餓鬼にいたる病-3
からん、と、空の器が置かれた。
「腹を満たしたついでに話してあげよう」
「いらねー……」
「介佑郎」
と、大葉介は介佑郎を嗜めた。
樹介が居心地悪そうに尻を動かした。
「かつて──」
歩き巫女は、ねだった酒をあおる。
口角からこぼす。
酒臭い息を吐く。
「──唐から若喪という乙女が日本へ来た」
「吉備真備と遣唐使船で同乗した九尾でしょ」
「下道真備は三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集を持ち帰っただけではないからな」
「さん……え?」
「金烏玉兎集。知らないの?」
「あぁ、陰陽のか」
と、樹介は言った。
陰陽師の秘伝書である云々。
「天竺の文殊菩薩が書いたものを、下道真備が持ち帰り、後に晴明が編纂に関わったものだ」
まあ、と、歩き巫女は続けた。
「今はまったく関係のない話だけど」
歩き巫女はケタケタと笑う。
「お主、呪われとるぞ」
と、歩き巫女が言った。
「ぶっ!」
樹介は力み、酒を吹いてしまう。
「何を……」
「この村の内も外もみんな呪われてるよ!」
と、歩き巫女h叫んで、冷静な声に戻した。
「そんなことよりも、勅令を果たしたいなら、この巫女様に協力したほうが良いと思うな」
「またか! からかったな。逃げるためか」
「嘘ではない。坊主連中の目的は殺生石。樹介様の目的は、『勅令の達成』だろう? ほら、道が離れてる。だが実は、殺生石が欲しい」
巫女は断言した。
「鬼でもぶつけんとな。普通ではない」
「山姥なのだから物の怪だろうに」
「あれが普通の山姥だと?」
歩き巫女はせせら笑う。
先程とは違う笑いかた。
「山姥と真に会ったことがないらしい」
「巫女様はあるのか」
「あるとも。恐ろしい『敵』だった」
と、歩き巫女は澄んだ色の酒をあおいだ。
「歩き巫女は全国を歩く者もいる。風の噂で聞いたことがある。遥か西、海を渡った大国の先、大陸の端まで続く道の果てには、日本人よりも遥かに大きく、隙間のない重い鎧を着込んで巨大な槌を振って戦う鬼のような存在がいると」
その中で聞いた話がある、と、歩き巫女だ。
「……殺生石……」
巫女の口から出た、唐突な言葉。
「狐の伝説まで聞いては満腹だ」
玉藻前と呼ばれた悪の狐が討たれて変化した物であり、近づくものみな殺したが、砕くこと叶わずにいたものだ。
山姥ではなく、九尾の話ではあるが。
「それでどうなるのですか、巫女様」
と、大葉介が話の先をうながした。
歩き巫女の話に入れ込んでしまった。
「……何をしているんだ?」
と、樹介は介佑郎に聞いた。
介佑郎はいつのまにか細工している。
大太刀の刃に、麻糸を千巻している。
「小綺麗な大太刀の柄を伸ばしてる」
と、樹介は返す。
「なんで?」
「僧兵擬きの侍に野太刀にしとけと言われた。柄が短いから振り回されてるとも」
閉められた雨戸を見ていた。
雨が降りしきり打ちつけた。
「長巻にこしらえておけとな」
介佑郎は千巻を続けていた。
「生身で妖怪していない、大和も土蜘蛛も蜂も、おんなじだよ。それよりも、人力妖怪な一丈弓鎧を着るほうが日本で生きてる」
「歩き巫女はよく知ってる」
と、介佑郎は、麻縄をぐちゃぐちゃ巻いた。
見ている樹介が渋柿を食べている顔だった。
「かっこいいだろ、鬼のような鎧だ。戦うと言うのであれば、“あれ”が欲しいだろう?」
だが、と、歩き巫女は話を区切る。
大葉介が丸い耳を立てて興味を深める。
「酒が切れたな」
「お持ちします」
と、大葉介は立ち上がった。
外では一丈弓鎧が鍛錬に出てきた。
湿地とかした地で泥を跳ねさせた。
「力がいるなら」
と、介佑郎が長巻をこしらえながら言った。
「一丈以上の弓鎧を手に入れなかったんだ?」
「今まで、一丈弓鎧が勇者だと知らなかった」
と、樹介は外の、作られた勇者を見つめた。




