検非違使、山姥を追う-9
「くっ……殺せ!」
と、捕まった山賊女頭の乙女が、長い黒髪を解かれて叫んでいたのが、少し前の刻だ。
木々の影に潜む。
荒々しい息遣い。
支流の小川が流れている音。
小川には小さな貝達がいた。
夏蝉が木々から鳴いてくる。
季節を外しつつある虫らだ。
うめき声とは違う激しい声。
肉樹が攻め立てるような音。
「水に呪われた我が身を抱いたのだぞ」
と、山賊女頭は足で牛塵介を挟む。
「お前も死ぬ。よくこんなおぞましい体を」
「老い先は短い。神が勝つか、試すも一興」
と、牛塵介は山賊の腹に腕を巻いた。
「離しはせん」
「酔狂だな」
もし、と、山賊女頭は続けた。
「もう一度会ったら褒美に名前を教えてやる」
茂みの向こう、川を少し下った先。
大葉介は流れるまま冷たい水に手を入れる。
「飲める、か?」
沢の水に手を伸ばす。
山賊を追って渇いた。
喉を潤したい。
水が魅力的だ。
手を伸ばし──。
「飲むのはやめておけ」
牛塵介に止められた。
代わりに水筒を貰う。
栓を抜けば温い水だ。
「手足が異様に痩せ、腹が膨れた獣がいる」
と、牛塵介は指差す。
河原の石の上に鹿の死体だ。
足はともかく腹は異様に膨れていた。
「孕んでいるわけじゃない」
「……気味が悪いな」
と、大葉介は濡れた手を狩衣で拭いた。
「悪党ならば突き出す義務がある」
「沙汰を待つわけか」
牛塵介は袖で山賊の顔を拭きながら言う。
「──大葉介様の『正しさ』とはなんだ?」
「無論、人間が獣ではない人間としての証明」
「人と獣を分ける理由が、『人の正しさ』か」
大葉介は不快な顔を浮かべる。
牛塵介が山賊の汗を拭いているからだろう。
服の中まで手を入れて、確かめるようにだ。
「手つきがいやらしいぞ牛塵介!」
「人間として正しくはないか?」
「そうだ! 獣を食うように、人が人を食うのも同然のような行為なのだから!」
「ならば」と、牛塵介は言い澱む。
「言いたいことがあるなら言え!」
と、大葉介は勢いのまま詰め寄った。
「悪でしか生きられん者はどうすればいい?」
「改心させる」
「ふふっ」
「おかしいか!?」
馬鹿にして、と、大葉介は怒った。
「国府に向かう。あらためて手伝え」
と、大葉介は『山姥退治』を終えてなお、山姥を探し求める、獣が獲物を探し求めるように言う。
「お前の目的は女、だろう? そんなものはどこにでもいるが……この大葉介を助けて、山姥を退治すれば報奨を出せる。恩と奉公だ」
「御恩に奉公……古い言葉ですね」
牛塵介の頬に紅葉が咲いていた。
小さな乙女の掌の形に腫れている。
「……手篭めにしたのか?」
山賊女頭はパチリと目を開けた。
その瞬間を確かに牛塵介は見ていた。
山賊女は、狸寝入りをしているのだ。
大葉介は声も大きく牛塵介を叱り続けた。
そんな彼女の背中で、山賊女がぬきあしでこっそりと、逃げようとしていた。
「兄様、またね」
と、山賊女頭はひらひらと手を振った。
音もなく、森の闇に溶けるよう消える。
「あれ? 山賊はどこだ?」
やっと気がついた大葉介は探す。
「手伝え! 牛塵介!」
牛塵介は腰掛けてのんびりだ。
「ッ、そうだ! 大葉介達は何も捕まえていない。追捕使の仕事だしな!? 何もなかったなら罪悪感など必要ないし、罪人を渡すことなどない、この件は『無い』!」
「よしなに」
検非違使、山姥を追う〈終〉
「検非違使、山姥を追う」完結です。
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