偽勅令と死に損ないと犬-7
介佑郎の目にあるのは、恐れだ。
噴きでる汗が、鮫皮の柄を滑る。
「介佑郎。落ち着いて」
と、大葉介が介佑郎の手に重ねた。
「殺生石は無い。生身だけでは……」
と、樹介は言う。
逃げ場所は初めから無い。
樹介は弓を置いて太刀を。
同じく、大葉介も太刀を。
「やるのか。やるつもりか、今!」
と、介佑郎は折れた大太刀を捨てた。
薙刀で打ち合う僧兵への助太刀。
覚悟は決めた。決めさせられた。
戦おうと、湿った土を、踏んだ。
介佑郎の足が血を噴き動かない。
踏み、込む。
肉が潰れた。
眼前にはいるのに。
戦のなかで魅せる。
僧兵どもの、死地。
死兵と山姥の悪夢。
「なんだ?」
顔に包丁を突き込まれなおしがみつく僧兵。
両足が砕けてなお山姥の腰に組み付く僧兵。
そして──僧兵に抑えられた、山姥もだ。
大地が、鳴っていたのである。
震える地より水が浮いてくる。
介佑郎はそれが地震の時の現象とわかった。
地相を見るとき、地震で水が浮くのを見た。
地下の水が押し出されて、沈むこんでいた。
「妙だぞ」
介佑郎は、困惑する。
水が湧き出してくる。
井戸のようにではない。
温泉のようにでもない。
一帯が、沼地のように呑まれる。
礎があっという間に沈んでいた。
草鞋の浸し、足裏を、濡らした。
「地震?」
山が、動いた。
「地滑りかぁ!?」
濁流が押し寄せる。
僧兵は傷ついた者を引きずり逃げている。
逆茂木を押し流す。
堀を埋める土の津波が押し寄せる。
大葉介は介佑郎の襟を掴んで逃げた。
「あんの女また逃げやがった!」
と、介佑郎は続けた。
「大葉介、介佑郎を連れて行け!」
「言われなくても逃してあげる!」
樹介はとっくに逃げている。
大葉介が介佑郎を引っ張る。
泥水が跳ねている。
山姥は──。
地滑りに対して構え、呑み込まれた。
山姥といえど逆らうことはできない。
残るのは流されてきた土砂ばかりだ。
「探す、のか?」
大葉介は不安な、震える声で訊いていた。
「手当てをしよう。山姥は倒せそうにない」
と、大葉介は介佑郎から手を離した。
介佑郎が頭から泥の海に沈んでいた。
村の守りはボロボロだ。
どこを見ても、壊れていた。
「ひでぇ夜だ」
介佑郎は誰にも言ったつもりはなく呟く。
「足に文句は言えないが、も少し手心だせ」
と、介佑郎泥まみれの顔を袖で拭いていた。
「──ボケっとするな!」
僧兵が叫んだ。
風を切る音だ。
矢が、飛んだ。
介佑郎の鼻の上を真横に鏃が切り裂いた。
「陣を組め、穴を埋めろ!」
と、僧兵ら楯と薙刀を並べた。
目を凝らせば、それらが、押し寄せていた。
地滑りで流れこんだ泥から飛び出してきた。
兎──だったもの。
毛には泥がつまり見るにたえない。
大葉介は、慌てて叩き落とした。
妖怪した兎は汚物で塗れていた。
毛という毛、皮という皮。
それらを削がれて血か泥の区別もつかない。
「妖怪してまで厄介な」
と、僧兵が言う。
「北条軍だ」
そこにいたのは、奇形らだった。
不自然な足の運びは正気ではない。
ただひたすらに、攻め寄せてきた。
薙刀の剣先を地面に引き摺りながら。
糞を尻から撒き散らしながら。
「山姥が呼んだのか、あれの手勢なのか」
と、大葉介は泥と押し寄せた妖怪を斬る。
穢された家紋が揺れていた。
「美作の北条が攻め寄せたのか?」
「そんな優しいものではない」
と、僧兵が崩れた村の守りを楯で塞いだ。
地響きだ。
過小な僧兵と、僅かな検非違使の楯だ。
「どうするんだ?」
誰かが言った。
「どうしようもない!」
と、僧兵は楯を叩く。
笑っていた。
ハラワタをこぼす僧兵も笑っていた。
死にかけでも立って、寄りかかった。
「ようやっとあがなえる」
一丈の大鎧が地響きと共に、妖怪を薙いだ。
大鎧の薙刀が、小妖怪を、大地ごと削いだ。
巨大な弓から放たれた矢が大妖怪を貫いた。
一丈弓鎧が、血肉の雨を降らせた。




