だか疲れた、とりあえずもう休みたい。そう思いながら来た道を戻る。
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扉を出たところで待っていたのは、あの男ではなくまた違う人だった。
僕と同じくらいの年の女の子で、気が強そうな感じがする。
「お待ちしていました、ただいまより管制室へご案内いたします。」
表情一つ変えずにそう言って女の子はすたすたと歩き始める。
結局歩いている間も一言も話すことなく、管制室と呼ばれる場所に着いた。
そこではたくさんの人がパソコン操作しながら、インカムを付けて誰かと話している
「ここでは多くののオペレーターがそれぞれの担当と連携をとることで、任務の成功率が
上がるように尽力しています。言わばここはこの組織の脳です。」
そう言って女の子はオペレーターと呼ばれていた人たちを指さす。
その時、後ろから頭をつかまれた。
「おぅ、お帰り。ここにいるってことは合格したんだな。」
後ろを振り返ると僕をここに連れてきた男がいた。
「お久しぶりです、紫藤さん。」
女の子がそう言うと
「おぅ、元気でやってたか?香澄ちゃん。」
男はそう返した。
僕を連れてきた男は紫藤といい
女の子の名前は香澄というようだ。
心なしか男と話すときは香澄さんの表情は明るくなり声も弾んでいるように聞こえる。
紫藤さんにつかまった僕は香澄さんと共に管制室と呼ばれていたところの中の一室に通される。
「それで、どうだった?」
そう紫藤さんが話し始める。
「どうとは?」
僕が聞き返すと紫藤は
「何か言われたかってことだよ。」
と言う。恐らくはあの老人のことだろう。
僕は老人にいきなり切りかかられたこと、老人の剣が折れたこと、
覗き込まれて紫と言われたことを、二人に話した。
二人は最初のうちは何もなく話を聞いていたが、後半になるにつれて香澄さんの顔に動揺が広がっていき
最後の話に関しては香澄さんは動揺が隠せなくなっていた。
「そうか、紫か...」
そう紫藤さんは静かに言う。
僕はずっと気になっていたことを聞くことにした。
「あの、紫って何のことですか?」
少しの静寂の後、香澄さんが驚いたような顔をする。
「まさか、あなた何も知らずにここまで来たの?ありえない...
だってここに来る人たちは知っているはずなのに。」
本当に何のことか分からない。
すると紫藤さんがずっと静かにしていた紫藤さんがおもむろに切り出した。
「お前はもう人間じゃあないんだよ。」
その一言に僕は意識を失うほどの衝撃を受けた。
紫藤さんは教えてくれた。
僕が科学地区での爆発及び殺人に関与していること
その原因となったのは僕の体に投与された因子というものであるということ
僕が人類初の因子を人工的に体に組み込まれた人間であったこと
因子の力は非常に強大であるため、兵器としての研究がなされていたこと
紫藤さんの持つ因子と僕の待つ因子が同じ種類で、保有者はこの二人しかいないこと
そして、僕に投与された因子はこの組織が血眼になって追っていたものであるということ
紫藤さんの話には唖然とした。
信じられない、兵器としての研究、そんなのまるで僕が兵器になってしまったみたいじゃないか。
そうして呆然としている僕に紫藤さんは続ける。
この組織は先天的に因子を保有した人間をかき集めて、その力を統括していること
この組織であればこの力さえも正しく使えるかもしれないということ
そして、それこそ僕にとっての償いになるかもしれないということ
それを聞いて僕は決意を固める。
この力を正しいことのために使って、僕は自分の力に対する落とし前をつけてみせる。
そう考えていると
口が自然と動いた。
「僕をここにいさせてください。」
紫藤さんはにやりと笑って頷く、
香澄さんは青い顔をして紫藤さんの方を見て「紫藤さんがいいと言うなら...」と言ってくれた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
それからさておき、今僕はあの老人のもとに向かっている。
目の前には紫藤さんがいる、今度は中までついてきてくれるようだ。
再びあの大きな扉の前に立つ、いやな思い出が蘇ってきて冷汗が止まらなくなる。
「大丈夫だ、安心しろ。今度は大丈夫だよ。
さっきのは一つの試験だ。だがなぁ驚いたよ、まさか無傷で帰ってくるなんてなぁ。
あの爺さん容赦ねぇからなぁ。」
そう言って紫藤さんは笑っている。
ギィーと音を立てて扉が開く、今度は最初から老人がいた。
起きている。
「おぃ、爺さん。まだ飯の時間じゃないぜ。」
紫藤さんはからかうようにして老人に向けて言葉を放つ。
すると老人はぬっと立ち上がり、こちらに近づいてきた。
老人は紫藤さんに向けて
「そこまで耄碌しておらんわ、このクソガキが。」と言い
僕の方には
「合格じゃ。紫なんぞそこのガキ以来久方ぶりに見たわ。
わしが見切られるなんての。生きるなり、死ぬなり勝手にせい。」と言ってきた。
「この爺さん、自分の剣技がこんな若造に通用しなかったから拗ねてんだよ。
気にすんな気にすんな、これまでこの爺さんの試験を無傷で通った奴なんかいない
誇ればいい。」
紫藤さんはそう言ってくれた。
「それにしても爺さん、こいつが紫であることは分かった。しかも俺らとは違う適合型だ。
何か他にもあるんじゃねぇの?]
そう紫藤さんが聞くと、老人はしぶしぶ語りだした。
「あぁ、こいつはわしらとは違って因子が遺伝子に組み込まれてはおらん。
体を流れる体液そのものが因子の影響を強く受けておる。つまりわしらよりはるかに
因子の濃度が高い、兵器として作られたなら納得じゃな。」
やはり僕は他の人とは何か異なるようだ。ただ、二人が話している内容はほとんど分からない。
そうしていると話は終わったようで紫藤さんが帰ってくる。
もう戻れるようだ。
扉まで戻り、部屋から出る。一気に緊張から解放された。
その後、歩きながらこの組織についての説明を受けた。
因子を持つものがその力を行使することで、陰から社会の治安を維持しているらしい。
「大丈夫でしたか、何もなかったですか?」
本部に戻ると香澄さんが心配したような顔をして紫藤さんのところへ駆け寄ってきた。
「おぅ、大丈夫だったよ。こいつは正式にここで匿うことが決まった。名前は... えぇとなんて言うんだ?」
紫藤さんに聞かれ、僕も自分の名前を答えようとした。
しかし、思い出せない。科学地区が消えた日のこともしっかり覚えているはず...
いや、あの日のことも何かが抜け落ちている。僕は何であんなに怒りを感じたんだっけ。
何かが思い出せない
「それなら、俺の名字をやるよ。これからお前は紫藤だ。」
紫藤さんの明るい声に僕の意識が浮上する。
「え、でも、そんな。」
今日から紫藤さんと同じ苗字だといきなり言われたことに僕は驚いていた。
紫藤さんはいいんだ、いいんだと僕の頭をなでながらそう言ってくれた。
「俺とお前は同類かもしれねぇからな...」
そんなつぶやきは誰の耳にも届くことはなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
紫藤さんからこの組織、及び任務について教えてもらった。
この組織は因子を保有した者を集めたcisという組織であることや
専属のオペレーターというのが一人一人にいるらしいことを教えてくれた。
僕のオペレーターはというと...
香澄さんだった。
今、僕の目の前で頭を抱えている。
「なぜ、私がこの人の担当になるんですか?意味が分かりません
本来であればこの組織全体で管理し、刑の執行対象となるべき危険人物が
私の担当だなんて嫌です。
しかも私、バディを組むのは初めてなんですよ。」
「ごめんなぁ、香澄ちゃん。こいつの担当になりたいって奴がいなくてさ。
あと。こいつはできるだけ俺の近くで管理しておきたいんだ。飲み込んでくれ。」
そう言って紫藤さん彼女に向かって何回も頭を下げる。
自分のことなのに紫藤さんに頭を下げさせて、そんな自分が情けなくなった。
僕は香澄さんに近づく。
「香澄さん、僕が危ないのは自分でもよく分かっています。
それでもこの力が誰かの役に立つのなら、僕はこの力を使いたいんです。
そのためにはあなたの力が必要だ。だからあなたの力を貸してほしい。」
香澄さんに頭を下げて頼む。
どれくらい時間がたったのだろうか、
はぁーとため息が聞こえ、香澄さんが話し出す。
「紫藤さんの頼みなので今回のみ承諾いたしましょう、
勘違いしないでください、紫藤さんの頼みであることをお忘れなく。花本香澄です。」
そう言ってすたすたと向こうへ行ってしまった。
こうして僕のcisでの生活が始まった。
仮眠室のようなところで寝て、身支度を整え、管制室へ向かう。
そこでは香澄さんが昨日と同じくきちんとしたスーツを着て立っていた。
「おはようございます、紫藤さん。本日から任務に配属になるそうです。」と
起き抜けからびっくりするようなことを聞かされた。
すると後ろから紫藤さんが僕の頭をわしゃわしゃとなでて、
おはようと欠伸をしながら言ってくる。
本当にこの人は後ろをとられても気づかない。
紫藤さんは時折欠伸をしながら、今日の任務について教えてくれた。
どうやら一応初めてではあるので同行してくれる人がいるようだ。
今回の任務は因子取引の現場を押さえることが目的らしい。
「開始は午後6時、日が落ちてからだ。それまでに準備しとけ。詳細はあとで聞け。
一応、開発室にでも行ってこい、必要なものはもらえるはずだ。」
起きてすぐなのだろうか、物言いがぶっきらぼうで機嫌がよくなさそうだ。
紫藤さんと話した後、香澄さんが開発室まで案内してくれた。
「この組織、cisで任務を行うことにおいて自分に合った武具を持つことは、
任務の成功率上昇ならびに自らを守るということにおいて非常に重要です。
きちんと考えて選んでください。」
そう言って香澄さんはさらに詳しく教えてくれた。
「通常、因子は他に干渉する性質を持ちます。
また、それぞれの因子によって、どのように干渉するかは異なります。
そしてその干渉する力を用いて武具に因子を流すことで、真の性能が発揮されます。
ただし、あなたの場合は前例がないのでどのような物が適しているかは分かりません。」
武具といっても通常の武具とは性質そのものから異なるようだ。
開発室に着くと
香澄さんが僕に決して自分が紫であるということを話さないよう、何回も念を押してきた。
香澄さんが壁についているパネルにIDカードをスキャンして扉が開く。
香澄さんが部屋の中に足を踏み入れたその時
「「かーすーみーちゃーーーーん」」
部屋の中から女性が飛び出してきて、香澄さんに抱き着いた。
香澄さんは後ろに倒れ、その女性に押し倒されている。
「ねぇねぇ、聞いたよ。新人君、紫なんだって。会わせてよぉー」
そう言って彼女は立ち上がり、うねうねし始める。
なぜ、この人が僕について知っているのだろうか。
僕について知っているのは紫藤さんと香澄さん、それにあの老人だけなはずなのに...
すると香澄さんが立ち上がり、服に付いたほこりをはらいながらため息をつく。
「あなたには隠しても無駄なようですね、あなたの目の前にいる彼、彼こそ紫です。」
そう言って彼女はこめかみに手を当てる。
女の人は即座に僕の手を取って
「私、小野道弥生っていいます。開発部で色んな因子の研究をしてます。よろしくね。
君は何て名前なのかなー。教えてほしいなー。ところで君、紫なんだってね。
今日は何の用で来たのかな?何が欲しいのかなー?」
口から流れるように言葉が飛び出してくる
僕がどう答えようか迷っていると
「やめなさい、彼が困っているでしょう。今日は彼が初めてなので彼にあった物を探しに来ました。」と言って
香澄さんが助け舟を出してくれた。
そういうことならと小野道さんは部屋の中に入れてくれた。
部屋の中にはよく分からない液体に満たされた水槽やケーブルなどがたくさんある。
cisの人間が使う武具は自分が一括管理していること彼女は教えてくれた。
「ところで君、自分の因子を使って何ができるのー。教えてほしいなぁー。」
彼女は話しかけてくる。確か僕は前例がないから武具を選ぶ指標がないんだったっけ。
「自分の因子がどういう物なのか自分にもよくわからなくて、
そもそも因子を知ったのもつい最近の話でして...」
僕がそう言うと、小野道さんは嬉しそうに、じゃあ全部試してみようよなんてことを言いだした。
すると後ろで香澄さんが何かを取り出す。
それは忘れもしない、あの日僕が康太を殺してしまったときの概要を記録したものだった。
それを一瞥して小野道さんが、「ふぅーん」や「へぇー」などと言っている。
数分後、彼女はこちらに向き直って着いてきてほしいと言った。
彼女に着いていくと、そこには大きく太いガラス管の中に黒い球体があった。
それは直径10センチほどの大きさで、時折青い光の筋を出している。
「これは因子伝導体って言うの、その名の通り因子を流すんだけど
これまで使えた人がいなくってこっちも持て余してたの。
あなたの報告書見せてもらったけど、もしかしたら、あなたならこれが使えるかも。」
小野道さんはそう言った。
彼女の話をまとめると
僕は兵器開発のため人工的に因子を投与された人間、それ故に因子の強度が非常に高い可能性があるということだった。
現に僕の因子によって人が死んでいる。
そうだ、僕の因子は先天的なものではない。
兵器開発のための人工的な投与、他の保有者とはそういう点で強度が異なっていてもおかしくはない。
つまるところ因子の強度がはるかに高い僕ならば、この因子伝導体に因子を作用させられる
のではないかと小野道さんは考えたらしい。
ならばと思い、因子伝導体を手に取る。だが肝心の因子の流し方が分からない。
しかし、自分の手の中にある球体に集中してみる。
すると自分の中にある何かが手を介して流れ込んでいくような感覚をおぼえた。
徐々に因子伝導体の形が変化していく。
始めは1つの球であると思っていたものは、細かいパーツに分かれ
その隙間から紫色の液体が見える。
そして、因子伝導体は一本の先のとがった棒のような形に変形した。
「「大成功っ!!やっぱり因子の強度が必要だったんだね。
これで私、俄然君に興味がわいてきたよっ。」」
黄色い声が静寂を破る。小野道さんが飛び跳ねて喜んでいた。
彼女は僕の手を握って、これからも観察対象にしていいかどうかを尋ねてきた。
まるで自分が実験動物になったかのように思ったが、あながち間違ってはいないだろう。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「これはもらってしまっていいんですか?」
僕が聞くと彼女はいいの、いいのと承諾してくれた。
では失礼しましたと僕と香澄さんが帰ろうとすると
小野道さんがふいに近づいてきて耳元でささやく。
「これからずーっと君を観察させてもらうよ、よろしく新人君」
顔が熱くなる。
「何をしているのです、余計なことはしないように。不純です。」
香澄さんが助けてくれた。
小野道さんは頬を膨らませ、恨めしそうにこちらを見ている。
「なによ、新人君は香澄ちゃんの物じゃないでしょ、
私ももっと近くで観察したいの。」
小野道さんは駄々をこね始める、香澄さんは仕方なさそうにため息をつくと
「仕方ありません、彼はこの組織の中でも最も危険視されている人物です。
あなたに彼の経過観察を任せられるよう掛け合ってみましょう。」
そう返した。
その後、小野道さんが香澄さんにお礼と称して抱き着いていたのはまた別のお話。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
小野道さんから因子伝導体の詳しい使い方を教えてもらった。
これは所持している人間に接触することで脳波を検出、当人の考えるとおりに形を変えるそうだ。
そして時刻は午後6時、すっかり日も落ちて暗くなっているようだ。
因子伝導体を使う練習をこの時間までずっとしていたせいか、
複雑な動きはできないが、いくつかの動きはできるようになった。
香澄さんが近づいてくる。
手にしたインカムを僕に渡してくれた。
「これをつけていれば基本的にどこでも通信が行えます。
緊急の場合などはこちらの指示に従ってください、必ず帰ってくるように。それでは。」
そういってインカムをつけてくれた。
指定された場所まで行くとそこにはゲートがあった。
ゲートをくぐるとそこにはエレベーターのような箱状の機械がある。
それに乗り込んで男がボタンを操作すると、箱が動き出した。
箱は地上に向かって何回も経路を切り替えながら進んでいく。