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一年ぶりにできた話し相手に、アンジェはすぐに心を開いた。この国では珍しい赤毛と、すこし切れ上がったまなじりが鋭い印象を与えるけれど、アンジェと同じ瑠璃色の瞳は深い優しさをひめていた。
「やっぱりこの眠り病は、伝染病じゃなくて、誰かがかけた魔法なんだ」
それが、彼が国を調べた見解だった。
「伝染病だったらもうとっくに隣国にも広がってるはずだし、一年も寝てたら普通、みんな死んでしまうはずだ。一人だけ起きてるアンジェのことといい、これは魔術が強く関係してるんだと思う」
ロイとはいつも、アンジェの部屋で話をした。彼は部屋のバルコニーから国を眺めるのが好きで、アンジェは自分のベッドに腰掛けてその背中を見ていた。紅茶もケーキも必要なく、誰かと一緒にいるという時間がとても貴重だった。
アンジェはロイに、すべてを話した。病が広がり国中が眠ってしまったことから、ひとり取り残されたアンジェが毎日どんなことをしていたかもすべて話した。みんなが眠っているのをいいことに、高価なドレスを着て遊んだことも、毎日好きなお菓子ばかり食べていたことも、うっかり国宝の壷を割ってしまったことも、全部ぜんぶ話した。話し相手がいない間にたまっていた言葉を、ロイにすべてぶつけているようなものだった。
彼はそれに嫌そうなそぶりを見せることもなく、アンジェの声を無視することもなく、いつも耳を傾けてくれていた。そして城に閉じこもっているアンジェに、自分が今まで旅して歩いた諸国のことを面白おかしく語ってくれたりもした。
「アンジェは、あいかわらず変わりなく?」
「ええ、まったく変わりないわ」
「なんか、顔色がまた悪くなったもんな」
あの誕生日以降、国の時の流れは止まってしまったようだった。手入れをする者がいなくても城は荒れることがなく、厨房の食材が腐敗することもなかった。アンジェもさほど空腹を感じることがなく、髪や爪が伸びることもない。自分の中を流れる時までもが、とまってしまっているようだった。
そしてなにより、アンジェは眠ることができなくなってしまった。
日が沈んで夜空に星が出ようとも、どんなにベッドの中でうずくまろうとも、睡魔が襲ってくることはまったくなく。何日も悶々と夜を過ごし、一月たったところであきらめた。布団の中にはもう長いこと入っていない。
「童話の眠り姫なら、わたしもみんなと一緒に眠れるはずなのにね。そして王子様がキスをして起こしてくれるのに、肝心の姫様がこれじゃあ魔法なんて解けないわ」
足をばたつかせながら唇をとがらせるアンジェに、ロイは肩をすくめる。バルコニーから部屋に戻ってきたかと思うと、おもむろにローブの中からクッキーを取り出して、アンジェの口に無理やりねじこんだ。
「俺もまぁ、眠り病の国っていうから、てっきり眠り姫を想像して来たんだけどな」
粉砂糖をふりかけたクッキーは口の中でほろほろと崩れて、甘さに自然とアンジェの目もとがやわらかくなる。その表情を見て安堵したようで、ロイはアンジェの隣に腰掛けた。
「眠れなくて、辛くないか?」
「……身体は平気なんだけど、ね」
眠れずに夜を迎えると、えんえんと同じことばかりを考えて過ごしてしまう。流れ星を数えて過ごした夜もあれば、両親の寝室に行って、その穏やかな寝顔を見ながら涙したことが何度もあった。
眠れなくて一番辛いのは、身体ではなく、心だった。
「俺が来るまでの間、なにしてたんだ?」
「はじめは、城や国の中を歩いて回ったけど……誰も起きてないって気づいてからは、ずっと城の中にいるわ」
一日中ぼーっと空を眺めているときもあれば、衝動的に城を磨きあげたこともあった。書庫の本を読みふけって時間をつぶし、それに飽きたら城で眠る人たちの寝顔をひとりひとり見てまわったりもした。
姫らしくしなさいとうるさい侍女たちも眠りこけてしまっているので、ロイが来るようになるまでは自分の身なりですらどうでもよくなっていた。こうして彼と会うようになって、久しぶりにドレスに袖を通したのだ。
「はやく魔法をとかないと、アンジェの身体がもたないな……」
しみじみといった様子で呟いたロイに、アンジェはベッドの上で膝を抱えた。
「……でも、わたしね。この病が広がってすこしほっとしてるの」
自分を救おうとしてくれている人の前で、何を言うつもりなのか。わかっているけれど、一度口が開くと言葉がとめどなくあふれてくる。ロイはすべてを話してしまいたくなるような、不思議な空気を身にまとっていた。