禁色を編む鎮守軍団兵-9
精鋭鎮兵は蹴散らされた。
国司が不在だったからか。
そも一丈鎧がいたからか。
寝返る鎮兵がいたからか。
国司が座っていたはずの上座には、山賊を率いた紅雀が座り、食糧庫からありったけの物を引き出しては、大いに食い散らかし、大いに酔い潰れ、いびきをかいていた。
宴だ。
宴には苫田の民もいた。
山賊ではない輩たちだ。
「頭は下戸だからな」
「酒が飲めない体質」
虜囚にされた牛塵介は縛られた。
紅雀の手で抱き寄せられていた。
抱かれたまま、話を聞いていた。
紅雀の前には青筋を立てた女だ。
頭を包む白い布。
寡頭を被る大女。
かたわらに薙刀。
法師武者──僧兵である。
「人も金も、空屋で遊ぶために紅雀党に貸してやった覚えはないぞ、盗賊の紅雀」
「腹ごしらえはいるだろう? 紅雀様の妹たちは飢えていて、食わせてやる必要があった。大事の前に眠れる場所も。そっちの『村』には戦の疲れを抜いてからだ」
「兵をどれほど失った。そしてお前の手にいるのはなんだ、男を手に入れるつもりだったのではないか!?」
「僧兵らの献身には感謝しきれない」
だが、と、紅雀は続けた。
「これは偶然だ。国府は落とす予定だった。お前達は目的の物を盗る気だったろう? 国司が不在で、鎮兵が浮足立っている今が好機だと確信したからな。苫田での地盤は固めておきたいだろう?」
「……大事の前でやる必要はあったのか」
僧兵は立ち上がる。
手には薙刀を持つ。
山賊らが緩く囲む。
僧兵は牛塵介を睨んでいた。
肥溜めを見つめるようにだ。
僧兵の女がこれみよがしに。
潰れた山賊を、踏んで行く。
紅雀は、引き留めなかった。
「口うるさい法師なものだ」
と、紅雀は牛塵介の頭を撫でた。
彼女は牛塵介の唇を噛んだ。
切れて、血が滲みかけていた。
宴会は、紅雀と牛塵介以外は酔い潰れた。
いびきだけが唸りをあげていた。
開け放たれた戸から風は吹いてくる。
寝苦しさの暑さもいくらか軽くなる。
「お前は、俺を捕虜にした。俺はお前を捕虜にしかえした。縁を手繰ったぞ?」
「攻められるとは思ってはおりませんでした」
「慢心か。人間であればよくあることだ」
紅雀は、赤子をあやすように抱いていた。
子が駆け出して、迷い、野犬に食われぬよう、熊に襲われぬよう、川で溺れぬよう、死んでしまわぬよう……何かを恐れているように強く、強く。
「どうして今夜、襲撃したんです?」
紅雀は少し考える素振りをして答えた。
「国司が雲隠れしていること、鎮兵が不安になっていることに確信ができたからだ。村を落とした凶賊相手の戦を見て、やれると確信した。攻める機会は今日しかなく、紅雀の一党が所領を持てる好機は今しかないと考えた」
まあ、と、紅雀は舌を出した。
「占いの結果だ。少しやるんだ」
と、紅雀は、五〇本の筮竹を並べた。
一本を抜いて左右の手でわけていく。
「陰陽師だったとは、初耳でしたね」
「陰陽師崩れが悪党はおかしいか?」
じゃらじゃらと占いをしている。
「国学は出ているからお墨付きてやつ」
紅雀の目は険しい。
「気が大きく傾いているな。いつか、お前が私を『食べた』とき、言っていたように」
占い結果を牛塵介も見た。
陰陽は大きく崩れている。
「で、どうして牛塵介を?」
「生かしたからか? そばにいるからか?」
「両方を聞いてみたいところです、紅雀様」
「いいや、楽しみは残そう。一つだけだ」
紅雀は指を立てた。
「どうして牛塵介を生かしているか。屈辱を与えた、妹や娘たちを結果的に裏切らせた男を斬ることもできた。犠牲を無視して、ひたすらに殺そうとすれば」
「しかし、紅雀殿はしなかった」
「紅雀を生かしたからだ。紅雀を殺せた。口を封じる為にも報復させない為にも、殺すべきだった」
だが、と、紅雀は続けた。
「慈悲をもつ男は希少で、惜しい」
殺すのが惜しかった。
紅雀は迷わず、言う。
隠していた手を晒す。
醜く、奇形に成り果てていた。
「おぞましい我が身我が家族を恐れぬのもな」
寝息だけが、響く宴会。
頭から獣の、狸の耳だ。
「抱かれぬ女は、むごい」
投げ出された肉は歪だ。
「優しい男が好きなわけですか」
紅雀は「そうとも言う」と返した。
「理想の国にはまだ早い。山陽道の山姥が目障りだからな、あれは……」
紅雀が言い澱む。
「あれは、殺さねば」
だが紅雀は断言した。
固い意志を持っていた。
「紅雀にも不可能でしょう」
「もう殺したも同じだろう」
と、紅雀は言い切った。
「僧兵、一丈弓鎧……国府を落とすには過剰とも思えます。軍団兵らの鎧は一丈弓大鎧。怪獣を相手にする軍勢なのですか? 朝廷軍衛士府でも──」
紅雀は笑っていた。
「──無論、『怪獣退治』だとも」
宴は続く。
「頭領というのは、気が休まらん」
紅雀がしなだれてきた。
牛塵介にもたれかかる。
甘える猫のように尾のごとく。
しなやかな四肢を巻いててくる。
蛇のように牛塵介の肌に滑りこむ。
否──毒の尻尾のように犬歯を立てた。
逃してしまいたくはないが捕まえない。
それとなくの、離したくはない、主張。
「いいな。一人でも強い。その腕に、もう一人や二人程度は、引っ張ってはくれないか?」
懇願するような、目。
助けを求める、目だ。
「……酔いすぎたな」
と紅雀は頭をかいた。
翡翠色の髪が乱雑に。
美しくなびいていた。
紅雀は牛塵介の答えを制した。
誤魔化すような早口で言った。
「山姥が山陽道を荒らしている。『誰も動けない』んだ。朝廷は……後付けに後付けで濁してきた。荘園の公家に武家の守護大名、検非違使、軍団兵、地侍……国と制しながら、国よりも小さく戦はいつだってあった。戦で荒れる備州全域には、『たかが山姥』に動いたところで攻められる隙を作るだけなのだ」
紅雀は体で訴えた。
「幾つもの村が消えている。助けてくれ」
「本当に、山姥絡みで?」
「わからん。だが、もはや山姥以外には考えられぬ。山姥だけではないのも確実だ。村の者だったものが、『餓鬼』となって群れをなしている。死んでいるのか生きているのかさえわからぬ。だが、次々と村々を滅ぼしてまわっている。力がいるのだ」
「紅雀殿」
牛塵介は彼女を離した。
紅雀の肩に手を当てた。
押していた胸の肉丘を離す。
桃色の嘴が啄むのを離した。
「女が好きです。美しく見えるからだけではなく、獣のように女を求めてしまうのです」
ですが、と、牛塵介は続けた。
「山姥もまた乙女でしょう」
「山姥が乙女、か」
そういえば、と、紅雀は続けた。
怒っているという雰囲気ではない。
「山姫とも呼ぶのだそうだな」
紅雀は寝坊助どもを見渡した。
牛塵介も見た。
手足はみな異様に細い。
腹は逆に、張っていた。
胃袋を満たしたからとは、違う。
「みんな、醜く、餓鬼に堕ちようとしているだろう。呪われておるのだ」
と、紅雀は張った自分の腹をさする。
「我々を受け入れてくれたことに感謝する」
「駅宿で襲撃された時、目を疑いました」
「奇病の醜い女ばかりだと?」
紅雀は自嘲した。
「極々一部の土地では、あった、と、古老に聞いたことがある。だが今、この奇病は広がりつつある。山姥と同じようにな。生き残るには、山姥を打ち倒すしか、もう思いつかないのだ」
あるいは、と、紅雀は続けた。
「国司が向き合っていれば、見捨てていなければ、もっと変わった」
言葉には怨嗟がこもっていた。
言葉には、呪いを含んでいた
紅雀は頭を下げる。
「無礼もした。山賊風情が不相応な頼みをしているのもわかっている。だが、あらためて、どうか、山姥を共に退治して、私達を救ってくれることを感謝する」
「指切りしましたから。裏切りは指を落とす。約束です。『美作鎮守将軍国司が引き起こした天災』を鎮める協力を、命をかけたおこないを見届けます」
「……感謝する!」
と、紅雀は額を擦る。
縄は、切られていた。
牛塵介は、慣れない酒を少し嗅いだ。
鼻を顰め盃に口をつけるのをやめた。
「国落としは望んでない」
と、紅雀は言った。
「国司の奴が、山姥を生んだんだ」
「蠱毒魘魅で、ですか」
「そうだ。最後の蟲を喰わせた。気狂いに」
「山姥の正体、ですか」
「間違いない。だから僧兵と手を組んだ」
これで、と、紅雀は、まぶたを閉じる。
「不安な夜は晴れた。やっと眠れる……」
と、紅雀は、牛塵介の膝のなかへ入る。
けわしかった顔が、弛んだ。
「『山姫』の命は、牛塵介に預けてやる」
だから、と、紅雀の言葉は途切れていく。
「紅雀を……もっと……守って、くれるか」
寝息が、静かな吐息が聞こえてきた。
牛塵介は強く、強くまぶたを閉じた。
次に開いたときには。
優しく、紅雀の頬を、撫でていた。
我が子をあやすように手を当てた。
禁色を編む鎮守軍団兵〈終〉
「禁色を編む鎮守軍団兵」完結です。
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