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「この国が眠っている間は、他の国の人たちが来ることもないでしょう? 賊が入ってきてもみんな一緒に眠っちゃうし、お父様を殺して国を奪おうって思ってる人も、やっぱり国に入るとぱたっと寝ちゃうのよ。このままみんな眠り続けていれば、この国は安全なんだろうなって、たまに思ったりするの」
「アンジェ……」
「わたしにね、縁談の話があったの」
初耳だったようで、ロイは片眉をあげた。
「この国は、とても小さいでしょ? だから、領土を広げようとする周りの国に狙われてたの。それで、隣の国の王様が、自分の息子とわたしが結婚して、同盟を組みませんかって、声をかけてきたのよ」
それは事実上、国を吸収しようとする動きだった。もちろんそんなことをしたくないと思うのが城の中の考えだけど、城下の民は大人しく隣国と手を組んだほうが安全だと思っていた。アンジェの他に跡継ぎもいない王族の血は簡単に途絶えてしまう危険があり、そしてなにより、もろくもあったからだ。
縁談を断れば、隣の国は力ずくで国を奪おうとしてくるに違いない。アンジェの動きで、この小さな国のすべての人たちの生活が変わってくる。それを思うとうかつに口を開くこともできなかった。
「だから、眠り病で国が混乱したとき、ちょっとほっとしたの。ああ、自分は結婚しないでいいんだって、嬉しかったのよね」
眠る民の心配よりも、自分のことを考えてしまった一国のお姫様。軽蔑されただろうかとおずおずと視線をやると、ロイは怒りもあきれもせず、ただだまってアンジェの話に耳を傾けてくれていた。
「……でも、アンジェは、ひとりだとさびしいんだろ?」
それにアンジェは、こくりとうなずいた。
「さびしいわ。でも、国が元に戻るのはやっぱりこわいの」
国中にかけられた魔術が解けたとき。眠りに落ちている人々が目覚めたとき。止まっていた国の時間は再び動き出して、領土を狙われる問題がまた浮上して、民のために手を尽くさなければならないあの日々が戻ってくる。
「そっかぁ……」
抱えた膝に額をうずめるアンジェの肩を、ロイがそっと包み込んだ。
「だからアンジェは、この国に魔法をかけてしまったんだな」
○○
「――わたし、魔術なんて使えないわ」
思いもよらないロイの言葉に、アンジェはすぐさま否定した。
「使えないわ。わたしに、魔力なんてないもの!」
「……人は、さ。みんな生まれながらに魔力をもっているもんなんだよ。たいていの人はそれに気づかずに一生を終えてしまうけど、なにかの拍子に魔力が目覚める人はけっこう多いんだ」
ベッドに両手をうずめて、ロイは仰ぐように身体をそらした。
彼は生まれながらに、魔力が開花していた子供だったらしい。だから魔術を使うことに何の苦も感じることなく今までやってきた。けれど一方では、どんなに修行に励み魔力を望んでも、結局死ぬまで開花しなかった人が大勢いるとも教えてくれた。
「なにか強烈なきっかけみたいなものがあるとさ、人間は本能的に自分を守ろうとして魔力に目覚めるんだよ。アンジェもきっと、なにか理由があって国に魔法をかけてしまったんだろうけど……そのかけかたがまずい」
「まずい?」
にわかには信じられないことを言って、ロイはさらに追い討ちをかけてくる。身構えるアンジェに手を伸ばし、彼はそっと、アンジェの目元に触れた。
「このままだとアンジェは、眠れないまま身体が衰弱していって、いずれ死んでしまうと思う」
落ち窪んだ眼窩をいたわるように、ロイは目のふちを指で撫でる。
「大きな魔法を使うと、それ相応の反動がかえってくるんだ。干ばつを嘆いて雨乞いをすると、そのまわりの土地で雨が降らなくなってしまうみたいにさ。アンジェは国中を眠らせる魔法の反動で、自分の睡眠を抑えてしまったんだよ」
「でも、別にわたし、眠れなくても大丈夫よ? お腹だってすかないし、身体だって別にそんな……」
「アンジェがそう思ってるだけで、身体は確実に衰弱してるんだ」
ふいに、ロイのまなざしが鋭くなった。